クラウンレコード(現;日本クラウン)の膨大な楽曲アーカイブの中から、主に1960年代後半から1970年代初頭にかけての激レアナンバーを集めたYouTubeチャンネル『昭和レトロ歌謡秘宝館』が話題を集めている。1960年代後半のクラウンは、独自の楽曲づくりによるユニークな作品が多く、歌謡曲マニアからはレア音源の宝庫と呼ばれており、今回復刻された全43作品はすべて女性歌手。では、その魅力的なシンガーたちを紹介していこう。
"1人GS " の代表格・泉アキ、そして響かおる
まずはクラウン "1人GS " の代表格・泉アキ。1969年にフィリップスに移籍するまでのシングル4作のAB面全8曲が配信されている。 "1人GS " とは、音楽評論家の黒沢進氏が名付け親で、ソロ歌手がグループサウンズ(GS)の演奏をバックに歌った曲、もしくはソロ歌手が歌うGS風の楽曲もこう呼ばれる。現在は拡大解釈され "ビート歌謡" とか、女性シンガーのみを指して "キューティ・ポップ " と呼ぶことも多い。
泉アキは1968年2月に「恋はハートで」でデビュー。バックの演奏はクラウンのGS、ザ・レインジャーズで、1人GSの代表的な曲だ。「津軽海峡・冬景色」などでお馴染みの作曲家・三木たかしのデビュー作でもある。パンチのある歌声で、「♪ハート」を「♪ハ・ア・ト」と区切って歌う独特の歌唱法も印象深い。2作目「夕焼けのあいつ」は、「♪かえしてー!」の絶叫セリフがインパクト絶大でスマッシュヒット。彼女はその後、桂菊丸の妻となり、バラエティタレントとして活躍した。
1968年4月1日発売、響かおるのデビュー曲「太陽がこわいの」も、典型的な1人GSの歌唱スタイル。2作目「星とお月さま」は、とんでもなくオカズの多い、やり過ぎ感満点のドラムが一聴の価値あり。1970年3月発売のラストシングル「スキンシップ・ホールドシップ・フレンドシップ」は、社交ダンスの第一人者・中川三郎の監修による、ステップ付きのダンスナンバーで、途中で響かおるの声に混じって、中川らしき掛け声が入ってくるのが理解不能の面白さだ。
松平マリ子、エレキ歌謡の秀作「青春がギラギラ」
他にもマニアックな女性シンガーが多数。松平マリ子は、もともと梅木マリの名前で中学1年でデビュー。カバーポップスの全盛期に活躍したが、大人になって松平マリ子と改名。1966年の再デビュー曲「青春がギラギラ」は、ベンチャーズやアストロノウツの影響を受けたエレキ歌謡の秀作。1969年10月発売のラストシングル「めざめ」では、ため息唱法のムード歌謡になっていて、時代の変遷を感じさせる。松平マリ子は未発表曲も多いので、続く配信が待たれるところ。
「ヴェニスの恋」の原田糸子は、金井克子、由美かおるら西野バレエ団所属メンバーで結成された “レ・ガールズ” の一員で、スレンダーでスタイル抜群、殿方人気ナンバーワンだった。楽曲は異国情緒あふれる土地を舞台にした曲ばかりで統一されている。松竹の怪獣映画『宇宙大怪獣ギララ』(1967年)のヒロインをつとめたことで特撮ファンにもお馴染みだが、引退後は陶芸家に転身している。
1964年10月に「バラ色の朝」でデビューした浅野順子は、一貫して青春歌謡を歌ってきた清純派歌手。その後大橋巨泉と結婚し、家庭の人におさまった。ビート歌謡とムードポップスが融合した後期の「涙をかえして」は、中古レコード店でもなかなか見かけないレア盤である。
ビート歌謡の隠れた傑作「ブーガルー・ダウン銀座」
アニソンの名手・大杉久美子の歌謡曲時代の作品も配信された。大杉はクラウンの新人発掘コンクールで優勝し、1964年6月に柴山モモ子の名で「東京っ子」でデビュー。その後、環ルナと改名し、ビート歌謡の隠れた傑作「ブーガルー・ダウン銀座」を発表。1969年にテレビアニメ『アタックNo.1』の主題歌を歌い、アニソン歌手の第一人者となった。
東映の女優だった城野ゆきは、1968年に「マイダーリン東京」で歌手デビュー。TBSの特撮ドラマ『キャプテンウルトラ』のアカネ隊員その人である。エキゾチックな大人の色気が魅力的な、草間ルミの2作目「太陽に唄おう」は筒美京平が手がけた明朗歌謡ポップスで、筒美マニアからの人気が高い。
双子姉妹デュオ、ザ・キューピッツのダンサブルなナンバー「バザズ天国」
小島孝江、洋子の双子姉妹デュオ、ザ・キューピッツは、1965年にビクターからビートルズの日本語カバー「エイト・デイズ・ア・ウィーク」でデビュー。クラウン移籍後の1968年4月1日に発売された「バザズ天国」は、オルガンロックに2人のスキャットを重ねたダンサブルなナンバーで、2000年代に和モノ系DJたちがこぞってプレイした名曲。B面はシンガーズ・スリーの伊集加代子が華麗なスキャットを披露する「バザズNo.1」で、こちらも配信されている。ザ・キューピッツはその後マキシマムと改名し、1975年にトリオレコードから再デビューした。
これらの歌手や楽曲は、幾度か再評価の俎上に乗り、コンピレーションCDに収録されたこともあった。だが、オリジナルのシングル盤は万単位の高値がついているものも多く、これだけ大量の楽曲がまとめて配信で聴くことができるのは僥倖というほかない。この時代特有の、ビートが効いたサウンドとパンチのある歌声は、今の時代の音楽にはない魅力がある。1960年代のカルチャーに耽溺する若い世代も増えてきている昨今、この先も継続して音源を配信してくれることを切に願う。
▶ 音楽シーンのコラム一覧はこちら!
2025.12.15