チャート1位を獲得した「わかれうた」は1977年にリリース
今やシンガーソングライター界の女王として、ユーミンこと松任谷由実と共に君臨している中島みゆき。詞も曲も歌声も他の追随を許さない圧倒的な存在として神々しささえ感じさせるほどだが、一方で変わらず親しみ深くもあるのは、ラジオパーソナリティーとしての彼女を知っているからだ。
1975年5月、ヤマハ主催の『第9回ポピュラーソング・コンテスト』で入賞し、同年9月に「アザミ嬢のララバイ」でデビューした時をリアルタイムで知ったものはまだ少なかっただろう。10月の『第10回ポピュラーソング・コンテスト』に出場して「時代」でグランプリを受賞、さらに翌月の『第6回世界歌謡祭』でもグランプリを受賞したことで注目される。とはいえ、まだ全国区の人気ではなかった。
その名が広く知られるようになるのは、やはり1977年9月に発売され、12月に入ってからチャート1位を獲得する大ヒットとなった「わかれうた」からであろう。桜田淳子に提供した「しあわせ芝居」(同年11月リリース)のヒットと連動するような形になったのは、ユーミン初の大きなヒット「あの日にかえりたい」が、彼女がバンバンに提供した「『いちご白書』をもう一度」と同時期にヒットチャートに上がった構図に少し似ている。あの頃、「わかれうた」はやたらとラジオから聴こえてきた記憶がある。
続いて出されたシングル「おもいで河」「りばいばる」「かなしみ笑い」は惜しくもトップ10には入らなかったもののスマッシュヒット、そして1980年10月に9作目のシングルとして出された「ひとり上手」が再びトップ10ヒットとなる。その間、1979年4月にニッポン放送で『中島みゆきのオールナイトニッポン』がスタートしている。70年代が終わり80年代へ、時代の替わり目でもあった。
歌世界からは想像もつかないようなギャップの「オールナイトニッポン」
月曜日深夜25時、周波数1242kHz(1978年に1240kHzから移行)のニッポン放送にチューナーを合わせると、飛び込んできたのは早口で明るく話すハッチャけたみゆきさん。憂いを帯びた歌世界からは想像もつかないようなギャップに驚きつつ、毎週聴かずにはいられなくなる。なんともクセになる放送であった。“家族の肖像” “大嫌いだ” などの名物コーナー、ハガキを読まれると “みゆきのあくしゅ券” がもらえた。あくまでもアルバムを主軸としたシンガーでありながらもシングルヒットを連発していたのは正しくその頃だった。
「ひとり上手」の次の「あした天気になれ」こそチャート25位に留まったものの、「ひとり上手」からちょうど1年後の1981年10月にリリースされた「悪女」が「わかれうた」以来のナンバーワン・ヒットを記録する。それまでのシングル曲で最もキャッチーで魅力溢れるメロディーで、その後、平山みきや中森明菜ら多くのアーティストにカバーされている。デビュー曲「アザミ嬢のララバイ」から作品を手がけていた船山基紀のアレンジが秀逸である。
「ザ・ベストテン」にも頻繁にランクイン
大きなヒットはさらに続き、次作の「誘惑」は「悪女」に勝るとも劣らないような華やいだメロディーの佳曲でチャート2位に輝く。やはり船山のアレンジだった。このリリースが1982年の4月だから、いわゆる “花の82年組” のアイドルたちが続々とデビューし、それ以前から活躍していた松田聖子や田原俊彦、近藤真彦らが次々にヒットを飛ばしていた頃。中島みゆきはあえて出演しなかったが、TBS『ザ・ベストテン』にも頻繁にランクインしていた。アルバム『臨月』や『寒水魚』をヒットさせる中でも、シングルが際立っていた印象がある。
続く「横恋慕」は9月にリリースされてやはり2位を記録するヒットに。軽やかなメロディーにヴォーカルも弾む。途中から雰囲気がガラリと変わる流麗なサビの美しさが印象に残る傑作だ。ここまでが3作連続となる船山アレンジで、それから約1年ぶり、1983年10月リリースの「あの娘」では井上堯之がアレンジを担当した。女性の名前が羅列され、ちょっとコミカルな味わいもある楽曲に対し、適度なノヴェルティ感をもたせた実に的確なアレンジであったと思う。やはり変化球ともいうべき後の「ファイト!」も井上のアレンジと聞けば合点がいく。この頃が中島みゆきが最も歌謡曲に寄り添っていた時期ではなかったか。オリジナル・アルバムに未収録だった「誘惑」「横恋慕」「あの娘」は三部作と呼ばれてファンからも愛されている。
その後、瀬尾一三がアレンジを手がけるようになってからの1990年代の作品、「浅い眠り」や「空と君のあいだに」では曲もヴォーカルも凄みを増し、さらに2000年代に入ると、壮大なスケールの「地上の星」や「銀の龍の背に乗って」で頂点を極めた感がある。近年では、2023年に公開されたアニメーション映画「アリスとテレスのまぼろし工場」の主題歌として自身初となるアニメソング「心音」を書き下ろした。
20年以上の歳月を経てスタンダード化した「糸」の存在も大きく、中島みゆきは、もはや神の領域に到達している。だからこそ、1980年代のラジオパーソナリティーとしての活躍や、並行して連ねたポップなシングルヒット曲群もたまらなく愛おしい。
昭和〜平成〜令和を貫く中島みゆきの卓越した普遍性。"私の声" は今もしっかりと聞こえています。
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2024.02.23