8月25日

歌手としてのとんねるず — その序章、デビューはピョン吉ロックンロール!

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今や大物芸能人として君臨するとんねるずを最初に認識したのは、日本テレビの『お笑いスター誕生‼』だった。

さすがに「貴明&憲武」で出演していた頃は記憶にないが、1980年に正式にコンビを結成してから、とんねるずとして勝ち抜きコーナーに出ていた姿は憶えている。抜群のテンポで繰り広げられる「貧乏・大尽・大大尽」のネタに爆笑させられた。

グループの命名者が『光子の窓』や『巨泉✕前武 ゲバゲバ90分!』などで知られる日本テレビの名プロデューサー・井原高忠だったのは有名な話。他の候補名は「とんまとのろま」だったというが、それが選ばれるはずもなく、井原としては「とんねるず」一択のつもりだったのだろう。

ちなみに井原はザ・ピーナッツの命名者でもあり、20年以上も時代を隔ててデビューしたジャンルの違う2組が同じ名付け親なのは面白い。

81年には日本テレビの朝の情報バラエティ『モーニングサラダ』のレギュラーとなるが、この時、自分は早くも二人に遭遇している。とあるコーナーに素人として出演することになり、初めて麹町の日本テレビへ訪れたのだった。

司会の西城秀樹やアシスタントの伊藤つかさに会えるのももちろん嬉しかったが、自分としてはお笑いスタ誕で強烈なエネルギーを放っていたとんねるずを一番の楽しみに出かけていったのだ。普通のコーナーではわりと大人しくしていたとんねるずだったが、二人がコントを披露する時間になると俄然輝きを見せ、生で観る「貧乏・大尽・大大尽」に笑いをこらえるのが必死だった。二人は愛想が良くて、まだ学生だった通りすがりの僕らにまできちんと挨拶をしてスタジオを出ていった。個人的にはこの時からとんねるずファンになったと思っている。

実際にブレイクするのは83年にスタートした『オールナイトフジ』ということになるが、日テレ育ちの二人がフジっ子に鞍替えしたのは、『お笑いスタ誕』のプロデューサーだった日企の赤尾氏との些細なことからの衝突が原因だったということを後にとんねるずの著書『大志』で知った。こういう業界話は素人も好むことを解っているとんねるずとそのブレーンは凄いと感心した。楽屋オチが苦手という向きもおられるだろうが、とんねるずの場合はそれが芸の域に達しており、別格である。

さて、彼らが件の『モーニングサラダ』に出ていた頃、レコードデビューの話が持ち上がった。まだ人気がそれほどでもなかった二人だけに企画モノは当たり前。81年9月に日本テレビでスタートしたアニメ『新・ど根性ガエル』の主題歌「ピョン吉・ロックンロール」はジャケット表がアニメの図柄で、二人の写真は中頁に囲みで小さく載っているだけの代物だった。

とはいえ、72年から放映された第1シリーズの『ど根性ガエル』は2人もがっつりハマっていた世代なので、きっと嬉しかったに違いない。作曲は当時大人気だった横浜銀蝿。B面はエンディングテーマに使われた「夢行きチケット」で、大津あきら作詞、加瀬邦彦作曲による “いい曲” であった。

よく紹介される、二人の写真が表面になった「ピョン吉・ロックンロール」のシングルはブレイク後に出された再発盤で、ビクターへ移籍してヒットを連ねていた85年に VAP から改めて出されたもの。品番も新たにされたが AB 面共に収録曲は一緒なので、オリジナルを買っていた自分は、仕方ないなと思いながらもまた買わざるを得ない悲しい宿命――

それにしても、このジャケットにはどうでもいいスナップが使われており、切り抜きも雑。特にタカさんの髪型が残念なことになっている。この再発、事務所にちゃんと報告されていたのだろうか。

歌手としてのとんねるずは、ビクターに籍を置いた84年の「一気!」からヒットを連ねてゆくが、実はこれは3枚目であり、その前の82年に徳間ジャパンから1枚、「ヤバシびっちな女デイト・ナイト」を出しているのだ。途中で掛け合いが挿入されたりした企画盤ながら、馬飼野康二作曲、大村憲司編曲の布陣でしっかりと作られている。新宿御苑の「昆」などで修業していたブレイク直前の下積み時代に出された一枚で、本来ならば超レア盤。これもブレイク後に再プレスしたのか、結構長い間売られていたのでそこそこ出回っているはずなのだが、それでも最近は中古市場でも余り見かけなくなった。

その後、とんねるずはビクターで4枚のシングルと2枚のアルバムを出した後、86年にはキャニオン(現・ポニーキャニオン)へ移籍して次々にヒットを連ね、91年の「情けねえ」ではなんと日本歌謡大賞まで受賞する。しかし初期からのファンを自認する自分としては、リアルタイムでちゃんと買っていた「ピョン吉・ロックンロール」や「ヤバシびっちな女デイト・ナイト」に妙に愛着が湧いてしまう。

―― この辺りのプレデビュー盤の類いが好きなのはレコードマニアと芸能マニアの悪癖である。本人が嫌がるであろうことも含めて愛好するから始末が悪い。

ところで、とんねるず関連で一番レアなレコードは、本人達が歌っているものではなく、『ねるとん紅鯨団』のテーマとしてお馴染みの、鉄腕ミラクルベイビーズ「TALK SHOW」ではなかろうか。89年4月リリース。アナログからデジタルへの移行期、それもアナログの最末期に出された盤だったためにレコードの数が極めて少なく、DJ アイテムにもなっているため。ジャケは2種類あり、さらにリミックスバージョンも含めると3種類あるらしい。シングル CD もレア盤なので、見かけた時は迷わずゲットをお薦めしたい。

2018.08.25
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カタリベ
1965年生まれ
鈴木啓之
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