ピンク・レディー50周年、そして増田惠子ソロデビュー45周年 1976年8月25日、「ペッパー警部」でデビューしたピンク・レディーは奇想天外な世界観と華やかな衣装で歌い踊る斬新なスタイルで、たちまち社会現象を巻き起こした。それからちょうど50年。大きな節目にあたる今年はスーパーデュオをリスペクトするアーティストが集結したトリビュート・アルバム『ピンク・レディー伝説 Now and Forever -50th Anniversary Tribute Album-』のリリースと、トリビュート・コンサートの開催も決定し、その偉大さが改めて注目されている。
一方、ピンク・レディーのケイこと増田惠子はソロデビュー45周年を迎え、竹原ピストルから提供された新曲「貴方は彼方へ」を発表するなど、意欲的な音楽活動を展開中だ。そのケイちゃんへのロングインタビュー。前編はピンク・レディーへの深い思いと、楽曲にまつわるエピソードを中心に語ってもらう。
「ペッパー警部」は喉から手が出るほど歌いたかったソウルフルな曲調 ―― ピンク・レディー50周年と、ソロデビュー45周年。ダブルアニバーサリーおめでとうございます。まずは現在の心境からお聞かせください。
増田惠子(以下:増田):「ペッパー警部」でデビューして以来、50年もファンの皆さんが支えてくださって、スタッフの方たちにも助けられて、今もこうして活動ができていることに心から感謝しています。お仕事に向き合う気持ちは50年前から変わりませんが、歌に対する思いは今の方が強いかもしれません。
―― デビューされたとき、50年後も歌っていると想像できましたか?
増田:10代でしたから、そんな先のことは考えていませんでした。そもそも生きているかどうかも分からないじゃないですか(笑)。
―― 新人としては目の前のことで精いっぱいですよね。売れるかどうか、この世界でやっていけるかは神のみぞ知る領域ですし。
増田:でもね、事務所のオープンリールデッキで「ペッパー警部」のカラオケを初めて聴いたとき、必ず売れると思いました。私たちが喉から手が出るほど歌いたかったソウルフルな曲調でしたから。B面に収録された「乾杯お嬢さん」も素敵な曲なので、ミイと2人で “こんなにいい曲をいただいたのだから、絶対にいけるよね” って確信していたんです。
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1976年2月「スター誕生!」の決戦大会で合格し、半年後にデビュー ―― ケイさんとミイさんは地元の静岡でヤマハのレッスンを受けて、ユニット活動を開始。高校を卒業する直前の1976年2月、オーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)の決戦大会で合格し、半年後の8月25日にデビューされました。『スタ誕』の審査員だった都倉俊一先生は “君たちは出来上がっている感じだね” と評したそうですが、ヤマハで培った実力があったからこそ、短期間でプロになれたのではないでしょうか。
増田:ヤマハからはデビューできそうにないと思った私たちは『スタ誕』に挑戦したわけですけど、当時あの番組からデビューする人たちはほとんどが10代半ばだったので、すでに18歳だった私たちはあとがなかったんです。実際 “君たちは年がいってるから、年内にデビューしないと来年はないよ” と言われたこともありました。それで8月25日のデビューが決まったんですよね。私たちをスカウトしてくれた事務所の相馬一比古さんは “なんとしても新人賞に入らなければ” と言っていましたが、そうでないと翌年に残れないことは私たちも分かっていました。
―― 当時、各テレビ局やラジオ局が主催する音楽祭は10月からスタートしていましたから、8月25日はギリギリのタイミングです。
増田:レコード会社(ビクター)からはまったく期待されていなくて、ディレクターの飯田久彦さんと、宣伝担当の大橋忠さんだけが力を入れてくださって。当初はそのお二人と相馬さん、「ペッパー警部」を書いてくださった阿久悠先生(作詞)と都倉先生(作曲・編曲)、振り付けの土居甫先生の6人が一致団結して、“ビクター上層部を見返してやろう” という状況でした。そういえばデビュー曲のレコーディングが終わったあと、ビクタースタジオの近くにあったレストランバーで決起集会みたいなことをやったんです。そこで相馬さんがギターを弾きながら歌う姿に感動して泣いてしまったことが昨日のことのように思い出されます。
自分たちが望むオリジナル曲でデビューすることができた ―― 相馬さんはお二人をスカウトした際、“君たちをアメリカのショービジネスで勝負させたい” とおっしゃったそうですね。ラストチャンスを掴んだお二人にとっては何より心強い存在だったのではないでしょうか。
増田:だから私たちも全身全霊でなんでもやりました。雪の月山に水着姿で登って撮影したり、銀座のキャバレーで1日ホステスをやったり。月山では周りの方たちがみな防寒着を着ているなか、ビキニ姿でにっこり笑って(笑)。“いやならいつでも静岡に帰っていいんだよ” って言われそうでしたから、根性が座っていたと思います。ようやく自分たちが望むオリジナル曲でデビューすることができたので、まずは名前と歌を覚えてもらおうと必死でした。
―― まさに背水の陣。その甲斐あって「ペッパー警部」が少しずつ売れてきたときは嬉しかったのではないですか。
増田:忘れもしない、99位に初登場したあと、103位に落ちたんです。翌週にまた100位内に戻ったのですが、それからは毎週マネージャーさんが持ってくるオリコンの順位を確認していました。
――「ペッパー警部」は発売から3ヶ月後の11月29日付けオリコンで初のトップ10入り。そこから怒濤のヒットが続きます。当時新記録の9作連続1位を達成したほか、約2年間、一度もトップ10からピンク・レディーの名前が消えなかったことも絶大な人気ぶりを物語る記録だと思います。
増田:素晴らしい楽曲をたくさん作ってくださった阿久先生、都倉先生、土居先生のおかげです。今は都倉先生しかいらっしゃいませんが、感謝という言葉では足りないくらい。50周年を記念したトリビュート・アルバムには《私たちがデビューするとき、阿久先生は、おもちゃ箱をひっくり返したような世界を”と表現されましたが、50年経った今、私にとっては 、おもちゃ箱ではなく、宝石箱になりました》というコメントを書かせていただきました。
私自身がピンク・レディーの楽曲から元気をもらえている ―― ケイさんの口から “宝石箱” という言葉を聞くと、「キャッチ・リップ」(「モンスター」B面)が流れていたアイスクリームのCMを思い出してしまいます(笑)。
増田:そうですよね(笑)。先生たちはシングルA面だけじゃなくて、B面やアルバムにも素敵な曲をたくさん書いてくださって。阿久先生と土居先生はお空の上に行ってしまわれましたけど、今も近くにいてくれる気がしています。
―― 相馬さんは2005年、阿久先生と土居先生は2007年にお亡くなりになりました。私は2003年から2年間限定で開催されたピンク・レディーの全国ツアーで、客席から手を振られていた土居先生の姿が焼き付いています。
増田:最終日の東京国際フォーラムにお招きしたときですね。5,000人のお客様が土居先生の振り付けで踊る景色をお見せすることができて、先生も喜んでくださいました。その2年後に旅立たれてしまったので、間に合ってよかったです。
―― ピンク・レディーの楽曲は歌詞と曲と振り付けの三位一体ですからね。2年間限定ツアーのときは解散から20年以上経過していましたが、各会場で自作の衣装に身を包んだ観客がピンク・レディーと一緒に歌い踊る参加型のコンサートになりました。それは2010年に “解散やめ!” を宣言したあとのツアーでも継承されて現在に至ります。
増田:解散して10年以上、自分のライブでピンク・レディーの楽曲を歌うことはなかったんです。でも時が経つほどに求められることが増えてきて、ソロのステージでも歌うようになって。40歳を過ぎた頃かなぁ。私自身がピンク・レディーの楽曲から元気をもらえていると感じるようになりました。それで気付いたんですけれども、忙しかったあの頃、寝てない、食べてない状態のなかで、イントロが流れると突然元気になって歌えていたのは、当時も先生たちがお作りになった楽曲からパワーをいただいていたんだなと。そう思うと、改めて感謝の念が深くなりましたね。
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百田夏菜子と「UFO」をコラボ ―― 今年はデビュー50周年を記念したトリビュート・アルバム『ピンク・レディー伝説 Now and Forever -50th Anniversary Tribute Album-』が8月26日にリリースされます。平成生まれの若いアーティストも多数参加していますが、それだけピンク・レディーの楽曲が時代や世代を超越した魅力を湛えていることの証ではないでしょうか。
増田:本当にそうだと思います。どなたのカバーにも、その方の個性が前に出ていますが、楽曲自体の魅力は変わらない。どうアレンジしても素晴らしいんですよね。
―― 言葉とメロディに力があるから、どなたが歌っても成立するのでしょうね。今回「渚のシンドバッド」をカバーしたももいろクローバーZの百田夏菜子さんはケイさんと同じ静岡のご出身。2023年の大晦日に横浜アリーナで開催された第7回『ももいろ歌合戦』ではケイさんと「UFO」をコラボしたこともありました。
増田:楽しかったですよ!彼女のお母様がピンク・レディーの大ファンで、事前に “すごいことをやるんだから、絶対に間違えちゃダメよ!” って言われたそうです。ももクロさんといえば、先日、玉井詩織ちゃんともCSの生放送(フジテレビNEXT『しおこうじ玉井詩織 × 坂崎幸之助のお台場フォーク村NEXT』)で「ウォンテッド(指名手配)」を歌いましたが、詩織ちゃんのパフォーマンスも素晴らしくて。ピンク・レディーの振り付けDVDを観ただけで、完璧に歌って踊ってくれて最高でした。彼女たちは生で歌うスタイルをずっと続けている素晴らしいグループだと改めて感じましたね。
―― 8月15日に放送されたNHK『うたであえたら2026』では南野陽子さん、生田絵梨花さん、FRUITS ZIPPERの櫻井優衣さんともピンク・レディーの楽曲をそれぞれコラボされました。昭和の歌謡界では、アイドルポップスは一過性のもので残らないという見方をする人もいましたが、半世紀を経て、それが間違っていたことが証明されました。令和のアイドルも歌い継いでいるのは嬉しいことではないですか。
増田:嬉しいですね。あの時代、頑張ってよかったと思います。今の若い方には想像ができないかもしれませんけど、当時、幼稚園生や小中学生だった方たちの記憶にも、身体にも、ピンク・レディーの歌や振り付けが染みついている。それってすごいことですよね。私も毎回、魂を込めて歌って踊っていたので、それが皆さんに伝わって、こんなに長いこと色褪せずに残っているのだとしたら、あの頃の頑張りが報われたような気がします。
解散前のラストシングル「OH!」は当時意外だったバラード ―― ケイさんは腹膜炎の手術を受けた10日後、お腹にラップを巻いて日本武道館のステージに立ったこともありましたからね。今回のトリビュート・アルバムはデビュー曲の「ペッパー警部」から解散直前の「OH!」まで、11曲のカバーが収録されていて、初回限定盤にはその11曲のオリジナルとカラオケの全22トラックを収めたCDも付属しています。
増田:「OH!」は解散前のラストシングルとして阿久先生と都倉先生に書いていただいたので、“最後はみんなで盛り上がれるような、ピンク・レディーらしい曲調になるのかな” と予想していたんです。それがバラードだったので、当時は意外に感じていたのですが、阿久先生は “今はピンとこないかもしれないけれど、時間が経てば経つほど、歌詞の意味が分かるようになるよ” とおっしゃって。そのときは、そうなんだと思っていたんですけれど、本当にそのとおりで、最近は歌い出しから泣きそうになってしまうんですよね。実は私たちが『スタ誕』の決戦大会に出場したとき、開襟シャツの襟に “OH!” というロゴのバッジを付けていたんです。偶然とは思えませんし、先生たちからの “何年経っても、聴いたとき、歌ったときにもっともっと心が豊かになるよ” というメッセージが込められている気がして、人生の支えになっています。
―― 親の愛情に通じるものを感じますね。作り手やスタッフの皆さんがケイさん、ミイさんのことを考えて、真剣に取り組んでいたからこそ、時の洗礼を受けても作品が輝き続けているのかもしれません。
増田:先ほどもお話ししましたが、ピンク・レディーの楽曲には不思議な力があって、歌い出すと増田惠子じゃなくて、ピンク・レディーのケイになる。そして歌と自分が一体化してテンションが一気に上がるんです。60歳を過ぎると、どうしても体力は落ちてきますが、ピンク・レディーを歌って踊り始めると止まらなくなるの(笑)。若い頃に戻るというよりも、体力がプラスされていく感じ。今年はアニバーサリーイヤーでもあるので、8月29日と9月2日に大阪と横浜で開催するビルボードライブではピンク・レディーの楽曲をこれまで以上にガンガン歌う予定です。
―― それは楽しみです。毎回、ピンク・レディーのコーナーでは観客総立ちで踊るのが恒例となっていますが、例年以上の盛り上がりとなりそうですね。
増田:70歳近くになっても、自分たちの楽曲からこんなにパワーをもらえるなんて、ありがたいことですよね。実を言うと、以前は “ピンク・レディーを踊れるのは70歳までかな” と思っていたんです。でも最近は “80歳まではできるかも” って。もちろん元気でいることが大前提となりますけど。
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過去を超えるようなものでないと意味がない ―― それは心強いお言葉です。ケイさん、ミイさん、揃ってのステージを心待ちにしているファンも大勢いらっしゃいますから。
増田:50周年のタイミングで、2人が一緒に歌って踊る予定は今のところなくて、それは寂しいことではあるんですけど、お互いが元気にお仕事ができていることが、まずは幸せなことであって。先のことは分かりませんが、この先も2人が健康だったら、点と点が結びつくかもしれませんし。ファンの皆さんのことを考えると、とても切ないですけれども、2人でやるのであればいちばんいい状態でやりたいので、なかなか難しいところです。
―― ケイさんも、ミイさんも、ピンク・レディーに対して並々ならぬ愛情とプライドを持っておられますから、2人でステージに立つのは生半可な覚悟ではできないと。
増田:そうです。“懐かしい” で終わらず、過去を超えるようなものでないと意味がないと私は思っていますので。ちょっとストイックすぎるのかもしれませんが、ピンク・レディーというのは先生たちはもちろん、担当してくださったすべての方たちが命を張って作り上げた勲章ですから、個人のものではないんですよね。今はお空にいらっしゃる方たちも含めて “あの2人に関われてよかった” と思っていただけるような生き方をそれぞれがして、タイミングが合ったときには2人が心をひとつにできればと思っています。
*後編では45周年を迎えたソロ活動に関する話や、新曲「貴方は彼方へ」に懸ける思いなどを伺います。
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2026.08.25