1996年 10月10日

テレビ史上最も有名なローカル番組「水曜どうでしょう」今なおダマされ続ける大泉洋!

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北海道テレビのバラエティ深夜番組「水曜どうでしょう」放送開始日(9日深夜)
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新・黄金の6年間 ~vol.16
■ 「水曜どうでしょう」
放送開始:1996年10月9日


僕らが思っているイメージと、真実が異なるケースは意外と多い


イメージと真実が異なるケースがある。

例えば―― 阪神タイガースのフランチャイズ(本拠地)は大阪府じゃない。兵庫県だ。リーグ優勝の瞬間、あんなに大阪・道頓堀にファンが集まりながら、タイガースの地元は兵庫県なのだ。浪速っ子はお隣さんでしかない。大阪府がフランチャイズの球団は、オリックス・バファローズである。

また、ウルトラシリーズ第4作目の『帰ってきたウルトラマン』は、本当は “帰ってきて” いない。彼(ウルトラマンジャック)は、初代ウルトラマンとは別人である。デザインも微妙に異なるし、明らかに「地球の皆さん、はじめまして」だ。本来なら「はじめましてウルトラマン」が正しい。

80年代末に活躍した国民的美少女・後藤久美子―― ゴクミは『国民的美少女コンテスト』の出身者じゃない。1987年の第1回の優勝者は藤谷美紀である。同コンテストは、芸能事務所のオスカープロモーションが “第二の後藤久美子を探せ” というコンセプトのもとに始めたコンテストだった。

イギリスの特撮人形劇『サンダーバード』の “みんな大好き2号” を操縦するバージルは、トレーシー家の5人兄弟の次男じゃない。三男である。1号を操るスコットが長男なのは言うまでもないが、次男は宇宙ステーションの5号に滞在し、地上からのSOSを受信して救助隊本部へ伝達するイケメンのジョンである。

―― かように、僕らが思っているイメージと、真実が異なるケースは意外と多い。あの番組もそうだった。今から27年前の1996年の今日―― 10月9日水曜深夜に始まった北海道テレビ(HTB)制作の『水曜どうでしょう』も、正確な放送時間は翌10日の0時50分から。つまり―― “木曜日” だった。本来なら「木曜どうでしょう」が正しい。同番組がタイトル通りの放送曜日になるのは、1998年4月に放送時間が23時25分に繰り上がって以降である。

日本のテレビ史上最も有名なローカル番組「水曜どうでしょう」


少々前置きが長くなったが、今回は―― そんな日本のテレビ史上最も有名なローカル番組とも言われる『水曜どうでしょう』(以下、『水どう』)の話である。なぜなら、同番組こそ、僕が当リマインダーで連載する「新・黄金の6年間」シリーズを象徴するコンテンツだから。

新・黄金の6年間―― それは、バブル崩壊後の1993年から98年までの6年間、主にエンタメ(音楽・ドラマ・バラエティ等)の分野で新参者たちが次々とビッグヒットを放った時代を指す。

そのキーワードは――「スモール」「フロンティア」「ポピュラリティ」だ。同時代の主役たちは、比較的小回りの利くチームで動き、新しい開拓地を求め、直接大衆に語りかけた。これを『水どう』に当てはめると、ローカル番組の低予算ゆえの出演者2人・スタッフ2人の最少ユニットはまさに「スモール」であり、ローカル番組なのに地元に執着せず、全国を旅する姿は「フロンティア」そのものであり、出演者が地元タレントと地元大学生ゆえの等身大の親しみやすさは「ポピュラリティ」―― 大衆性の極みだった。

『水どう』は当初、半年間のつなぎ番組という体で始まった。それまで同枠は、HTBの自局制作の深夜の帯番組『モザイクな夜V3』(月曜~木曜深夜)が放送されていたが、低俗すぎるという理由(AV女優のストリップの札幌公演に密着したり、大人のおもちゃを通販風に紹介したり… そんな番組だったそう)で突如打ち切り。翌年4月に新番組を立ち上げるまでの準備期間を埋める番組だった。そのため、前身番組から出演者やスタッフが一部居残り、水曜の深夜枠が与えられたという。

その居残った人々こそ、後に「どうでしょう班」と呼ばれる―― 鈴井貴之(企画・出演)、大泉洋(出演)、藤村忠寿(チーフディレクター)、嬉野雅道(カメラ担当ディレクター)の4人である。東京の番組では考えられないが、各回の企画から出演、撮影、編集、ナレーションまで全ての制作業務を、この4人で行うという。低予算のローカル番組ゆえの宿命だった。

ただ、この番組はそんな “カセ” を、むしろ楽しんでいた節すらある。番組モットーは「低予算」「低姿勢」「低カロリー」の3低。裏を返せば、予算内に収まれば、基本何をしてもいいスタンスだった。実際、同番組の開始にあたり、局の上層部が出した条件はただ1つ―― 「アーティストインタビュー」企画をやれ、と。それは、プロモーションの名目でレコード会社がアシ(交通費)とマクラ(宿泊費)を出してくれるから。そして、この “カセ” があの名企画を生むことになる――「サイコロの旅」である。

トーク力が買われ「水どう」の出演者に抜擢。当時大学生の大泉洋


それは、いきなり第1回の放送から始まった。番組の前半は、今は亡き東京・六本木プリンスホテルの一室を借りて、アン・ルイスのインタビューを実施。無事、それを終え、出演者の2人―― 鈴井貴之サンと大泉洋サンが同ホテルの外で一息ついている。ここで、同番組お馴染みの黒バックに縦書き・毛書体の白文字で「本題」とテロップが入る。まるで、ここまでは前フリと言わんばかりで、アンさんに大変失礼である(笑)。

改めて、この時点のお二人のプロフィールを紹介すると―― 後に番組で “ミスター” なる愛称で呼ばれる鈴井サンは、北海道赤平市出身のローカルタレント。劇団を主宰したり、芸能事務所を経営する一方、在札局のテレビ・ラジオ番組の出演・企画・構成を手掛けるなどマルチに活躍。この『水どう』も彼の発案だった。

一方の大泉サンは、なんとこの時、まだ北海学園大学に通う現役の大学生。演劇部(TEAM NACSのメンバーともここで出会う)に所属し、その縁で前述の番組『モザイクな夜V3』に呼ばれ、突撃レポーターとして活躍。そのトーク力が買われ、同番組の出演者に抜擢された。

ついでに、「どうでしょう班」のディレクター陣も紹介すると―― チーフディレクターの藤村忠寿サン(愛称:魔神)は、北海道大学時代は主将も務めた元ラガーマン。1990年にHTBに入社して5年間は東京支社勤務で、95年4月に本社に戻り、制作部へ。そこで初めて担当したのが、前述の『モザイクな夜V3』だった。つまり、『水どう』開始時点で、彼は制作の経験がわずか1年半しかなかった。

そして、撮影担当ディレクターの嬉野雅道サン(愛称:うれしー)に至っては、奥さんの仕事の都合で札幌へ来たばかりだった。知人の紹介でHTBの子会社のHTB映像へ入り、ひょんなことから『モザイクな夜V3』で藤村Dと組んで、そのまま『水どう』へ。実は撮影の経験はなかったが、先方から東京行きの旅費が3人分しか出ないことを知らされ、咄嗟に「カメラができる」と嘘をついて、ロケに同行。だが、本番直前まで密かにビデオカメラの説明書を熟読していた姿を大泉洋サンに目撃される。

そんな次第で――『水どう』初回時点で、鈴井サンを除く3人は番組作りの経験が浅く、逆にそれが、既存のローカル番組の常識に捉われない、自由で新しい番組スタイルを生んでいく。

サイコロを振って、出た目に従う。伝説の「サイコロの旅」


第1回放送の六本木プリンスホテルに戻る。鈴井サン曰く「せっかく東京へ来たんだから、何か企画をやって帰りましょう」―― そして彼が取り出したのが、1枚のボードと「明治のサイコロキャラメル」だった。大泉サンは企画内容を知らされておらず(この後の企画でも、大泉サンのみ企画を知らされず、毎回ダマされるフォーマットが定番に)、まだ平和に微笑んでいる。

それが―― 伝説の「サイコロの旅」だった。発案者は鈴井サンである。ボードには6通りの移動手段と行先が記されており、サイコロを振って、出た目に従う。しかし、必ずしも最終目的地の札幌のある北へ向かう経路ばかりでなく、逆方向の西日本へ進むパターンもある。

「なんだ! なにを始める気だ!…… しかし、考えている余裕など、彼にはなかった。とにかく、必死で話を合わせるしかなかった」

―― 大泉サンのモノローグ(心の声)を代弁する強めのナレーションが入る。藤村Dの声だ。どこか、かつての『水曜スペシャル』(テレビ朝日系)の「川口浩探検隊シリーズ」の声優・田中信夫サンの煽りナレを彷彿とさせる。そして「♪何が出るかな~」と歌い踊りながら鈴井サンが出した目が「3」だった。東京・新宿発の深夜バス「オレンジライナー」で、一行は札幌とは逆方向の四国・松山へ――。

そうして12時間半の深夜バスの苦行が始まった。途中、何度かサービスエリアで休憩するも、深夜で絵変わりせず、次第に憔悴する2人。唯一の楽しみだった瀬戸大橋も深夜のため見過ごし、早朝8時に松山に到着する。道後温泉で、たっぷりかいた寝汗を落とすも、市内観光する間もなく、早くも次の行先を決めるボードが登場する。「♪何が出るかな~」鈴井サンの出した目は「6」―― 行先は、九州・大分の臼杵である。札幌から更に西へ遠のいた。

「何してんだよ! 帰りたいんだよ俺は!」

あまりの鈴井サンのサイコロの “引き” の弱さに、思わず声を荒げる大泉サン―― しかし、この瞬間、番組は逆にヒットの目を引き当てたのである。「帰りたいのに帰れない」「いつ帰れるのか?」という強烈なモチベーション、普通、旅番組は目的地の観光がメインなのに、「移動手段」がメインというコペルニクス的転回、そしてローカル番組なのに地元以外が主戦場という逆転の発想――。

この第1回放送は、深夜帯では異例の4.4%の高視聴率だったという。そして、当初はいくつかあった企画が、やがて広義の旅モノに集約されていく。選択と集中である。その過程で、大泉洋サンとカメラの手前の藤村Dの掛け合いトークで番組が進行したり、カメラは車窓を映して音声のみで一行の会話を聴かせたり―― と、様々な進化を見せる。そして、数々の “神回” が生まれた。

2002年9月25日、番組は一旦、レギュラー放送を終了する。しかし、その評判は口コミで広がり、番組は全国へ販売され、また傑作選のDVDも登場し、その人気は全国区となる。一方、番組本体は不定期でスペシャル放送を重ね、こちらもレギュラーを上回る評判を獲得。現在も続いている。

そして今や国民的俳優となった大泉洋は、最新作でもダマされている。

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2023.10.09
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カタリベ
1967年生まれ
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