1994年 11月15日

安室奈美恵も “好き” を公言!TLC「クレイジーセクシークール」単独来日公演も大成功

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1990年代以降の最強の3人組女性グループはTLC


古今東西3人組女性グループの歴代最強って誰なのだろう。日本においてはキャンディーズという金字塔が真っ先に思い浮かぶが、現役であればPerfumeということになるのかな。それでは海外のアーティストではどうかというと、ロックンロールの創世記以降(1955年〜)においては、もうシュープリームス(ダイアナ・ロス&ザ・シュープリームス)がトップにいることは間違いない。

しかし1990年代以降となると、これはもう皆様にとっても記憶に新しいであろうTLCの右に出るものはない。実際TLCのコア活動期間たる1990年代を通してみても、3人組に限らず全女性グループの中でも、断トツのセールスを誇る。本国アメリカ以上に日本での人気の高さは特筆ものだった。メンバーのレフト・アイが2002年に亡くなるまでのおよそ10年間の活動期間でたった3枚のアルバムしかリリースしていないにも関わらず、アルバム、シングルのトータルセールスはワールドワイドで6,500万枚超。これは3人組どころか、歴代すべての女性グループの中でも、TLCがトップの座に位置している。

「クレイジーセクシークール」で世界的人気グループに


T-ボズ(T-Boz)、レフト・アイ(Left Eye)、チリ(Chilli)という3人のメンバーからなるTLC(3人の頭文字をとってTLC)は、1991年からレコーディングを開始、ベイビーフェイスとL.A.リードが興した新進レーベル、ラフェイスよりシングル「エイント・2・プラウド・2ベック」及びアルバム『ウー・オン・ザ・TLCチップ』でデビュー。「エイント・2・プラウド・2ベック」(全米シングルチャート6位)、「ベイビー・ベイビー・ベイビー」(同2位)、「ホワット・アバウト・ユア・フレンズ」(同7位)、「ハット2 ダ・バック」(同30位)と立て続けにシングルヒットを連発、デビュー時20歳そこそこの若き3人組は、いきなり世界的人気グループとなる。



セカンドアルバム『クレイジーセクシークール』(1994年)からは、「クリープ」(同1位)、「レッド・ライト・スペシャル」(同2位)、「ウォーターフォールズ」(同1位)、「ディギン・オン・ユー」(同5位)とメガヒットを送り込み、グループの全盛期を迎えた。



鳴り物入りでリリースされたサードアルバム『ファンメール』(1999年)からは「ノー・スクラブズ」(同1位)、「アンプリティ」(同1位)と2曲の全米ナンバーワンが誕生、ようやく来日が実現した日本では100万超のアルバムセールスを達成する。人気絶頂時の2002年レフト・アイが事故で死亡、残念ながらTLCの隆盛期は失速を迎えた。



以降TLCはT-ボズ、チリのふたり(一時期サポートメンバー加入の3人で活動)でグループを存続しながら現在に至り、今年2024年3月にはジャネット・ジャクソンとともに来日公演を敢行する。

安室奈美恵もTLC好きを公言


前述のとおり、日本で最も売れたTLCのアルバム『ファンメール』は、安室奈美恵を筆頭に日本の人気女性シンガーたちがTLC好きを広言したことも大きかった。しかし『ファンメール』のワールドワイド・セールス約1,000万に対して、セカンド『クレイジーセクシークール』のそれは2,300万枚を超えた。実はTLC史上最も売れたアルバムは『クレイジーセクシークール』なのだ。今年2024年はこのメガセールス・アルバム発売から30周年、絶妙なタイミングでの来日公演となるわけだ。

ファーストアルバムからのシングルヒットによる楽曲の浸透はもとより、メンバー3人の個性豊かなキャラクター(イメージとしての役割とでも言うべきか)も世間に浸透していった。そういったキャラをアルバムタイトルに反映させた(クレイジー=レフト・アイ、セクシー=チリ、クール=Tボズ)ように見せて、実はこれはひとりの女性に内包するすべての要素なんだということを生前のレフト・アイが述べている。

このように三者三様の個性を巧みに音楽にも採り入れ演出していたことは、特に同性の支持を得る要素になっていたのかもしれない。もちろん『クレイジーセクシークール』のメガセールスは、1990年代における最先端のコンテンポラリー・ミュージックを高い次元で体現していたから、という点に行きつくのは間違いないのだが。

ヒップホップソウルのトップに据えようとした送り手の意図


ファーストアルバムが成功し、レーベル側としては絶対に失敗できないセカンドを制作するにあたって、とった手法は “ヒップホップソウル” の最高傑作を呈示しようというものだった。

1994年といえばアン・ヴォーグ、メアリー・J.ブライジ、SWV等々らを中心とした “ヒップホップソウル” が大衆音楽のメインストリームに鎮座していた時代。ますますその存在感を増大させるのかという勢いの “ヒップホップソウル” にさらにアプローチするのはごく自然なことだっただろうし、トレンドセッターになりつつあったTLCをこの分野のトップに据えようという送り手側の意図は、当然かつ賢明な判断だったのではないだろうか。

逆にいえばTLCは、そうするに値する実力とアーティスト性を備えていたのだろうし、ファースト大成功後の世間の雰囲気が後押ししていたのは間違いない事実だ。もちろんアン・ヴォーグ〜TLCブレイク後に雨後の竹の子のごとく出現したガールズグループを一気に駆逐し、トップに君臨しようという、送り手側の真の目論見は結果的に成し遂げられたわけだが。

リリース30周年を迎えるTLCの最高傑作「クレイジーセクシークール」


アルバム制作にあたってレーベル / マネジメント側は、その時点で最大級に考えうる旬のプロデューサー陣をTLCにあてがう。最もキモとなるシングル作品に関しては、デビューから蜜月関係を築いていたダラス・オースティンが「クリープ」を手掛けて、これぞ最高峰のヒップホップソウルを呈示、見事初の全米ナンバーワンに仕立て上げる。

トッププロデューサーに君臨するベイビーフェイスは、珠玉のメロディラインを擁するエヴァーグリーンな「レッド・ライト・スペシャル」及び「ディギン・オン・ユー」を盤石のトップ10ヒットに。アウトキャストやグッディ・モブを成功に導いた新進プロデューサーチーム、オーガナイズド・ノイズは、ヒップホップ感覚を持った有機的ルーツソウルともいえる「ウォーターフォールズ」を制作、グループにとって2曲目の全米ナンバーワンをもたらした。





アルバム中ではジャーメイン・デュプリ、チャッキー・トンプソン、パフ・ダディなどといった、特Aクラスの “ヒップホップソウル“ プロデューサーを惜しげもなく投入、結果として1990年代屈指のコンテンポラリー・ソウルの大傑作アルバムが誕生した。TLCの最高傑作アルバムが『クレイジーセクシークール』であるというのは、揺るぎない事実なのだ。

今回の来日に際して、アルバムリリース30周年を記念した単独公演も行われた。デビューから30数年を経て、TLCはまだまだ意気盛んということか。



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2024.03.20
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カタリベ
1962年生まれ
KARL南澤
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