1977年 9月5日

ピンク・レディー伝説「ウォンテッド」国民的ヒットに潜んでいた時代先取りの日本語ラップ

133
1
 
 この日何の日? 
ピンク・レディーのシングル「ウォンテッド(指名手配)」発売日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます
▶ アーティスト一覧

 
 1977年のコラム 
人食い屋敷「HOUSE ハウス」ゴダイゴのピアノと池上季実子の片乳シーン

古今東西【野球ソング・ベスト5】矢野顕子が惚れ込んだ巨人史上最強の五番打者とは?

祝『T2』公開決定!イギ-・ポップの名曲「ラスト・フォー・ライフ」

ピンク・レディー「ウォンテッド」歌も振り付けも一変!3分間に詰め込まれた恋の追跡劇

昭和〜平成〜令和を貫く【中島みゆきの卓越した普遍性】実はシングルアーティスト⁉

寅さんが金田一耕助? 昭和の大ヒット映画「八つ墓村」流行語にもなった “たたりじゃ〜”

もっとみる≫




ピンク・レディー伝説
Legend 05「ウォンテッド(指名手配)」

作詞:阿久悠
作曲:都倉俊一
編曲:都倉俊一
発売:1977年9月5日

日本の音楽史において重要な要素が内包されている「ウォンテッド(指名手配)」


1977年9月5日に発売された「ウォンテッド(指名手配)」は、ピンク・レディーにとって初のミリオンセラー。オリコンのウィークリーチャートでは12週連続1位。セールス面では同年の第19回『日本レコード大賞』受賞曲である沢田研二の「勝手にしやがれ」を上回っていた。ちなみに、前作の「渚のシンドバッド」がミリオンセラーになったのは「ウォンテッド(指名手配)」がミリオンを達成した後のことなのである。

社会現象ともいえる彼女たちの人気を、世の中がリアルに実感した曲だったともいえる。ピンク・レディーのシングルA面曲は、ディレクターの飯田久彦、作詞家の阿久悠、作曲家の都倉俊一、振り付け師の土居甫、衣装デザイナーの野口庸子といった精鋭スタッフにより、様々なアイキャッチやフックが設定されているのが常だった。たとえば「ウォンテッド(指名手配)」の場合ーー

▶︎ タイトルの「指名手配」というまがまがしい漢字
▶︎ ヘアバンドに装着した羽飾り
▶︎ ミイとケイが向かい合ってお互いに差し出したマイクで歌う冒頭パート
▶︎ 谷啓のアクションを彷彿させる「♪ウォンテッド!」の振り付け
▶︎ いくつもの異なる曲調が組み合わさった構成

視覚的にも聴覚的にも印象に残る仕掛けが盛りだくさんである。そしてさらに、この「ウォンテッド(指名手配)」には日本の音楽史において極めて重要な要素が内包されているのである。

昭和のポピュラー音楽の歴史において特筆すべき、多羅尾伴内のオマージュ


曲中、かつて片岡千恵蔵が主演した映画『多羅尾伴内』シリーズのオマージュ的な要素がある。「♪ある時 謎の運転手」に始まり「♪あいつはあいつは大変装」で終わるあのパートである。ここでは便宜上、それを “多羅尾伴内パート” と呼称したい。

『多羅尾伴内』シリーズとは、“七つの顔の男” こと藤村大造(片岡千恵蔵)が、私立探偵・多羅尾伴内など様々な人物に変装して事件を解決に導く物語である。毎回、藤村はクライマックスで、《あるときは●●●●、またあるときは□□□□、またあるときは◎◎◎◎◎、しかしてその実体は……》と、悪者に自分が変装したキャラを全部アピールした上で正体を明かす。 “多羅尾伴内パート” の元ネタはそれである。

『多羅尾伴内』シリーズが制作されたのは主に1940年代後半から1950年代なので、ピンク・レディーの主要ファン層はこの映画を観ていない。“多羅尾伴内パート” の歌詞は映画を知る年代の大人たちを狙ったフックだったのかもしれないが、その点はここで述べたいこととあまり関係がない。関係があるのは歌詞ではなく手法である。可能ならば、当該曲の “多羅尾伴内パート” を確認して欲しい。曲が始まってから53秒後ぐらいに始まる。そこでは、昭和のポピュラー音楽の歴史において特筆すべき事件が起きているのだ!



ラップ的な手法で表現されていた「ウォンテッド」


さて、“多羅尾伴内パート” をご確認いただけただろうか? 音源ではミイとケイの声が加工されているが、そこもあまり重要ではない。お気づきの方も多いだろう。

 ある時 謎の運転手
 ある時 アラブの大富豪
 ある時 ニヒルな渡り鳥

—— といった一連のフレーズはいずれもラップ的な手法で表現されているのだ。いささか思い切って断言すると、ピンク・レディーはラップをやっていたのである。ただし、日本初のラップ、日本語ラップの元祖には以下のようないろいろな説がある。

▶︎ スネークマンショーのアルバム『スネークマン・ショー SNAKEMAN SHOW』に収録の「咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3」(1981年2月)

▶︎ イエロー・マジック・オーケストラのアルバム『BGM』に収録の「RAP PHENOMENA / ラップ現象」(1981年3月)

▶︎ 山田邦子のシングル「邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)」(1981年12月)

▶︎ 佐野元春のアルバム『VISITORS』からシングルカットされた「COMPLICATION SHAKEDOWN」(1984年6月)

これらが日本におけるラップの嚆矢として指摘されている作品群だ。最先端の音楽を追求していたであろうYMOや佐野元春のみならず、コミックソングの文脈でもラップ的な表現が取り入れられていた点は興味深い。また、スネークマンショーの3ヶ月前、1980年12月にリリースされたザ・ドリフターズのシングル「ドリフの早口ことば」を元祖日本語ラップとする向きもある。

ミイとケイが魅せた先進的かつ先鋭的なパフォーマンス


いずれにしても、これらはすべて1980年代の楽曲ばかりである。これに対し、ピンク・レディーの「ウォンテッド(指名手配)」が世に出たのは、前述の通り1977年9月。しかもミリオンセラー、12週連続1位、『第28回NHK紅白歌合戦』でも歌われた国民的大ヒット曲なのだ。

ピンク・レディーのクリエイターたちは、常に先進的、先鋭的なことを取り入れようとしていた。そして、ミイとケイの2人はいつもそれを最大限のかたちで具現化したパフォーマンスを見せていた。だからこそ、女子小中学生を中心とした多くのファンが、ピンク・レディーのようになりたいと願い、楽曲の歌詞、メロディ、振り付けを必死に覚え、その成果を学校や自宅、公園や空き地で披露していた。

「ウォンテッド(指名手配)」がヒットした頃は、日本中の至るところで子供たちが「♪ある時 謎の運転手」「♪ある時 アラブの大富豪」とやっている光景が見られた。つまり、約半世紀前の日本のストリートではラップが…… 少なくともそれに近いものが流行っていたのである。ピンク・レディー、時代を先取りするにもほどがある!


Previous article:2022/9/15

▶ ピンク・レディーのコラム一覧はこちら!



2026.08.24
133
  Songlink
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。
カタリベ
ミゾロギ・ダイスケ
コラムリスト≫
58
2
0
2
6
未唯mie × T-GROOVE【50周年対談 前編】世界基準だったピンク・レディーのディスコサウンド
カタリベ / Re:minder 編集部
62
1
9
7
8
ピンク・レディー伝説「モンスター」時代の怪物になった2人へ贈った阿久悠の優しきエール
カタリベ / 田中 稲
135
1
9
7
6
ピンク・レディー伝説「ペッパー警部」背水の陣でデビューをつかんだミイとケイの逆転戦略
カタリベ / 指南役
125
1
9
7
8
キャンディーズ「微笑がえし」突然の解散宣言からの全キャン連宣言
カタリベ / 指南役
154
1
9
7
7
ピンク・レディー伝説「渚のシンドバッド」早くもミリオン達成!ブームが爆発した1977年の夏
カタリベ / チェリー|昭和TVワンダーランド
66
1
9
7
6
昭和歌謡を代表する作詞家「阿久悠」と 国民的アイドル「ピンク・レディー」の誕生!
カタリベ / 鈴木 啓之