タブレット純が選んだ、一筋縄ではいかない昭和歌謡30曲
昭和歌謡への深い造詣で知られるタブレット純。そんな彼でさえ、“知らなかった楽曲がたくさんあった” と驚いたのが、日本クラウンによる昭和レトロな歌謡曲を復刻するプロジェクト『昭和歌謡復刻シリーズ』である。今回、タブレット純がプレイリストを作るべく選んだ曲は、このシリーズで配信された楽曲の中から、気になる男性歌手・女性歌手の楽曲をそれぞれ15曲ずつ、計30曲。いずれも一筋縄ではいかない顔ぶれだ。今回はその全30曲から5曲をピックアップ。タブレット純ならではの解説・独占インタビューとともに、知られざる昭和歌謡の世界を覗いてみたい。
東京アイト「ひとりぽっちの唄」は「夢は夜ひらく」のルーツ?
まず取り上げたいのは、東京アイトの「ひとりぽっちの唄」。タブレット純が注目するのは、この曲と、のちに藤圭子らが歌った「夢は夜ひらく」とのつながりである。
「「♪雨が降るから逢えないの」とありますが、そこが「夢は夜ひらく」の「♪赤く咲くのはけしの花」になる。実はこの曲が元になっているんですね」
タブレット純によれば、その源流にあるのは、作曲家・曽根幸明が練馬鑑別所にいた頃に耳にした歌だという。「ひとりぽっちの唄」と「夢は夜ひらく」を聴き比べると、アレンジの雰囲気は異なるものの、確かにメロディーには共通点がある。一方、歌詞はまったく異なる。
(ひとりぽっちの唄)
お前の母さんどこにいる
いいやおいらはひとりぽっち
冷たい雪の降る夜に
さみしく死んでった
(圭子の夢は夜ひらく)
十五、十六、十七と
私の人生暗かった
過去はどんなに暗くとも
夢は夜ひらく
それでも、どちらにも救いのない孤独と薄幸の影が漂っている。「ひとりぽっちの唄」は、現在では広く知られているとは言い難い。しかし、その先を辿っていけば、誰もが知る昭和歌謡へとつながっていく。古い楽曲を掘る面白さが凝縮されたような1曲である。
タブレット純が家賃分を払って手に入れた「真赤なリボンとおさげのあの娘」
「これは貴重ですね。僕は結構高いお金を出して買ってしまったんですけれども」
そう切り出したタブレット純が選んだ1曲が、ドゥーディ・ランブラーズの「真赤なリボンとおさげのあの娘」だ。当時のクラウンレコードは演歌や歌謡曲だけでなく、流行していたカレッジフォークのレコードも送り出していた。その1枚がこの曲である。
メンバーに目を向けると、のちにザ・フォーク・クルセダーズへ加わるはしだのりひこの姿がある。ザ・フォーク・クルセダーズは一度解散を決めていたものの、自主制作で出した「帰って来たヨッパライ」が注目を集めたことから、1年間限定で再結成。その際、新たなメンバーとして迎えられたのが、京都のフォークシーンで注目されていた、はしだのりひこだった。
「帰って来たヨッパライ」の発売は1967年12月25日。一方、「真赤なリボンとおさげのあの娘」は同年6月10日に発売されている。つまり、はしだはザ・フォーク・クルセダーズの前に、別のグループですでにレコードデビューを果たしていたことになる。
「なかなか出てこないんですよ。再発盤は出てくるんですけど。出てきたときは当時の家賃分を払って買ってしまいました。家賃も風呂なしなので、大したことない家賃なんですけどね(笑)」
三浦友和の実姉・牧陽子が歌った「本牧ディスコティック」
女性編からは、まず牧陽子の「本牧ディスコティック」をピックアップしたい。タブレット純がこの曲について真っ先に触れたのは、そのサウンドである。
「中川博之先生がディスコの曲を書いていたという。なかなかかっこいい曲なんですよ」
中川博之とは、黒沢明とロス・プリモス「ラブユー東京」や森雄二とサザンクロス「足手まとい」をはじめ、艶のあるムード歌謡を数多く手がけた作曲家である。ノリの良い楽曲も書いていたことに、意外性を感じる。また、この牧陽子はなんと三浦友和の実姉にあたるという。
「友和さんがデビューする前から、牧陽子さんは歌手で、クラウンからデビューしていたんです。かなりレコードも出されています。歌声もかっこいいです」
爽やかな三浦友和のイメージとは対照的に、牧陽子の歌声は乾いていて、どこかやさぐれている。そして、ちょっと刺激的な歌詞が、突き放すような彼女の歌い口には絶妙に合っていて、いい味になっている。
セーラ相手の客引きで
ゆうべ ゆうべ刺されて死んだとか
誰が死のうと生きようと
いいじゃないかよ 本牧ディスコ
上岡龍太郎が作詞を手がけた、緑川アコ「庄内ブルース」
緑川アコの「庄内ブルース」では、タブレット純自身の忘れられない思い出が飛び出した。
20年ほど前、緑川アコのトークショーに出演したときのことだ。当時はまだ “田渕純” として活動しており、女装もしたことはなかったという。トークショーでは緑川本人が歌うことができなかったため、代わりにタブレット純が歌うことになった。
「じゃあ女装した方がいい、ということで女装して「カスバの女」を歌ったんですけど、あとでアコさんからこっぴどく怒られまして。“ふざけるんじゃないわよ” って(笑)。ちゃんと男装で歌えばよかったんですけど、女装したことがちょっとまずかったみたいで」
しかし、そのあと緑川から “でも歌は素晴らしかったわよ” と言ってもらえたことが、大きな自信になったという。怒られた記憶だけでは終わらない、忘れがたい思い出である。
そんな緑川アコの「庄内ブルース」をめぐって、タブレット純はラジオで紹介した際のエピソードも明かした。
「ラジオで『庄内ブルース』をかけるとき、庄内って東北の庄内だと思って、そのご当地ソングとして選んでしまったことがあったんです。でもこれは大阪の歌なんですね。それを物語るように、作詞が横山パンチさんなんです」
横山パンチとは、のちの上岡龍太郎である。タブレット純の解説によれば、横山ノックの政界進出によって漫画トリオが解散することになった頃、上岡は作詞家として身を立てようと考えていたという。この「庄内ブルース」が発売されたのは、漫画トリオが解散した1968年の7月。まさにその時期に、横山パンチ名義で手がけた1曲だった。
さらに上岡は、その後、吉田拓郎の「旅の宿」を聴き、“こんな歌を作る人がいるなら自分には無理だ” と作詞家の道を断念したともいわれている。1曲の作詞家を辿るだけで、思いがけない人物の転機まで見えてくるのが興味深い。
男3人が五月みどりを奪い合う「恋愛歌げんか」
女性編のプレイリストで最後を飾るのが、五月みどりの「恋愛歌げんか」。
「3人の男性が、五月みどりさんを取り合う感じの歌ですね」
タイトルどおりのユニークな設定だが、タブレット純が注目するのは、お色気歌謡に対する五月みどりの姿勢である。
「五月みどりさんのすごいところは、やっぱりお色気歌謡。当時は女性がそういう歌を歌うのを嫌がる方が多かったんですけど、“私はもう歌いたかった。エッチな歌、大好き” みたいな(笑)。その割り切った明るさが、五月みどりさんの魅力かなと思っています」
艶っぽい世界を湿っぽくせず、からりと明るく歌ってしまう。それこそが五月みどりの魅力なのだろう。ちなみにタブレット純は、“実は女性としてタイプです” とも明かしていた。
レコードを40年集めても、まだ知らない曲がある
ここまで5曲を紹介しただけでも、次々と人名や逸話が飛び出してくる。では、これほど膨大な昭和歌謡の知識は、どのように蓄積されてきたのだろうか。タブレット純に尋ねると、古い雑誌を見つけては買い、そこに載っていた情報を覚え、さらに芸能の世界に入ってからは、実際に当時の現場を知る人物たちと話すようになったという。
「実際の現場にいた人とかと知り合うと、どんどん話がマニアックになって(笑)。そこでまたさらに知識を得て。当事者の方とも話す機会があったりすると、実はちょっと事実と違っていたとか、Wikipediaと違うことが結構あったりして」
意識して知識を蓄えようとしてきたというより、好きで追いかけ続けるうちに、いつの間にか頭の中へ蓄積されていったのだという。そんなタブレット純ですら、今回の企画では “6割ぐらいは知らない曲もあった” と語る。昭和歌謡の世界は、それほど広い。
国立国会図書館まで聴きに行ったレコードが、いまは一瞬で聴ける
現在はYouTubeを開けば、何十年も前の音源や映像にすぐ出会える。しかし、タブレット純が昭和歌謡を掘り始めた頃はまったく違った。
「自分の世代は国立国会図書館とかに行っていました。グループサウンズですら、まだCD化されていなかったから、国立国会図書館で1回3枚申請できるんですが、録音もできないので、そこでしか聴けない。1日最大6曲聴くために行って、“こういうジャケットなんだ” って見るような、そういう時代だったので」
それが今では、かつて中古市場にもほとんど出回らなかったような楽曲まで、自宅からアクセスできる。
「今回、こんなにあっという間に見られちゃうというのは、ある種すごいなと。中学生、高校生ぐらいの自分が、もう喉から手が出るほど求めていたものだと思います」
そして、聴ける音源が一気に増えた今だからこそ、これまでとは違う昭和歌謡との出会い方も生まれる。
「若い方が、この宝箱の中ですごいものを掘り当てていくんじゃないかな。“こんなイカした曲がこの時代にあったのかよ” みたいな。人はよく知らないけど、DJでかけるとか。そういうふうに、どんどん使われていくんじゃないかなという気がします」
タブレット純が伝えたい「昭和歌謡は80年代だけではない」
近年は、昭和歌謡、昭和レトロという言葉を耳にする機会も増えた。しかしタブレット純は、現在「昭和歌謡」として語られるものが、松田聖子らに代表される1980年代の歌謡曲に偏りがちなことに、少し引っかかりを感じているという。
「最近は、昭和歌謡という言葉がほぼ80年代歌謡を指すものになっている。でも本当はもっとあるんですよね。藤山一郎までとは言わなくとも(笑)、流行歌と呼ばれ、歌が世相を映し、本当に生活や人生の救いになる応援歌だったという歴史があるわけで…… そこまで遡ることも大事なんじゃないかなと」
時代を遡れば、歌が担っていた役割そのものも変わっていく。サウンドの違いだけではなく、その時代の暮らしの中で、歌がどのように聴かれていたのか、その文化まで含めて見つめる必要があるのだろう。さらに1960年代の歌詞について尋ねると、タブレット純が挙げたのは、日本語の美しさだった。
「日本語が、結構きれいだと思うんです。意味がよく分からなくても、絵が浮かぶ。言葉から絵が浮かんで、それと音楽が融合してイマジネーションをもたらす。それが歌の本来の形のような気がするんです」
昭和歌謡には、音に惹かれて1曲を拾う楽しみもあれば、歌詞から情景を思い浮かべる楽しみもある。タブレット純のように、そこから歌手や作家の来歴を辿る人もいる。入り口は違っても、掘り進めるほど新しい発見がある。
40年にわたってレコードを追いかけてきたタブレット純にも、まだ知らない歌があった。今回掘り起こされた楽曲の数々もまた、昭和歌謡という広大な海のほんの一滴にすぎない。今回紹介した5曲も、復刻された楽曲のほんの一部だ。まずは気になった1曲から、プレイリストを聴いてみてはいかがだろうか。
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2026.09.28