歌謡曲のさらなる奥の細道に入り込んでいる全53作品の配信がスタート
1963年(昭和38年)に創立した日本クラウンからリリースされた昭和レトロな歌謡曲を復刻するプロジェクト『昭和歌謡復刻シリーズ』の第10弾が、8月19日に配信開始された。歌謡曲がミュージックシーンの中心的存在だった昭和40〜50年代の作品に焦点をあて、配信で復刻しているアーカイブ企画である。
今回解禁されたのは、千葉真一主演映画のモチーフとなった一節太郎の大ヒット曲「浪曲子守唄」、元・宝塚歌劇団雪組主演娘役で東宝の女優として活躍した新珠三千代の「氷点」、阿川弘之原作によるTBSドラマの主題歌となった牧田羊子の「あひる飛びなさい」など、全53作品。まさに歌謡曲のさらなる奥の細道に入り込むラインナップだ。YouTubeチャンネル『昭和レトロ 歌謡秘宝館』では全楽曲のオフィシャルオーディオ(公式試聴動画)が順次公開されている。
牧田羊子のデビュー曲「あひる飛びなさい」
TBSドラマの同名主題歌「あひる飛びなさい」でデビューした牧田羊子。コミックソングをはじめ、青島幸男の3枚目のシングル「今度こそは大丈夫」のカップリング曲「信じておくれ」を青島と一緒に歌った歌手として、クレージー・キャッツのファンには知られているだろう。名前は “めいこ” と読む。同盤を含め、1964年にクラウンから3枚のシングルをリリースしている。
甲高い声で朗らかに歌われる並木辰也「恋のそよ風」も1964年の作品。最初の東京オリンピックが開催された頃はこんなにも長閑な世の中だったのかと思わせる曲調だ。一方でほぼ同時期の1965年に出された金光満樹「壁の中の野郎ども」は夜のムード漂うハードボイルド調で、映画主題歌の趣きもあり、作曲は叶弦大。金光は俳優として大河ドラマや任侠映画に数多く出演していたが、当時出されたレコードはこれ1枚のみだったようである。
「おんな花」をスマッシュヒットさせた、かずみあい
少し時代は下り、藤代ミサ「駅前ブルース」は1968年リリース。巻き舌が特徴的なブルース歌謡でやさぐれ感満載。カップリングの「裏町のぎく」を作曲した中村千里は、この翌年に北島三郎の「仁義」をヒットさせている。後に中村典正と改名し、娘婿となる三山ひろしの育ての親としても知られている。
かずみあいはビクターのMCAレーベルから1971年にデビューし、「おんな花」をスマッシュヒットさせた実績がある。ビクターで6枚のシングルを出した後、1977年にクラウンへ移籍。やさぐれ歌謡の範疇といっていい「今夜もごろねだよ」(1978年)は移籍後2枚目となるシングルで、前作「港の小さな酒場」に続いて星野哲郎が作詞、叶弦大が作曲を手がけている。
同じく、やさぐれ歌謡の匂いが漂うのが、水城根子「男の匂い」(1971年)。水城は石川県金沢市出身で、作詞は島倉千代子「からたち日記」や小林旭「ギターを持った渡り鳥」など数々のヒットを世に送り出していた西沢爽。この前年には美川憲一へ「みれん町」「おんなの朝」を提供していた。
“ミスター・クラウン” としてデビューした津軽一郎
津軽一郎はその名の通り青森県出身。芸名の付け方は後の鳥羽一郎の先駆けといえる。1965年度の新人、“ミスター・クラウン” としてデビュー。民謡で鍛えたであろうハイトーンボイスが耳心地よい。翌1966年にかけて「国境の島」「あばよだぜ」「さいならこいさん」と3枚のシングルをリリースした。
愛原洋子は藤原良とのデュエット曲「ふたりの長崎」で1971年にデビュー。藤原良は、かつて高石かつ枝と共に「旅の夜風」をリバイバルヒットさせ、デュエット楽曲の印象が強かったことからの起用だろう。作詞家としても多くの作品がある。愛原はクラウンで4枚のシングルをリリースした後、1974年に牧美智子と改名してCBS・ソニーへ移籍。「ひざまくら」「街のともしび」などをヒットさせた。主題歌の「暁に駆ける」を歌ったドラマ『新・二人の事件簿 暁に駆ける』(テレビ朝日系)には婦警役でレギュラー出演していた。
米倉みゆきの勢いに圧倒される「好きでいっぱい」
米倉みゆきは、ジャケットの雰囲気や曲タイトルからして純和風の歌謡曲かと思いきや、伸びやかで弾んだボーカルは明らかにポップスシンガー特有のもの。「好き」が連発される1968年の「好きでいっぱい」もその勢いに圧倒される佳曲だ。また、カップリングだった「なみだの花」はミディアムテンポの愛すべき楽曲で、B面ながら名品。作詞の星野哲郎と作曲の山崎正清は、水前寺清子が歌った「敦賀すきすき」というご当地ソングを書いたコンビで、山崎は福井県敦賀市で楽器店を営んでいた。
2枚目の「ごめんね」では路線変更されてジャケットの写真も和装に。3枚目の「お酒ちょうだい」もだいぶ大人の雰囲気が漂う。そして、それから9年経った1979年に突如「お嫁にもらって下さい」をリリース。カップリングが「別離」となると、その間にいろいろあったであろう彼女の人生をつい考えさせられてしまう。
ストレートな東京ご当地ソング、小松実幸「渋谷公園通り」
ご当地ソング「まつり長崎」を1976年にリリースした小松実幸も今回久々に掘り出されたクラウンの女性シンガーである。全国でも有名な祭り、長崎くんちが歌われ、ランタンの前でポーズを決めるジャケットを見たら、必ず曲が聴きたくなる。カップリングの「二人の長崎空港」と併せて、ご当地ソングのお手本のような1枚。翌1977年に出されたギラギラなサマーソング「太陽の真下で」、さらに翌年のストレートな東京ご当地ソング「渋谷公園通り」も必聴。この振り幅の大きさこそまさに歌謡曲の醍醐味ではないか。
時代はぐっと遡り、愛田栄美のちょっと頼りなげでか細いボーカルも魅力的。サウンドには60年代らしさが色濃く漂っている。「喜びも悲しみも幾年月」でお馴染みの若山彰「また逢う日まで」とカップリングされた「青いブルース」は、1965年度のクラウン歌謡コンクールの課題曲だった。
ミリオンセラーを記録するロングヒットとなった、一節太郎「浪曲子守唄」
そして「浪曲子守唄」の大ヒットで、創立間もないクラウンレコードの屋台骨を支えた一節太郎の作品も一気にラインナップされた。シングル27枚、54曲の大ボリュームだ。今年7月に2枚組の『一節太郎 スーパーベスト』がリリースされたばかりだが、CDには未収録のB面曲もふんだんに聴くことが出来る。
新潟県出身の一節太郎は中学卒業後に流しのギター弾きとなり、1961年には作曲家・遠藤実の最初の内弟子となり、師の発案で浪曲風の声を作っての歌手デビューが進められたという。1963年12月10日、クラウンレコードの第1回新譜として発表された19枚のシングルのひとつが、一節のデビュー曲「浪曲子守唄」だった。
作曲の越純平は遠藤実の別名義。もともとは美空ひばりを想定して書かれた曲であったそうだ。関西方面から次第に火が付き、発売から2年後にミリオンセラーを記録するほどのロングヒットとなった。ほかのヒット曲に1965年の「出世子守唄」など。デビュー曲の後日譚となる1968年の「帰ってきた女房」は興味深いところ。B面曲ながら、昭和元禄らしいキーワードが躍る1969年の「四時半ブルース」も面白い。唯一無二の浪曲声で歌われた楽曲の数々を堪能していただきたい。
名女優、新珠三千代が刹那的に歌う「氷点」
最後は名女優の歌声でしっとりと。宝塚歌劇団出身の新珠三千代が歌った、テレビドラマ『氷点』(NET / 現:テレビ朝日)のイメージソングである。主に映画で活躍していた新珠が1966年に出演した『氷点』では、養女役の内藤洋子を苛める継母の演技が話題を呼び、台詞の “嫌ですわ” “困ります” が流行語となるほどだった。現在も続く寄席番組『笑点』(日本テレビ系)は、このドラマのタイトルをもじったものである。
新珠のはかない歌声はなんとも刹那的。後に今度は虐められ役となった『細うで繁盛記』(日本テレビ系)も忘れ難いドラマだ。こうして貴重な音盤が遺され、令和の今、再び聴けることに感謝したい。
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2026.09.11