1977年 9月5日

ピンク・レディー「ウォンテッド」の歴史的意義、それって日本語ラップの元祖なの?

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ピンク・レディーのシングル「ウォンテッド(指名手配)」がリリースされた日
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ピンク・レディーの楽曲は、視覚的に聴覚的に印象に残る仕掛けが盛りだくさん!


1977年9月5日に発売された「ウォンテッド(指名手配)」は、ピンク・レディーにとって初のミリオンセラー(オリコン調べ ※前作の「渚のシンドバッド」がミリオンセラーになったのは、「ウォンテッド(指名手配)」がミリオンを達成したあとである)である。

オリコンのウィークリーチャートで12週連続1位。セールスでは同年の『日本レコード大賞』受賞曲である沢田研二の「勝手にしやがれ」を上回っていた。世の中が彼女たちの社会現象ともいえる人気をリアルに実感した曲だったともいえる。

ピンク・レディーのシングルA面曲は、ディレクターの飯田久彦、作詞家の阿久悠、作曲家の都倉俊一、振り付け師の土居甫、衣装デザイナーの野口庸子といった精鋭スタッフにより、様々なアイキャッチやフックが設定されているのが常だった。

たとえば「ウォンテッド(指名手配)」の場合──
・タイトルの「指名手配」という禍々しい漢字
・ヘアバンドに装着した羽飾り
・ミイ(当時はミー)とケイが向かい合ってお互いに差し出したマイクで歌う冒頭パート
・谷啓のアクションを彷彿させる「ウォンテッド!」の振り付け
・異なるいくつもの曲調の組み合わさった構成

視覚的に聴覚的に印象に残る仕掛けが盛りだくさんである。さらに、これらに加え、「ウォンテッド(指名手配)」には日本の音楽史において極めて重要な要素が内包されている。

注目したい “多羅尾伴内” のオマージュ的パート


曲中、かつて片岡千恵蔵が主演した映画『多羅尾伴内』シリーズのオマージュ的なパートがある。「ある時 謎の運転手」で始まり「あいつはあいつは大変装」で終わるあの部分である。ここでは便宜上、それを「多羅尾伴内パート」と呼称したい。

『多羅尾伴内』シリーズは、“七つの顔の男” こと藤村大造(片岡千恵蔵)が、私立探偵・多羅尾伴内など様々な人物に変装して事件を解決に導く物語である。毎回、藤村はクライマックスで「あるときは●●●●、またあるときは□□□□、またあるときは◎◎◎◎◎、しかしてその実体は……」と、悪者に自分が変装したキャラを全部アピールした上で正体を明かす。悪者はそれを黙って聞いている。「多羅尾伴内パート」の元ネタはそれである。

『多羅尾伴内』シリーズが制作されたのは主に1940年代後半から1950年代なので、ピンク・レディーの主要ファン層は映画を観ていない。「多羅尾伴内パート」の歌詞は映画を知る年代の大人たちを狙ったフックだったのかもしれない。ただ、その点はここで述べたいこととあまり関係がない。

関係があるのは歌詞ではなく手法である。可能ならば、当該曲の「多羅尾伴内パート」をサブスクなりCDなりで確認して欲しい。曲が始まってから53秒後ぐらいに始まる。そこでは、昭和のポピュラー音楽の歴史において特筆すべき事件が起きているのだ!

以下は、「ウォンテッド(指名手配)」の「多羅尾伴内パート」を確認してから、読み進めることを推奨したい。

ラップ的な手法で表現されていた「ウォンテッド」


…… さて、「多羅尾伴内パート」をご確認いただけただろうか? 音源ではミイとケイの声が加工されているが、そこもあまり重要ではない。

お気づきの方も多いだろう。「ある時 謎の運転手」「ある時 アラブの大富豪」「ある時 ニヒルな渡り鳥」といった一連のフレーズはいずれもラップ的な手法で表現されているのだ。いささか思い切って断言すると、ピンク・レディーはラップをやっていたのである。

「日本初のラップ」「日本語ラップの元祖」にはいろいろな説がある。

・吉幾三のシングル「俺ら東京さ行ぐだ」(1984年11月)
・佐野元春のアルバム『VISITORS』(1984年5月)及び、そこからシングルカットされたシングル「COMPLICATION SHAKEDOWN」(1984年6月)
・山田邦子のシングル「邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)」(1981年12月)
・イエロー・マジック・オーケストラのアルバム『BGM』に収録の「RAP PHENOMENA / ラップ現象」(1981年3月)
・スネークマンショーのアルバム『スネークマン・ショー SNAKEMAN SHOW』に収録の「咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3」(1981年2月)

これらが日本におけるラップの嚆矢として指摘されている作品群だ。最先端の音楽を追求していたであろうYMO(※「RAP PHENOMENA/ラップ現象」の歌詞は英語である)や、佐野元春のみならず、コミックソングの文脈でもラップ的な表現が取り入れられていた点は興味深い。

また、スネークマンショーの3ヶ月前、1980年12月にリリースされたザ・ドリフターズのシングル「ドリフの早口ことば」を元祖日本語ラップとする向きもある。

ミイとケイが魅せた先進的かつ先鋭的なパフォーマンス


いずれにしても、これらはすべて1980年代の楽曲ばかりである。これに対し、ピンク・レディーの「ウォンテッド(指名手配)」が世に出たのは、前述の通り1977年9月。しかもミリオンセラー、12週連続1位、『紅白歌合戦』でも歌われた国民的大ヒット曲なのだ。

ピンク・レディーのクリエイターたちは、常に先進的、先鋭的なことを取り入れようとしていた。そして、ミイとケイの2人はいつもそれを最大限のかたちで具現化したパフォーマンスをみせていた。

だからこそ、女子小中学生を中心とした多くのファンが“ピンク・レディーのようになりたい”と願い、楽曲の歌詞、メロディ、振り付けを必死に覚え、その成果を学校や自宅、公園や空き地で披露していた。「ウォンテッド(指名手配)」がヒットした頃は、日本中の至るところで子供たちが「ある時 謎の運転手!」「ある時、アラブの大富豪!」とやっている光景が見られた。つまり、今から45年前の日本ではラップが…… 少なくともそれに近いものが流行っていたのである。

ピンク・レディー、時代を先取りするにもほどがある!

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2022.09.15
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