成人の日にちなみ、昭和期にデビューし、2025年末の『第76回NHK紅白歌合戦』に出場した歌手のなかから、4人の20歳の頃の活動について振り返ってみたい。
名曲「やさしさに包まれたなら」はリリース当時にヒットせず 松任谷由実(生年月日:1954年1月19日) ユーミン(当時:荒井由実)の20歳は、1974年1月19日から1975年1月18日までの1年間である。1972年7月5日、「返事はいらない」でデビューしたユーミンは、この時点でデビュー2年目を迎えていたが、当時は一部の音楽ファンに知られる存在にすぎなかった。20歳を迎える前の1973年11月には、後に名盤として評価されるファーストアルバム『ひこうき雲』を発表しているが、発売当初のセールスは芳しくなく、世間的な反響も限られたものだった。
20歳のときにリリースされたセカンドアルバム『MISSLIM』も同様である。初動の売上は低調だったと言っていい。当時、洗練された都会的サウンドそのものが、一般的なリスナーにとっては新しすぎ、受け止める土壌がまだ整っていなかった。 またこの時期に、大人になって忘れかけていた子供の頃の純粋な視点を歌った「やさしさに包まれたなら」をシングルとしてリリースしている。不二家ソフトエクレアのCM曲に起用されたが、爆発的なヒットに至ることはなかった。
同曲が大衆により広く知られるようになったのは、発売から15年後の1989年に映画『魔女の宅急便』のエンディング曲として使用されてからのことである。そして2000年代以降は、数多くの企業CMで使われ続け、その過程で多くのシンガーやミュージシャンにカバーされてきた。これほど多くの人に長く愛される楽曲を、20歳前後に書いていたユーミンの才能には、あらためて驚かされる。
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「よろしく哀愁 」と同じ筒美京平の曲がヒット 郷ひろみ(生年月日:1955年10月18日) 郷ひろみが20歳だったのは、1975年10月18日から1976年10月17日までの1年間である。デビューはユーミン(荒井由実)と同じ1972年。当時 “新御三家” と呼ばれた郷ひろみ、野口五郎、西城秀樹はいずれも1955年度生まれであり、20歳だった時期もほぼ重なっている。この時期の郷ひろみは、大きな転機を迎えた。20歳になる直前の1975年3月、デビュー以来所属していたジャニーズ事務所を離れ、バーニングプロダクションへ移籍したのだ。
新天地で迎えた20歳の時期には、「逢えるかもしれない」「バイ・バイ・ベイビー」「恋の弱味」「20才の微熱」と、ハイペースなシングルリリースを重ね、アルバムはベスト盤、ライブ盤を含め4枚もリリースした。そして、20歳の最後を締めくくるシングルが、1976年8月発売の「あなたがいたから僕がいた」である。自身の最大のヒット曲「よろしく哀愁」のオマージュ的に制作されたとされるこの曲は、第18回日本レコード大賞・大衆賞を受賞し、同年大晦日の『第27回NHK紅白歌合戦』での歌唱曲となった。「よろしく哀愁」と同じく、作曲は筒美京平である。
2026年現在、男性アイドル史の初期から活動し、70代となった現在も歌って踊るエンターテイナーとしてフルステージをこなし続けている存在は、郷ひろみ以外に見当たらない。紅白からは去ったものの、ステージから降りる日は、まだまだ先だろう。
歌詞は意外とダークな「万華鏡」が代表曲に 岩崎宏美(生年月日:1958年11月12日) 『第76回NHK紅白歌合戦』で「聖母たちのララバイ」を歌った岩崎宏美は、1975年に歌手としてデビューした。実力派歌手として認知されてからの方が長いためか、アイドル史を振り返る際には語られにくいポジションにいるが、セカンドシングルの「ロマンス」がオリコン週間チャート1位の大ヒットを記録するなど、当初はトップクラスの人気アイドルだった。デビュー1年目には『第26回紅白歌合戦』に紅組のトップバッターとして出場している。
岩崎宏美の20歳は、1978年11月12日から1979年11月11日までの期間である。当時の女性アイドルにとって20歳は次のステップへ踏み出す節目の年齢だった。それを象徴するように、19歳だった1978年2月には「二十才前」というシングルをリリース。阿久悠の作詞によるこの曲は、大人への階段を上り始める心情を正面から描いた1曲だった。
そして、20歳のときの代表曲といえば、1979年9月リリースの「万華鏡」だ。幻想的なイントロから始まるこの楽曲は、愛する人に裏切られ、自暴自棄になりかけている女性の心情を描いたものだった。センチメンタルで覚えやすいメロディと伸びやかな歌唱がはまり、「二十才前」以来となるオリコントップ10入りを果たし、第21回日本レコード大賞・金賞を受賞、年末の『第30回NHK紅白歌合戦』でも歌唱されている。
その後も、実力派女性ポップスシンガーとして活動を継続。1981年「すみれ色の涙」、1982年「聖母たちのララバイ」、1983年「家路」とヒットを重ね、2025年にデビュー50周年を迎えている。
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ユーミン作曲の「渚のバルコニー」で新規ファンにアピール 松田聖子(生年月日:1962年3月10日) 『第76回NHK紅白歌合戦』の大トリ、Mrs. GREEN APPLE のあとに「青い珊瑚礁」を歌唱するという特別な配置で『第76回NHK紅白歌合戦』に迎えられた松田聖子は、1980年にデビューした。比較されがちな中森明菜とはデビュー時期に2年の開きがあり、年齢も松田聖子のほうが3歳上である。20歳だったのは1982年3月10日から1983年3月9日までの1年間で、中森明菜が1982年5月1日にデビューした時点で、すでに20歳に達していた。
この時期は、オリコンの連続1位記録を更新していた全盛期にあたり、「渚のバルコニー」「小麦色のマーメイド」「野ばらのエチュード」「秘密の花園」と、リリースされたシングルはいずれも大ヒットを記録している。なかでもこの時期に最大のヒットとなったのが、「渚のバルコニー」だ。作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂(松任谷由実)、編曲:松任谷正隆によるこの曲は、同じ作家陣の「赤いスイートピー」の次に発表されたシングルであることが重要だ。「赤いスイートピー」は、松田聖子が女性ファンを大きく獲得した曲として知られており、その流れを受けて発表されたのが「渚のバルコニー」だった。
1980年代の松田聖子には季節感の鮮明な楽曲が多く、とりわけ夏は特別な季節だといえる。デビュー1年目に「裸足の季節」「青い珊瑚礁」、2年目に「夏の扉」「白いパラソル」と、サマーソングの2連打を続けるプロデュースがなされた事実がある。そして20歳を迎えた3年目の1982年は、4月に「渚のバルコニー」、7月に「小麦色のマーメイド」と、同じくサマーソングを続けた。さらに1982年5月には、夏のイメージを前面に押し出したアルバム『Pineapple』をリリースした。
松田聖子のサマーソングには、ギラギラ照りつける太陽のイメージよりも、どこか涼しげな海風が吹くビーチリゾートの情景が広がる。その歌詞世界に、当時のリスナーは強い憧れを抱いた。松田聖子とサマーソング、そしてリゾートソングの結びつきが決定づけられたのは、まさに20歳前後のこの時期だった。
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2026.01.12