歌う力士を育てた、大相撲独特のタニマチ文化
歌のうまい力士は多い。先日引退したが、関脇までいった勢が歌う演歌は玄人はだしだった。白鵬や高安も福祉大相撲などで歌を披露しているが、思わず聴きほれてしまうほど上手だった。
なぜ力士は歌がうまいのか。体の重心が低くて安定しているから…… という説が有力のようだが、大相撲独特のタニマチ文化も影響しているのではないか。タニマチに連れられ、夜の街に繰り出す力士たち。そりゃ、ひたすら飲んで食べて「ごっつぁんです」と帰るわけにもいかないだろう。タニマチにせがまれ、喉を披露する機会が増えて歌唱力が鍛えられていく…… と、タニマチにはなれない、単なる大相撲ファンの私はそう睨んでいる。
歌う力士。そう聞いて、50代以上の人々が真っ先に思い浮かべるのが、増位山太志郎ではないだろうか。1974年にリリースした「そんな夕子にほれました」がスマッシュヒット。さらに、77年8月にリリースした「そんな女のひとりごと」がロングヒットとなり、78年の日本有線大賞のベストヒット賞と有線音楽賞を受賞している。
切ない女心を歌う、増位山太志郎「そんな女のひとりごと」
「そんな夕子にほれました」では、薄幸なホステス夕子を愛しく思う男心を歌っていた増位山。「そんな女のひとりごと」では、夕子側の視点というべきか、初めてのクラブ勤めに戸惑いながら、遊び人のお客に惚れてしまった切ない女心を歌っている。
お店のつとめは はじめてだけど
真樹さんの 紹介で
あなたの 隣りに座ったの
あそびなれてる 人みたい
ボトルの名前で わかるのよ
そんな女の ひとりごと
ボトルの名前で遊び人かどうかわかるってどういうこと? と思ったが、まあそれはよし。「♪真樹さんの 紹介で」のとこが、この曲のフックになっていることが一聴するとよーくわかる。ちなみに2番には “ユミさん”、3番には “奈美さん” と、別の先輩ホステスが登場。70年代は、“そんな夕子” 以外にも「昔の名前で出ています」「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」など、名前を入れる曲が流行ったので、そのあたりを意識したのだろう。
大相撲の世界に感じる色気、ムード歌謡が思いっきりハマる理由とは
とにかく増位山の声が甘い、甘すぎる。糖度が高い。マキタスポーツ曰く、「声の糖尿病」。マスクも甘い。ついでに、髷から漂うびんつけ油の香りも甘い。こんな人気力士に赤坂あたりのクラブで歌われたら、タニマチでなくとも財布の紐がゆるむというものだ。
伝統と勝負の世界でありながら、大相撲の世界にどこか色気を感じるのは、こうしたタニマチ文化が大きく関係していると思う。だから、ネオン街やクラブを舞台にしたムード歌謡が思いっきりハマる。
そうそう増位山、相撲がちゃんとうまかったことも書いておかなければ。内掛け外掛けといった足技が得意で、5回も技能賞を獲得し、大関まで昇りつめている。歌も相撲もテクニシャンだったのだ。
力士の歌番付、東の横綱が増位山なら、西の横綱は琴風
当時の力士の歌番付で、増位山を東の横綱とするなら、西の横綱は間違いなく琴風豪規(現・尾車親方)だろう。1982年10月に琴風がリリースしたシングル「まわり道」は、ロングヒットになっている。
ムード歌謡の増位山に対して、演歌の琴風。共通しているのは、決して声を張らずに歌っていること。これ見よがしの熱唱は野暮、さりげないのが力士の粋なのかもしれない。さらに琴風も大関まで昇りつめている。
だが、1985年に日本相撲協会が力士の芸能活動やCM出演等の副業を禁止(その後、CM出演は解禁されている)。「本業の相撲に専念しろ」ということなのだが、テレビで力士の歌を聴く度に、ちょっともったいないなぁと思ったものだ。
おまけに今では、コロナ禍で力士とタニマチが夜の街に繰り出すことも許されない。こっそり飲みに行こうものなら、長期の出場停止が下される。これじゃあ、力士の喉も鍛えられないよね。「そんなことより相撲で鍛えろ」なんて、野暮は言いっこなしですよ。
2021.07.19