1996年 9月13日

玉置浩二の果てしない魅力!歌手として、アーティストとして、人間として

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シンガーソングライター玉置浩二。スタートは安全地帯のヴォーカリスト


9月13日は玉置浩二の誕生日。そのキャリアを振り返れば、彼は日本のシンガーソングライターのなかでもかなり特異な存在と言っていいんじゃないかと思う。

玉置浩二のことを知ったのは、もちろん安全地帯のヴォーカリストとして。安全地帯が北海道の旭川から上京してきたのは1981年のことだ。井上陽水のバックバンドとして活動しながら、1982年には玉置浩二作曲による「萌木色のスナップ」でレコードデビューするなど、自分たちのオリジナル作品も発表するようになる。

そして1983年の「ワインレッドの心」の大ヒットによって脚光をあびることになり、「恋の予感」(1984年)、「熱視線」「悲しみにさよなら」「蒼い瞳のエリス」(1985年)、「プルシアンブルーの肖像」(1986年)などヒット曲を連発していく。

大きかった井上陽水の影響


この頃の安全地帯には、最初の大ヒット曲「ワインレッドの心」(作詞:井上陽水、作曲:玉置浩二)をはじめ、井上陽水の陰が大きく感じられた。確かに、安全地帯というバンドの知名度を上げるために井上陽水のバリューに頼ったという側面もあったろうとは思う。

けれど、安全地帯には井上陽水とははっきりと違う存在感があった。とくに玉置浩二のヴォーカルには、井上陽水の “人をたぶらかすような妖しさ” とは違う、粘っこさと強烈な色気が感じられた。

このニュアンスの違いは、「ワインレッドの心」「恋の予感」といった井上陽水が作詞した曲を、井上陽水自身がセルフカバーしたアルバム『9.5カラット』(1984年)と聴き比べてみればわかるだろう。

さらに1986年8月20、21日に東京・神宮球場で行われた井上陽水と安全地帯のジョイントコンサート『スターダスト・ランデヴー井上陽水・安全地帯LIVE at 神宮球場』のためにつくられた「夏の終りのハーモニー」で、井上陽水とデュエットする玉置浩二が、井上陽水に引けを取らない堂々とした存在感を見せていることを感じてもらえるのではないかと思う。

そのヴォーカリストとしての魅力や作曲の感覚には素晴らしいものがあったけれど、同時に玉置浩二が見せる大胆なヘアスタイルやファッション、そして “恋多き男” としての側面にも注目が集まっていったことも覚えている。

こうした玉置浩二のユニークなキャラクターのいくばくかは、伝統のしがらみにとらわれることの少ない北海道人の特性という部分もあるかもしれない。しかし、その歌声から感じられる色気が音楽の範疇に止まらずに、スキャンダラスな男としての認知が広がっていったことは、その後の彼が音楽家として過小評価される風潮を生み、その後の玉置浩二のキャリアに大きな影響を与えたのではないかと言う気もする。

ソロアーティストとして


しかし、そんな “奔放な男” という印象とは裏腹に、玉置浩二の音楽への姿勢はきわめて真摯なものだった。

安全地帯としての活動は1988年に一度ストップし、その後再開、中断を繰り返しながら現在も活動が続けられている。そして安全地帯と並行して1987年に初のソロアルバム『All I Do』を発表、その後も『あこがれ』(1993年)、『カリント工場の煙突の上に』(1993年)と、ソロアーティストとしてのさまざまな可能性にアプローチする作品を生み出していった。

玉置浩二が安全地帯の作品として書いた楽曲には、バンドとして成功するためのキャッチーさ、を意識していることを感じさせることもあった。しかし、ソロ楽曲としての作品には。よりストレートに玉置浩二自身の “想い” が込められているのではないかと思う。

その意味で、安全地帯の楽曲はどちらかと言えば、バンドに曲を提供する作曲家として書かれたという傾向があるのではないか… とも感じる。それに対して、ソロの楽曲はまさにその時々の自分のために書かれた曲… というニュアンスが伝わってくるのだ。

存在感あふれるナンバーを凝縮したアルバム「CAFE JAPAN」


玉置浩二のソロアーティストとしての表現に対する試行錯誤が結実した作品だったのではないかと感じるのが、1996年に発表された5枚目のオリジナルソロアルバム『CAFE JAPAN』だ。

1990年代に入り、それまでの精力的な活動の反動なのか、心身ともに疲弊した状態になり、療養生活を送ったりもしていたという。しかし、そうした状況から抜け出して、前作『LOVE SONG BLUE』から約1年半後に発表されたのがこの『CAFE JAPAN』だった。

1曲目の「ファミリー」の冒頭には、コンサートが始まる前の会場のざわめきのような音が収められていて、これからライブが始まるのではないか、という雰囲気が広がる。そして司会に呼びこまれて玉置浩二が登場する。

そんな印象的なオープニングに続いて、スタンダードジャズのような4ビートの演奏に乗せて静かに、けれど圧倒的な存在感にあふれたヴォーカルがスタートする。

続くタイトルソングの「CAFE JAPAN」はやはりジャズテイストとソウルテイストにあふれたスウィングナンバー。

そんな思わず体が動きそうな軽快なサウンドに、徹底的な言葉遊びのような歌詞が大胆に乗っていく、やはりきわめて個性的なナンバーだ。

主演ドラマ主題歌にもなった「田園」に感じた玉置浩二と “歌” の距離感


そして3曲目に収められているのが、玉置浩二のソロの代表曲となる「田園」。玉置浩二が主演したテレビドラマ『コーチ』の主題歌として先行シングルリリースされている、エネルギッシュにひたむきな想いを伝えるメッセージソングだ。

「田園」を初めて聴いた時は、玉置浩二がこういう健全な歌を歌うんだ、という驚きと、ちょっとした違和感があった。それは僕自身が、“メディア” の噂によって刷り込まれた先入観に毒されていたせいだった。

「田園」からは、何度聴いても玉置浩二の “本気” が感じられたし、どこか斜に構えたような玉置浩二のパブリックイメージはそこにはまったく無かった。その素直さがとても印象的だったのだ。

1990年代に入った頃の玉置浩二が公私ともに非常に困難な状況に立たされ、その困難を乗り越えてきたことを知って、『CAFE JAPAN』に込められた素直な “想い” が、辛い体験を経て彼の心の中から素直にうまれたものだということを納得した。

そして、玉置浩二が、かつてのフォークシンガーや吉田拓郎などに通じる、本人と歌の距離が非常に近い人であることを確信した。

キーボードとプログラミング以外の楽器は玉置浩二が演奏


玉置浩二に歌との距離がきわめて近い “シンガーソングライター” というイメージが持てなかったのは、ほとんどの楽曲を作曲してはいたものの、初期の井上陽水との共作をはじめ、作詞はほとんどプロの作詞家が手掛けていた時期があったからだと思う。

しかし、ソロアーティストとして作品に向き合うようになってからの玉置浩二は、次第に作詞の面でも “自分の言葉” で表現をするようになっていった。そして『CAFE JAPAN』でも共作の形こそ多いものの、ほとんどの歌詞を玉置が手掛けていた。

本人と歌詞との距離がきわめて近いメッセージソングが多いにも関わらす『CAFE JAPAN』にベタなイメージが無いのは、冒頭のジャジーなサウンドアプローチの部分でも触れたけれど、サウンドのふり幅が非常に大きくて、その豊かな音楽性で聴き手を飽きさせないからだ。

ジャジーな「ファミリー」「CAFE JAPAN」に続く「田園」はウエストコーストのテイストがあるし、他にもブルース、フォーク、ロックンロール、ソウルなど、バラエティあふれるサウンドが次々と飛び出してくる。

しかも、それがとって付けた借り物ではなく、もともと玉置浩二の中で血肉化されているサウンドとして伝わってくる。だから、歌詞だけでなくサウンドそのものに説得力があるのだ。

さらに、このアルバムではキーボードとプログラミング以外の楽器はすべて玉置浩二自身が演奏しているという。

ファンの期待を裏切らないレジェンドアーティスト


このアルバムに感じる、バラエティがありながらどこかプライベートな気配、洋楽的エッセンスに忠実でいながらどこかアヴァンギャルドな匂いもするセンス、そして玉置浩二という人そのものが伝わってくる実感も、そうした徹底的に自分に寄せたアルバムのつくり方から生まれたものなのかもしれないと思う。

もちろん玉置浩二の歌唱の素晴らしさも忘れてはいけない。けっしてシャウト一辺倒ではなく、さまざまなヴォーカルスタイルによって、それぞれの歌の “想い” を的確に伝えていく。やっぱり素晴らしい。

2000年代に入って、玉置浩二はマスメディア的には “知る人ぞ知る” アーティストとして扱われてきたような気がする。けれど、彼のライブはいつだって熱心なファンでいっぱいになり、熱気にあふれたクオリティの高いステージは、ファンの期待を裏切ることは無かったのだ。

だからこそ、ここに来て玉置浩二が “レジェンド” として脚光を浴びているのは嬉しい。

けれど、それでもあえて言うとすれば、この間の “玉置浩二再評価” が歌手としての素晴らしさに寄り過ぎているのではないか、ということ。歌手としての玉置浩二が素晴らしいのは言うまでもない、ということを大前提として、玉置浩二の音楽的センス、アーティストとしての力量がもっとしっかり評価されていいのではないか… と思うのだ。

『CAFE JAPAN』のカラフルさと自然体との絶妙なバランスにこそ、玉置浩二のアーティストとしての真髄がある。そんなことを改めて感じた。

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2022.09.13
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カタリベ
1948年生まれ
前田祥丈
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