1996年 10月7日

世代を越えた共感!PUFFY「これが私の生きる道」新しい年にふさわしい90年代の名曲

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作詞・作曲ともに奥田民生が手掛けた「これが私の生きる道」


1996年5月に「アジアの純真」でデビューしたPUFFYは、このシングルとアルバム『amiumi』1枚だけの短期ユニットとなるはずだったという。しかし、「アジアの純真」の大ヒットによってプロジェクトが継続されることになり、第2弾シングルとして同年10月に発表されたのが「これが私の生きる道」だった。

新しい年にふさわしい90年代の名曲ということで、今回はこのPUFFYのセカンドシングルについて書いていきたい。

「アジアの純真」は作詞を井上陽水が担当したことも話題になったが、PUFFYは本質的には奥田民生プロデュースのプロジェクトだった。そしてセカンドシングル「これが私の生きる道」では、作詞・作曲ともに奥田民生が手掛けて楽曲が制作された。

推測だけれど、奥田民生がセカンドシングルに井上陽水を起用しなかったのは、意表をついた言葉の組み合わせで強烈な印象を生み出していく「アジアの純真」のインパクトを引きずり過ぎないことを奥田民生が意識したからかもしれない。4枚目のシングル「渚にまつわるエトセトラ」(1997年12月)では再び井上陽水が作詞をしているが、あえてシングル2曲分の間隔を空けていることにひとつの意図がありそうな気がする。もしかしたら単に、井上陽水が短時間に続けて詞を書けないという理由だったのかもしれないけれど。

その後のPUFFYの可能性を大きく広げるために重要な意味があった作品


しかし、セカンドシングル「これが私の生きる道」が「アジアの純真」とは違う表情をもつ作品になったということが、その後のPUFFYの可能性を大きく広げるために重要な意味があったんじゃないかとも感じている。

「アジアの純真」はロックンロールをベースとしながらも、テクノ的な味付けがあったり、オリエンタルなテイストを取り込むなど、1990年代という時代とのフィット感を意識した音作りをしているという印象があった。



これに対して「これが私の生きる道」は、よりルーツ的なロックンロール、もっと言えばビートルズ・サウンドを強く意識したストレートなビートポップスになっている。編曲はどちらも奥田民生で、演奏も同メンバーだから、サウンドのトーンが変わったわけではない。



ベーシックなロックンロールへの強烈なこだわり


けれど2曲を聴き比べると、同じロックンロールでありながら、「アジアの純真」の演奏にはどこかコンテンポラリーな聴こえ方を意識しているような匂いを感じるのに対して、「これが私の生きる道」には、今の時代に受けるかはさておいて、奥田民生が好きなルーツサウンドへのオマージュに思い切り振り切った、いわば普段着のままの音づくり、というニュアンスを感じるのだ。

例えば「デイ・トリッパー」(1965年)を彷彿させる印象的なギターリフをはじめ、ビートルズの初期から後期サウンドのコラージュとも思える演奏からは、まさにベーシックなロックンロールへの強烈なこだわりが伝わってくる。

こうしたサウンドづくりの姿勢は、小室サウンドに象徴されるデジタルポップスが一世を風靡していた1990年代後半のシーンでは、逆に新鮮な魅力を感じさせるものだった。さらに奥田民生は、この曲のレコーディングではモノラルにこだわったともいう。ステレオによる立体的な音像づくりが当たり前の時代に、あえて音をひとつに固めて音圧で勝負する1960年代のシングルを彷彿とするサウンドを意識することで、「これが私の生きる道」を単なるロックンロール・オマージュを越えた “ホンモノ” に近づけようとするとともに、楽曲をこの時代に強いインパクトを与えるものにする効果を意識していたのは確かだろう。 

「これが私の生きる道」で表現されている女性の生き方


極端な言い方をすれば、どこかシュール感がある「アジアの純真」の方向に走り過ぎてしまえば、その後のPUFFYに “企画もの” の匂いが付きまとってしまう危険もあっただろう。

短期プロジェクトであればそれでもいいだろうが、彼女たちがアーティストとして活動を継続していくのであれば、その音楽的な素性をどこかで示しておく必要がある。だから奥田民生は、セカンドシングルとしてルーツサウンドを強調した「これが私の生きる道」を置くことで、PUFFYの音楽的原点を印象付けて彼女たちをアーティストとして認知させる狙いがあったのかもしれないとも思う。

そんなPUFFYの “素” を見せようという意識は歌詞の部分でも感じられる。「アジアの純真」の歌詞は、まさに井上陽水の言葉遊び、連想ゲーム的言葉のセンスが光るもので、それを彼女たちがあっけらかんと歌うことで、新鮮でキャッチーな魅力を感じさせる曲だった。

それに対して「これが私の生きる道」の歌詞のテーマは、タイトルからもわかるように “自分たちの生き方” だ。それも歌っているのがPUFFYのふたりなのだから、ここで表現されているのが “女性の生き方” なのだと受け取るのが自然だろう。

元ネタはハナ肇とクレージーキャッツの「これが男の生きる道」


ちなみに「これが私の生きる道」というタイトルは、ハナ肇とクレージーキャッツのヒット曲「これが男の生きる道」(1962年)をヒントにしたという。

「これが男の生きる道」は、戦後復興期から成長期の推進力となった若いサラリーマンの悲哀をユーモラスに歌ったもの(作詞:青島幸男)。この曲を含めてクレージーキャッツの一連の曲は、コミックソングであると同時に社会風刺も感じさせるものが多く、その後のフォークソングの先駆けともいえる要素をもっていた。

これに対して「これが私の生きる道」が発表された1996年は、コギャルなど若い女の子のライフスタイルが大きくクローズアップされた時代だった。独特のファッションや言葉遣いなどがクローズアップされ、社会常識に欠けた軽薄な風俗的存在と批判的に語られる一方で、そのイメージを興味本位に拡散し、同時に商品として消費しようとしていった。

「これが私の生きる道」は、そんなふうに社会に色目で見られ、搾取されていた同時代の女の子たちの “自己肯定宣言” として聴くことができる作品だ。



周囲の雑音を気にせずに自分なりの生き方を貫いていけば、楽しい社会になる


「これが私の生きる道」の歌詞の奥には、今の自分たちが “若い女の子=もぎたての果実” だからチヤホヤされているに過ぎないとしても、これから先も自分たちを “もぎたての果実” と認識できる状態になれば肯定的に生き続けることができる。そんなメッセージがあるという気がする。

だから周囲の雑音を気にせずに自分なりの生き方を貫いていけば、きっともっと楽しい社会になる。そんな女の子たちの生き方を古びた常識で勝手に解釈して枠に閉じ込めようとする大人たちへのプロテストが「♪くれぐれもじゃましないでね」というフレーズに込められているとも思う。時代に対する批評眼をもったポップスという意味で「これが私の生きる道」は、「これが男の生きる道」の本質的コンセプトを1990年代に継承した曲とも言えるだろう。

さらに言えば、こうしたある意味で社会に啖呵を切るような曲を、PUFFYはまったく構えずに普段着の脱力状態でパフォーマンスすることで、メッセージのニュアンスをきわめてソフトに感じさせている。そこがこの曲の深いところだ。

性別や世代を越えた共感を得ることができた理由とは?


確かに90年代は、女性の社会進出も進み、男女雇用機会均等法も施行される状況にはなっていた。けれど社会的な男女差別意識はまだまだ大きく、セクハラ(セクシャル・ハラスメント)が社会問題になったり、性の商品化が問題視されはじめた時代でもあった。こうした状況に対して、PUFFYの2人も当事者として感じるところはかなりあったに違いない。

しかし彼女たちは、女性を取り巻く古い価値観と正面切って喧嘩をするのではなく、ナチュラルなライフスタイルの中に、自分でイニシアティブをとったしなやかな女性のビジョンを、あたりまえの生き方として表現してみせた。だから「これが私の生きる道」のメッセージは、性別や世代を越えた共感を得ることができた。

後の女性観にさまざまな影響を与えているPUFFYからのメッセージ


「これが私の生きる道」が投げかけたメッセージは、センセーショナルではないかもしれないけれど、その後の女性観にさまざまな影響を与えていると思う。

たとえば、星野夢奈の「男の子のために可愛いわけじゃない」(2023年)のように、女の子の “可愛さ” は男性を意識したことで生まれるものとは限らないということが平気で言えるようにもなってきているし、“女らしさ” という言葉の意味も、女性にとってよりポジティブに解釈できるようになりつつあるという気もする。

「これが私の生きる道」は、PUFFYの音楽的バックボーン、そして今の時代にも通用するメッセージの原点となる価値観を示したきわめて重要な楽曲なのだと思う。彼女たちのスタートラインにこの曲があったからこそ、PUFFYは今も高く評価されるアーティストとして活動を続けることが出来ているのかもしれない。

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2024.01.01
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カタリベ
1948年生まれ
前田祥丈
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