5月21日

絶対に成功するぞ!ジャーニーの熱い想いと産業として巨大化する音楽マーケット!

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ジャーニーのアルバム「フロンティアーズ」が日本で発売された日
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ジャーニー、日本での成功物語


私がレコード会社の洋楽ディレクターとして、ジャーニーを担当したのは、前任者の後を受け、1981年にリリースされた彼らにとって初めてのライブアルバム、『ライヴ・エナジー』からです。続いて同じく1981年に発表された『エスケイプ』は全世界で大爆発。アメリカでもナンバーワンを獲得し、80年代を代表する名盤として今でも人気があります。当時でも全米で800万枚セールス、累計では1000万枚越えるセールスを記録しています。日本でジャーニーはこのアルバムで大ブレイクしています。



このジャーニーの “日本での成功物語” はある屈辱の夜の経験があったからこその戦略によるものです。詳しくは『ジャーニーが屈辱を晴らした夜、初の武道館ライブ終了後に大パーティ!』に書きましたので、お時間がある時にでもお読みください。

業界の常として、スーパーセールスを記録した後のアルバムは、得てして失敗しがちですが、今からちょうど40年前の1983年に発売されたアルバム『フロンティアーズ』は前作同様に大成功しました。『エスケイプ』がロングセラー化して売れ続けているタイミングでの発売ですから、お店に入る初回枚数やメディアの露出など、新譜に対する全ての期待感がこの勢いの上にのっかっていました。

実際当事者の私もアルバムのマスターテープが届いてスタジオで「セパレイト・ウェイズ」のイントロを聴いた瞬間に “これは絶対勝てる。売れるぞ“ と確信しました。会社へ戻ってラジオチームの仲間達に聴かせた時は、聴き終わって期せずしてみんなから拍手が起きたほど盛り上がったものです。

当時の時代背景としては、MTV出現と共に、世界的にロックが産業として成立していく右肩あがりの時代でした。レコードもライブもマーケットが巨大化し、何百万枚というセールスを記録したアルバムも数多くで始めていました。

『フロンティアーズ』の発売時は、アメリカでは、マイケル・ジャクソンのモンスターアルバム『スリラー』が長期政権をとっていたので、残念ながらアルバムチャート的には9週連続の2位どまりでしたが、これとて凄い記録です。発売当時、このアルバムも500万枚ほどのスーパーセールスを記録しています。

レコード会社の洋楽ディレクターとして、アーティストの人気最高潮時に担当できたことは、単にラッキーだったというしかないのですが、それまで苦労していた前任者に申し訳なく思うものです。

実はその前任者の時代から、この『フロンティアーズ』に至るまで、アーティスト側の気合と言うか熱い想い、つまり “絶対に成功するぞ” というコミットメントであり “成功への誓い” がそのアルバムタイトルやカバーデザインに込められていたのです。

ジャーニーのサクセスストーリー第一歩


バンドのヒストリーですが、そもそもジャーニーはサンタナのツアースタッフだった、ハービー・ハーバートがマネージャーとして、10代でサンタナのメンバーであったギタリスト、ニール・ショーンを連れて飛び出し、彼のために作ったバンドです。

当時のジャーニーは、専任ヴォーカリストがいた時期もありますが長続きせず、インストゥルメンタル曲主体のプログレ的ロックバンドという位置付けでした。1975年から77年の間にアルバムを3枚発売していますが、当時はベイエリアだけで支持を得ていたくらいでした。

ハービーとしては、バンド成功のためには、抜きん出たヴォーカリストが必要だと感じていた時に、スティーブ・ペリーとの出会いがあったのですが、彼の歌唱力のみならずソングライティングの才能に成功を確信したのです。彼との出会いでハービーは、一気に大きな設計図を描き始めたのだと思います。

1978年発売されたアルバム、『インフィニティ』では、まずはプロデューサーに、クィーンを大ヒットさせたイギリス人のロイ・トーマス・ベイカーを起用。バンド本来のプログレ的な要素に、スティーブのハイトーンヴォーカルが見事な調和を創り出し、これが大当たり。ヒット曲が生まれ、アルバムはミリオンセールスを記録しました。バンドのサクセス第一歩です。



タイトルとカバーデザインに込められた思いとは?


音楽的な評価や解説は今回のテーマではありません。主役はタイトルとカバーデザインです。描かれていたのは、今まさに広がろうとしている翼。つまりタイトル『インフィニティ』という言葉通りに、翼が無限大に広がろうとしているのです。

デザイン担当は、サンフランシスコのフラワームーブメントの中でサイケデリックなデザインで人気があった、アルトン・ケリーとスタンリィ・マウスのコンビ。ちなみに、グレイトフル・デッドの頭蓋骨と薔薇のデザインも彼らの手によるものです。

そして翌1979年に発売されたアルバムタイトルは『エヴォリューション』。上り調子の時は特にそうですが、まず間を置かずコンスタントに新譜を発表するということは、前作で使った宣伝費やエネルギーがマーケットに残っているうちに発売されるわけですから、レコード会社的にもアーティスト的にも非常に大きなアドバンテージになるのです。

カバーデザインでは前作に登場した、この翼がさらにタイトル通りに、大きく “進化” を遂げ無限マークに囲まれて羽根が増えている事が分かります。無限大に進化した翼が現れたのです。今まさに飛び立とうとしています。



1980年に発売されたアルバムタイトルは『ディパーチャー』。いよいよ新しい目的地に向かって “発進” したのです。TOP40シングルヒットも増え、この作品はアルバムチャート8位まで上昇。78、79、80年と続いた三部作のホップ・ステップ・ジャンプは見事に大成功。アメリカンバンドとして揺るがないポジションを確保しています。

実は翼をひろげて飛び立って行ったのは、エジプトの神話にもあり、その象形文字にも登場する黄金のスカラベ。調べてみると色々な伝説がありました。太陽神の化身であったり、月の公転に関係しているとか。はたまた、大空を横切り太陽の周りをまわって、その日の夜には天国 / 新世界に到達したとしても、翌朝にはまた戻ってくることもできる… という創造、復活、不死のシンボルとのこと。無敵の昆虫です。

『ディパーチャー』のジャケットをよく見ると、翼を広げて宇宙空間を飛んでいく光り輝くスカラベが描かれています。新しい惑星、そこが目的地だと思いますが、この星に向かっているようです。



そしてこの三部作のケジメとして発表された新譜は1981年のライブアルバム『ライブ・エナジー』です。ここから私が担当する事になったのですが、原タイトルは『CARTURED』。意味は “つかまえられた” です。他アーティストでもライブ・アルバムにこのタイトルを使っているケースはありますが、ジャーニーの場合は、まさに、翼を広げて発進していったはずのスカラベが捕獲された、ということで、ライブ録音でもあり、なかなか意味深いネーミングではないかと思います。



このアルバムのジャケットをじっくり見ると、スカラベは丸い円の中に取り囲まれているようです。そして裏ジャケットではメンバーが球体の中に閉じ込められています。

実はこのライブアルバムは次なる物語の始まりでもあったのです。

「フロンティアーズ」で “新世界” へ到達したジャーニー


1981年ライブアルバムから半年後に発売された新譜は『エスケイプ』。捕らえられたスカラベは太陽の化身でもあり不死身です。大ヒットアルバムですからカバーデザインはみなさんご存知だと思いますが、囲っていた球体をぶち抜けて、黄金に輝くスカラベが飛び出しています。まさにタイトル通り “エスケイプ“ に成功し、アルバムも世界中でスーパーセールスを記録。

そしてそのスカラベが向かおうとしていた目的地は、未だ誰しもが足を踏み入れたことがない新世界(フロンティア)でした。1983年のアルバム『フロンティアーズ』では、スカラベの化身なのか、宇宙飛行士のヘルメットをかぶった未来人なのか、宇宙人なのか分かりませんが、そういう顔形が描かれています。つまり目的地に到達できたということだと思います。お約束の無限マークもあるし、こじつけかもしれませんが、口まわりはエジプトの王、ツタンカーメンのマスクに似せているようにも見えます。

裏ジャケットでは、スカイダイビングで輪になって宙に浮いているメンバーの写真が使われています。偶然ではないと思いますが、1975年のデビューアルバムのジャケットでは無重力に浮かぶメンバーがデザインされており、しかも思わずニヤついてしまいますが、邦題は偶然にも “宇宙への旅立ち“ でした。

“無限大” に “進化” した翼をもった太陽神の化身、黄金のスカラベは、宇宙空間に向かって “発進”。一旦 “捕獲” されたものの、“脱出” に成功し、エジプト神話通りに “新世界” へ到達―― こんなストーリーでしょうか。

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2023.01.31
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カタリベ
1950年生まれ
喜久野俊和
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