NHKホールの迫りに転落、メディアから姿を消した河合奈保子
1981年、私は中学3年生。高校受験を控えながらも、テレビとラジオで大好きな河合奈保子を追いかける毎日を過ごしていた。当時はインターネットもなかったので、新聞のラ・テ欄と『月刊明星』に掲載されていたスケジュールを頼りに、奈保子が出演している番組をできるだけチェックしていた。
5枚目のシングル「スマイル・フォー・ミー」が初めてオリコンTOP10にランクインし、人気も実力も昇り調子だったのだが、忘れもしない1981年10月5日(月)、奈保子が出演するものと思って観ていた『ザ・トップテン』で、司会の堺正章から信じられないニュースが伝えられた。
「河合奈保子ちゃんなんですが、今日出演してくださる予定だったのですが、このトップテンの前のお仕事のリハーサル中に事故に遭われまして、現在入院して精密検査を受けていらっしゃるそうです」
NHKホールで『レッツゴーヤング』のリハーサルをしているとき、誤って舞台の “迫り(せり)” に転落したというのだ。ケガは比較的軽かったと伝えられたものの、腰椎圧迫骨折で2ヶ月ほどの療養を余儀なくされてしまう。
それはファンとしては衝撃だった。奈保子にしばらく会えない。歌も聞けない。いや、それより奈保子は大丈夫なんだろうか。9月にシングル「ムーンライト・キッス」がリリースされたばかりなのに… いろんな思いが交錯してしまった。そして療養のため、奈保子はメディアから姿を消した。
コルセットをしながら芸能活動再開、なんと新曲もリリース?
療養からしばらくたった11月のある日、新聞のラ・テ欄に “河合奈保子退院!” という文字を見つける。当時放送していたワイドショーの『3時のあなた』と『3時にあいましょう』である。これは見届けなければ! 俺が見届けないで誰が見る! というわけのわからない気持ちに駆られて、その日は学校を早退した。
報道によると、リハビリのため温泉で療養したあと、コルセットを着用しながら芸能活動を再開するという。こんなに早く姿を見られるとは思っていなかっただけに、嬉しさよりも心配が上回っていた。
しかし、復帰するとはいえ新曲は年明け… いや、春までは無理だろうなぁ… そう思っていたのだが、なんと12月に新曲がリリースされるという。いつレコーディングしたんだ? そうか、こういうときのためにストックというものがあるんだな。いずれにしても新曲が聴けるのはうれしいことだ。
「ラブレター」というタイトルの新曲はアップテンポなマイナー調。それまでの作品と比較すると少しハード目なアレンジとパワフルなヴォーカルが印象的だった。でもサビになるとメジャーに転調し、
ためらい ライライ ラブレター
とサビを歌う声からは奈保子らしい弾ける明るさが感じ取れた。
夜のヒットスタジオで披露された新曲「ラブレター」
そして11月30日(月)、新聞のラ・テ欄を見ていたら『夜のヒットスタジオ』に “河合奈保子” の名前が! ついにテレビで復帰するのか! 嬉しいけどケガは大丈夫なのか? いや、とにかく見届けなければ!
その日の授業は全く上の空だった。放送は22時からなのに早く家に帰りたくて仕方なかった。さすがに退院会見の日のように早退はしなかったが(笑)。
そして放送が始まった。しかしオープニングのメドレーリレーに奈保子はなかなか出てこない。ようやく沢田研二まで回ったところで
「おまたせいたしました。57日ぶりの登場です。河合奈保子さん!」
と紹介され、メドレーのトリで登場した奈保子は出演者に囲まれた中で明るく「スマイル・フォー・ミー」を歌い上げた。伸びやかな歌声は全く衰えていない。この時点でテレビの前の私は既に泣いていた。
そしていよいよ新曲を歌う出番に。バックにはたくさんの親衛隊。イントロから「奈保子ちゃーん!!」という、野郎どもによる野太いコールの嵐。
好きです 言えないけど
好きです 言えないけど
緊張していると言いながらも堂々とした歌いっぷり。さすが奈保子!
泣いている姿をほとんど見せたことのない奈保子が泣いている!
あなたと目があわないように
横顔だけいつも 見てるの
療養していても歌声には力があるな。そう思っていたのだが、
ひと目で 気づかれてしまう
このあたりで少し音程が危うくなる。
なんと! 奈保子が歌いながら泣いている! 泣いている姿をほとんど見せたことのない奈保子が泣いている!
ケガから無事に復帰できたこと、出演者に温かく迎えられたこと、そして大勢のファンに囲まれて歌えること… その全てに感謝した上での涙だろう。
まだ身体も痛むだろう。コルセット状態で動くのも大変だろう。それでも俺たちファンの前にこうして姿を現してくれたのか…。
当時これをテレビで見ていた奈保子ファンは全員泣いていたに違いない。そして一生懸命なその姿に心をわしづかみにされたはずだ。そしてひたむきな恋心を歌うこの曲を、自分に対してのラブレターだと(勝手に)思ったことだろう。
その「ラブレター」、実はストックではなく、療養中に密かにレコーディングされていたということを後に知って驚いた。そこまでして奈保子を働かせるのかよ、とも思ったが、当時リリースを途切れされることは許されなかったのだろう。スタッフの努力も相当だったと思う。
そして「ラブレター」はオリコンチャートでは最高11位だったものの、『ザ・ベストテン』では最高6位、『ザ・トップテン』では最高5位を記録し、奈保子の代表作のひとつとして、その後コンサートでも盛り上がるナンバーとなった。
年末には紅白初出場、キラキラと輝く笑顔で歌う河合奈保子
さて、同じ年の12月31日、奈保子は『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。会場は事故に遭ったNHKホールだ。そのときの司会の黒柳徹子の曲紹介を、私は一言一句覚えている。
「あの笑顔が戻ってきました。紅白初出場です。新潟のおばあちゃん、見ていらっしゃるでしょうか。コルセットもまだ取れないのよ。おじぎもまだ上手にはできません。でもこんなに元気になりました。本当によかった。河合奈保子さんです。「スマイル・フォー・ミー」!」
この言葉を受けてキラキラと輝く笑顔で歌う奈保子…。テレビの前で私はまた泣いていた。あの事故によって奈保子ファンはこれからもずっと応援していこうと思ったはずだし、奈保子自身もプロとして活動していく糧になったはずだ。もちろん事故がなくても奈保子は実力を発揮して活躍していたと思うけれど。
ちなみにこの「ラブレター」、その後アルバムに収録される際に、ヴォーカルを録り直した別ヴァージョンがある。おそらく安定した状態のヴォーカルで残したかったのかもしれないが、個人的にはあの療養中にレコーディングされたシングルヴァージョンのほうが気に入っている。その声から奈保子のひたむきな心と一生懸命さが伝わってくるから。
2020.12.05