11月20日

リンゴ・スターの心地よさ、立ち止まってバラの香りを嗅いでごらん?

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リンゴ・スターのアルバム「バラの香りを」がリリースされた日
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「メッセージだって? 僕は郵便屋じゃないよ」

80年代に向けて何かメッセージはあるかと訊ねられた時の、リンゴ・スターのコメントである。シニカルで冗談めいたセンスが、実にリンゴらしくて大好きだ。

70年代前半にはヒットを連発していたリンゴも、後半になると思うようにセールスを上げられなくなっていた。そこでしばらくの間は音楽活動から離れ、著名人が集まるようなパーティーを渡り歩く優雅な生活を送っていた。しかし、「1年に1枚はロックンロールのレコードを作りたい。ひとたびロックンローラーになったら、永遠にロックンローラーなんだ」と語るなど、音楽への情熱が消えたわけではなかった。

80年代に入ると、リンゴは78年にリリースした前作『バッド・ボーイ』以来のニューアルバムに取りかかるため、かつてのバンドメイトと連絡をとった。ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、そしてジョン・レノンである。

『バラの香りを(Stop and Smell the Roses)』と題されたそのアルバムは、1980年7月にレコーディングをスタートし、1981年11月20日にリリースされている。

ポールは、オリジナル2曲を含む3曲でプロデュースを担当。演奏にも参加している。アルバムの冒頭を飾る楽しげな「プライベート・プロパティ」と、ミディアムテンポな佳曲「アテンション」は、どちらもポールらしいポップなメロディと秀逸なアレンジが光るナンバー。こうした曲を惜しげもなく提供してしまうあたりが実にポールというか、その才能には頭が下がるばかりだ。カール・パーキンスのカヴァー「シュア・トゥ・フォール」は、デビュー前のビートルズもとり上げていたナンバーで、当時のリードヴォーカルはポールだった。

他にもう1曲、ポールはリンゴのために「テイク・イット・アウェイ」を書き上げたが、「あまりリンゴ向きじゃなかった」ため、後にポール自身がレコーディングし、全米10位のヒットを記録している。そのときドラムを叩いたのが、スティーブ・ガッドとリンゴだった。

ジョージは、オリジナル1曲を含む2曲をプロデュース。もちろん演奏にも参加している。シングルカットされた「ラック・マイ・ブレイン」は、ジョージらしい少しひねくれたセンスのポップチューンで、見事チャートインを果たしている。「ユー・ビロング・トゥ・ミー」は数多くのシンガーに歌われているナンバーで、リンゴやジョージが10代の頃には、ジョー・スタッフォードのヴァージョンがイギリスでも大ヒットしている。この時期のジョージは、自分のアルバムでもホーギー・カーマイケルの曲をとり上げるなど、ルーツ回帰の傾向があったので、そんな気分での選曲だったのかもしれない。

このときジョージはもう1曲書いてきたのだが、キーがリンゴに合わなかったことから、レコーディングを見合わせている。その後、ジョン・レノンの死をきっかけに、ジョージはこの曲の歌詞を書き換え、ジョンへの追悼曲としてリリースした。それが「過ぎ去りし日々(All Those Years Ago)」であり、世界中で大ヒットを記録することになる。リンゴがドラムを叩き、ポールがコーラスをダビングしたことで、ビートルズ解散以来の3人による共同レコーディングとなった。

そしてジョンだが、残念ながらレコーディングに参加することはできなかった。しかし、生前に4曲入りのデモをリンゴに渡している。そのうちの1曲「ライフ・ビギンズ・アット・40」は、カントリー好きのリンゴのために書かれたポジティヴなメッセージをもった曲だった。この年、リンゴとジョンは共に40歳を迎えている。

英語の慣用句で、「本当に充実した人生は40歳を過ぎた頃から始まる」というタイトルの意味とは裏腹に、ジョンの人生は40歳で幕を閉じた。リンゴはこの曲をどうしても歌うことができず、結果として、ジョンが提供した曲はどれもアルバムには収録されなかった。その中には、ジョンの死後リリースされたアルバム『ミルク・アンド・ハニー』からのファーストシングル「ノーバディ・トールド・ミー」も含まれていた。この曲は1984年に全米5位を記録している。

ポールとジョージ同様、このアルバムに大きく貢献したのが、リンゴの親友であるハリー・ニルソンだった。70年代半ばにはリンゴやジョンと酒浸りの日々を過ごした旧知の仲である。2曲のオリジナル(1曲はリンゴとの共作)を含む3曲をプロデュースし、演奏にも参加している。どの曲もニルソンらしい破綻をきたしたユーモア感覚が楽しい仕上がりだ。アルバムのタイトル曲となった「バラの香りを」では、曲の後半でリンゴがやけっぱちな調子でこんなことを叫んでいる。

「立ち止まって、このレコードを買う時間を作れ! 俺はバラを育てて、一日中その香りを嗅いでいたいんだ! 今やってることは全部止めてしまえ! 近所のレコード屋へ走って “『ストップ』というレコードをください” と言え!」

と、かなりメチャクチャである。アルバムの原題となる “Stop and Smell the Roses” もまた慣用句で「立ち止まってバラの香りを嗅いでごらん」、つまり、それくらいの余裕をもって人生を楽しもうよといった意味なのだが、よくもまぁこんな都合のいい解釈をしたものだ。ザ・フーのドラマーだったキース・ムーンのソロアルバム『トゥー・サイズ・オブ・ザ・ムーン』とちょうど同じ雰囲気で(ふたりはこのアルバムにも参加している)、リンゴのコメディアンとしての才能が爆発している。

アルバムの最後を飾るのは、リンゴのヒット曲「バック・オフ・ブーガルー」の再演。曲の中にビートルズやリンゴのソロナンバーを、万華鏡のように散りばめていく手法は、ニルソンが自身のファーストアルバムで使ったものと同じだ。ちなみに、そのアルバムに感激して、直接本人に国際電話をかけてきたのが、ジョン・レノンだった。

他にも、ロン・ウッドがリンゴと1曲共作し、プロデュースと演奏でも参加。スティーヴン・スティルスもオリジナルを1曲提供。こちらもプロデュースと演奏で参加している。

このように『バラの香りを』は、強烈な個性をもった5人のミュージシャンによってプロデュースされたアルバムだった。もしここにジョン・レノンが加わっていたら、一体どうなっていたのか。もはや想像もつかない。

曲ごとにサウンドや雰囲気が異なるため、とっ散らかった印象を受けるだろうが、そんなものは慣れてしまえば気にならない。むしろ心地よいくらいだ。この軽妙さ、ハードルの低さ、親しみやすさこそが、リンゴ・スターの大きな魅力と言えるだろう。80年代の始まりに、ジョンの悲劇を乗り越えて、リンゴがこんな楽しいレコードを作っていたかと思うと、なんだか嬉しくて、つい頬が緩むのだ。

ここに何かメッセージはあるのかって? いやいや。だって、リンゴは郵便屋じゃないのだから。

2019.04.03
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  YouTube / ringostarr


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