1963年(昭和38年)に創立した日本クラウンからリリースされた昭和レトロな歌謡曲を復刻するプロジェクト『昭和歌謡復刻シリーズ』第12弾が、10月21日に配信された。歌謡曲がミュージックシーンの中心的存在だった昭和40〜50年代の作品に焦点をあて、配信にて復刻されているアーカイブ企画である。
今回も1970年代を中心に、カルトな歌謡曲群がラインナップされた。配信されたのは、テレビ映画主題歌としてヒットした姿憲子の「姿三四郎」、小椋ひろ子から改名した美原圭子の「ふり向いてもう一度」、レナウンのイエイエガールだったキャシー中島の「白い大地は誰のもの」など全49作品。YouTubeチャンネル『昭和レトロ 歌謡秘宝館』では全楽曲のオフィシャルオーディオ(公式試聴動画)が順次公開されている。
「姿三四郎」の同名主題歌がヒットした姿憲子
姿憲子は1965年にテイチクから浦島みつ子の名でデビューしたものの、なかなかヒットに恵まれずにいた。そんな折、1970年にテレビ映画『姿三四郎』の主題歌を歌うチャンスが到来し、改名してクラウンで再スタートを切ったのだ。
日本テレビで竹脇無我が主演したこのドラマは人気を呼び、同名主題歌もヒットする。作詞の関沢新一と作曲の安藤実親は、舟木一夫に「銭形平次」を提供したコンビでもある。ドラマにちなんだ芸名をつけた姿は、続いても柔道がテーマの「男縦横十文字」、さらにはやはり日本テレビのドラマであおい輝彦が主演となった『闘魂』の同名主題歌を連続ヒットさせている。
その後も力強い人生歌を歌い続け、1980年代には水前寺清子の「大勝負」をカバー。1984年には各社競作となった「浪花節だよ人生は」を歌い、久々のチャートインを果たしている。1987年には芸名を姿のり子に変えて「よさこい漁港―みなと―」などをリリースするも、その後大病に見舞われて一時期休業を余儀なくされた。無事に復帰した1999年からは再び元の名に戻して現在に至っている。
女の情念を歌う鳳恵子と叙情豊かな美原圭子
ポップス演歌を歌った鳳恵子は鳳けい子として1966年にデビューした後、1970年まではキングレコードに在籍。その後テイチクでもリリースがあったが、1973年から74年にかけては名前を漢字に変えてクラウンから2枚のシングルを出している。その「波止場裏通り」と「執念」はいずれも女の情念が歌われた作品で、さすがの歌唱力を聴かせてくれる。
ほかにもクラウンでは美川憲一とカップリングのご当地ソングのカスタム盤(自主製作盤)があったようだ。時代を遡って奈里田町子の「あなただけなのよ / 仕方がないわ」は1967年の作品。かつて「愛しちゃったの」(浜口庫之助「愛して愛して愛しちゃったのよ」の元歌)でコロムビアからデビューしていた成田綾子が改名して再デビューした1枚。クラウンに残された唯一のシングルで、こちらも浜口庫之助によるもの。キューティーポップ系のコンピレーションアルバムにも収録されたカルト作品である。
1973年にクラウンから「恋算数」でデビューした小椋ひろ子は1976年までに7枚のシングルをリリース。青春ドラマ『飛び出せ!青春』やスポ根もの『金メダルへのターン!』に出演するなど女優活動もしていたが、1976年に美原圭子に改名して心機一転の再スタートをきった。
同年の「ふり向いてもう一度」から1981年の「夢しぐれ」まで、計9枚のシングルをリリースしている。その後、1990年代には本名の小椋寛子に戻して時代劇などのテレビドラマや舞台で活躍している。美原圭子時代のレパートリーは主に演歌だが、「奥香落ストーリー」の副題が付く「風のグラフィティ」や「越後のはなし」など、フォーク調の叙情豊かな曲もあり、美しい高音が聴きどころ。同じご当地ソングでも「函館 坂町 涙町」などはかなり演歌色が濃い作品となっている。
水前寺清子のフォロワー・北見令以子と小唄の北城弓子
1964年10月に開幕した東京オリンピックに合わせるように発売された北見令以子「フレーフレー父ちゃん」は日本選手団への鼓舞の意味合いもあったのだろうか。作詞は星野哲郎、作曲のいづみゆたかは市川昭介の変名である。
曲調はちょっとコミカルな人生応援歌。和服で写るジャケットといい、先んじてクラウンからデビューしていた水前寺清子のフォロワーに挙げられる。翌年の「そんなに急いで」も星野の作詞で、作曲は叶弦大。同じコンビによるカップリング曲「私この頃変なのよ」は戦前に四家文子が歌ったものとは同名異曲で、五月みどりのレパートリーにありそうな艶っぽい作品である。
北城弓子「ホステス小唄」は米山正夫が作曲。小唄と題されている割にはゆったりとした曲調で抜群の歌唱力が発揮される。2枚目の「女ですもの女ですもの」は少し前のセクシー系のコンピにも収録されたお色気歌謡の佳作である。
1966年の初頭、巷ではエレキブームが巻き起こっていた一方で、こういった曲もしっかりと世に送り出されていたところに、歌謡曲の裾野の広さが窺えて楽しい。このほかのシングルに、朝丘雪路とのカップリングだった「その夜は忘れない」がある(いずれも『昭和歌謡復刻シリーズ』で配信済み)。
長崎育ちのかずみあいは内山田洋とクール・ファイブを生んだ市内のキャバレー「銀馬車」出身の歌手。1971年にビクターのMCAレーベルから出されたデビュー曲「おんな花」をヒットさせた後、1975年まで在籍。その後クラウンから1977年に「港の小さな酒場」、1978年に「今夜もごろねだよ」(既に配信済み)をリリースしている。どちらも星野哲郎作詞、叶弦大作曲によるグルーヴ歌謡。ビブラートの効いたハスキーボイスは藤圭子を思わせる。
島崎徹や中山丈二たちの個性的な歌声
島崎徹が1967年に出した「ハード・ボイルド・ブルース」は、大藪春彦の小説『死はわが友』が下敷きにされたイメージソング。カップリングの「乾いた口笛」は作詞に白鳥朝詠と共に大藪の名もクレジットされている。トリオ・ザ・パンチの内藤陳が “おら、ハードボイルドだど!” というギャグを流行らせていた頃。
1966年12月に出された「真珠の涙」は、銀座で弾き語りをしていた中山丈二のデビュー曲。これ以降の「星の舞踏会」「野原の真ん中に」「悲しいためいき」の3枚は6月のシリーズ第8弾に配信済み。中山は1980年に36歳の若さで急逝したが、デモテープに遺されていた「秋冬」がレコード化され、1983年から翌年にかけて複数の歌手が競作する曲となった。その中の1人、高田みづえは『第35回NHK紅白歌合戦』のステージでこの曲を披露している。
山下洋治とムーディ・スターズは、黒沢明とロス・プリモスよりも早い1964年にデビューした、クラウンレコードにおけるムードコーラスの第1号。ハワイアン系のグループで様々な歌手のバックを務めた。「新橋の雨」はロス・プリモスが「ラブユー東京」をヒットさせた後の東京のご当地ソングで、メインボーカルは長浜勇二。その後も多くのレコードを出しており、1978年の「チョット見のいい女」では女性歌手の松田淳子がフィーチャーされている。
後の声優・一城みゆ希とハワイ生まれのキャシー中島
1968年に「私を抱きしめて」でデビューした南田聖子は、後の声優・一城みゆ希。1969年にNHKの歌番組『ステージ101』のオーディションに合格してヤング101のメンバーとなり、芸名も一城みゆ希に変えた。
やがて、NHKの子供番組『おかあさんといっしょ』の歌のおねえさんを経て洋画の吹き替えをするようになり、アン=マーガレットやキャシー・ベイツの声を担当。アニメでも数多くの作品で主に大人の女性役を演じて大活躍した。「私を抱きしめて / 涙の街東京」はクラウンに遺されたソロ歌手時代唯一のシングルであり、これぞ秘宝の名に相応しい。
そして、今回最も注目されるであろう、キャシー中島の諸作品が満を持しての登場。キャッシー名義で出されたポリドールでのプレデビュー盤が1枚あるが、正式なデビューはクラウンから。1972年の「白い大地は誰のもの」が本格的な歌手活動のスタートとなった。
ハワイで生まれ、3歳から日本で育った彼女は恵まれたルックスを活かして1969年にモデルとして芸能界入り。タレントとして活躍する中での歌手デビューであった。馬飼野俊一が作・編曲した「白い大地は誰のもの」は哀愁を帯びたチャーミングなポップス歌謡。続く「涙のドレス」も馬飼野が手がけている。少しセクシー路線に寄った「暑い夏が悪い」は水上卓也の作・編曲による作品。
4枚目のシングル「愛されているのに」もグルーヴ感の濃い人気曲である。1974年の「渚のチュチュ」はカップリングの「裸足の週末」と共にさらにお色気たっぷりの作品で、オリジナルのレコードは滅多にお目にかかれないプレミア盤となっている。配信で聴くことが出来る恩恵に感謝したい。
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2026.11.08