7月28日

中森明菜はなぜ今も愛される? ② 初代ディレクター島田雄三が語るとっておきの話

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『中森明菜はなぜ今も愛される? ① 初代ディレクター島田雄三が語るとっておきの話』からのつづき

音楽ディレクターとして中森明菜さんを担当した島田雄三さんと、明菜さんのファン3人との座談会。第2回はレコーディングの様子とサウンドの意外な秘密についてお話しいただきました。

レコーディングはとても楽しかった


彩:明菜さんがだんだん作家さんの指名をするようになっていったというお話を聞いたことがあったんですが、当時、明菜さんのお気に入りだった作家さんはいらっしゃいましたか。

島田雄三(以下島田):うーん、当時はとにかく年間100曲前後のレコーディングをしてたんですよ。シングルもアルバムも含めて。なので実は、あんまり次の作家をどうするとかっていうのを本人と調整するような時間もなかったんです。実は僕、ほとんど明菜本人から楽曲に対して、あるいは作家に対してのオファーを聞いた覚えっていうのは実はないんですよ。

彩:そうなんですか!?

島田:ある意味「少女A」で大喧嘩した後の大ブレイクだったから、いい意味で楽曲作りに関しては「このおじさんに任せておけば何とかしてくれるだろう」という、信頼関係みたいなものは間違いなくあったんだろうと思います。ですから、本当は言いたいことがたくさんあったのかもしれないけど、そんな暇もなかったし、もうそういう時間がないぐらいに、とにかく次から次から楽曲を作っていかざるを得なかったんですね。

彩:そうすると、楽曲については明菜さん本人がどうこう言うことはあまりなかったんですね。

島田:僕がやっていた約4年間では、まずほとんどなかったですね。唯一「少女A」だけでした。あとはホントに、楽しかった。だってもう歌が終わると、スタッフの歌合戦をやってたんですよ。例えばある曲のレコーディングをやって、それで終わると僕らスタッフ側がみんな歌入れの方に行って、明菜がディレクターチェアに座っ「私 少女A〜♪」なんて歌うと、明菜が「下手〜!」とか言って(笑)。

もう本当にいい関係でレコーディングができていましたね。だから本当に楽しかった。しかも結果もバンバン出すしね。僕の人生にとって、あんな至福の時はなかったっていうぐらい。だけど、体力的・精神的にはつらかったですよ。だって、下手すりゃ次はコケちゃうかもしれないみたいなプレッシャーも常にありましたから。でも、あんなに楽しいことはなかった。あれだけ、楽曲を作って僕らの期待を超えるようなパフォーマンスをしてくれたアーティストは、彼女をおいて他にいないですよ。



リマインダー編集部(以下リマインダー):レコーディングは夜が多かったですか。

島田:当時は歌番組がものすごく多かったから。レコーディングは収録が終わった後だったから、夜の9時、10時でしたね。

リマインダー:そういう中、和気あいあいとした感じでやるところはやって、楽しむところは楽しんで… みたいなレコーディングって、珍しいですよね。普通深夜のレコーディングって結構殺伐とした感じになることが多い気がするんですけど、すごく楽しそうな印象を受けました。

島田:本人も、ある時期まではずっと「お仕事の中で一番大好きなのはレコーディング」って言ってました。だからやっぱり歌を歌えること、歌える環境。それが本人にとっては一番嬉しかったし、楽しかったんじゃないでしょうかね。

さにー:すごく良い思い出をたくさん聞かせていただいたのですが、逆にお仕事の中で何か後悔していることや、こうしておけば良かったと思うことはありますか。

島田:まず、ないですね。全部100点満点だったかどうかは分からないですよ。例えば「セカンド・ラブ」なんて難しい歌だったから、実は録りきれてないところが何か所かあったりするんですよ。「スローモーション」もやっぱり難しい歌だったから、最後はちょっと目をつぶるしかないなっていうところはありました。でも、やっぱりあの人のすごいところって、ピッチがどうした、リズムがどうしたっていうことだけではない、何か楽曲の持っているイメージみたいなものをお客さんたちに伝える力っていうのかな。そういうものは優れて持っていたんだろうと思いますね。



かなえ:明菜さんはその忙しい日々の中で、どうやって曲のイメージをとらえていたんでしょうか。

島田:デモテープができたあと、「次はこういう曲をやるからね」っていう話から、歌詞の意味も含めて、全部僕が説明していました。僕はレッスンと称して、明菜との事前の打ち合わせにすごく時間をかけたんです。デモテープを聴かせて、歌詞を見ながら、レコーディング前に最後のチェックをする。そこで楽曲のイメージの話も全部したんです。

「見てごらんよ、真っ青な海に誰もいないんだよ。夕方になってるんだよ。向こうからカッコイイ男の子がシェパードを連れてくるんだよ、だから出会いはスローモーションなんだよ」、「何でセカンド・ラブなのか。17にもなった女の子が、初恋でルンルンなんて、ウソをつけって。いやだよ俺はそんな歌作るのは。だから、セカンド・ラブなんだよ」ってね。当時ほとんどの大半のお客さんたちが「少女A」がデビュー曲だと思っていたから、そういう人たちに向かっても ”セカンド” ってつけることで2作目なんだなっていう狙いもありましたけど、本当の意味としては、2回目の恋の方がリアリティがあるからなんですよ。2度目の恋だからこそ、今度こそ掴みたい。そういうイメージを一生懸命本人に説明しました。

── それ、もう普通のアイドルの曲のつくり方と違いますよね(笑)。

島田:そうですよ。でもそうすると本人もちゃんと理解して、「この歌かっこいいんだから。みんな嘘みたいな歌を歌ってるんだけど、2度目の恋だって、かっこいいでしょ」って言い始めるんですよ。



意外な歌手から影響を受けたサウンド


かなえ:明菜さんの楽曲って、唯一無二と言いますか、他のアイドルとは全く違う。例えば海外のエスニックな雰囲気漂う曲とか、あとはフュージョン系のサウンドもすごく本格的でクオリティが高いなと。明菜さん単体の魅力もそうですけど、楽曲としても全体的にクオリティが高いし、アルバム曲もB面も名曲が多いなと思います。

島田:最初にお話ししましたように、とにかく他社にはライバルさん達がいっぱいいて、みんな、とても優れたアイドルばかりの82年でしたから、どうやったら差別化できるかっていうのを一生懸命考えたんです。まずビジュアルでは、ニコニコした感じの子がほとんどですから、最初のうちはなるべく笑わないようにしました。それによって他の人たちとの差別化をしたかったんです。楽曲も同じで、みんなどこかでルンルンしたものが多いから、俺はそういうものを絶対作らないぞって。差別化というのが僕のコンセプトだった。楽曲も、実はよく聴くとわかるんですけど、あんな厚くて盛大なオーケストラで作っている人はほとんどいないですよ。

あれ実はフルオーケストラなんですよ。リズムだけじゃなくてストリングス、ブラス、コーラスは下手すりゃ男女コーラスも含めて、ともかくあんな厚いオケを作っている人はアイドルでは誰もいない。あれだけ厚いオケを作ると、普通は歌が負けちゃうんですよね。でも、明菜の声って負けないんですよ。どれだけオケを厚くしても出てくるんですよ。

そこで、僕の中の参考になったのは、ピンク・レディーさんなんです。ピンク・レディーさんの楽曲を聞いて、すごく厚いオケだなと思いました。オケで歌を煽ってるなって。都倉俊一さんはオケで煽って、煽って、誰が歌っても売れるくらい盛大なオケを作っていったのがやはり、ピンク・レディーのひとつの成功の秘訣だなと、ある時思ったんです。それで、明菜のオケを作る時にそれを取り入れました。オケの種類としては全然違いますよ。でも「スローモーション」にしろ「少女A」にしろ、凝りまくってるんです。

ほかにも、色々な人たちの音楽を要素としてたくさん入れました。僕も音楽が大好きだったから、いろんな人たちのサンプルを叩き台として明菜のオケの中に入れていこうと思ってましたか。だから全然普通のアイドルさんのオケとは違う。お金はかけましたよ。外国にも行ったし。

さにー:島田さんは他にも歌手の方のディレクションをたくさん手がけていらっしゃると思うのですが、明菜さんにこそそのフルオケをあてがったのは、なぜだったのでしょうか。

島田:やっぱり何か触発される部分が違うというか、例えばここにいる皆さん3人に対してだって、僕は全員間違いなく違う印象を感じるんですよ。そういうもんです。感じるものがなければ歌は作れないから。だから明菜も含めて何かやっぱり触発されるものがあるわけで、触発されたものから、音楽は作っていくんです。そのぐらいの自分の中に蓄積がないと、音楽って本来作っちゃいけないんです。

さにー:お考えがすごく興味深いですが、そういう島田さんの考え方が明菜さんにも影響を与えた部分もあったりするんでしょうか。

島田:おそらくね。僕も本人から随分いろんなものを影響を受けたと思ってますけど、多分僕からも何か感じるものがあったんじゃないでしょうかね。だから、どこかで一番信頼ができて、一番怖かったのは僕だけでしょう。本人にとっても僕とやってるときのレコーディングっていうのは楽しかったんじゃないかと思います。





■ 次回予告
最終回となる次回は、中森明菜さんのスターとしての才能について、島田さんはどう考えていたのか? に迫っていきます。また、1985年に「ミ・アモーレ」でレコード大賞を受賞するまでに、どのような戦略を設けていたのかも伺いました。どうぞお楽しみに。

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2022.12.17
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カタリベ
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