7月6日

ハートが掴んだ空前の成功、時代を手繰り寄せたウィルソン姉妹の強さ

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奇跡の姉妹、アン・ウィルソンとナンシー・ウィルソン


「歴史は強い女性を好む」。アメリカンロックのレジェンド、ハートのバイオグラフィー冒頭に記された言葉だ。「ロックの歴史は」とアレンジしても良いかもしれない。アン・ウィルソンとナンシー・ウィルソンが秘めた不屈の「強さ」こそが、ロック史において他に類をみない奇跡の姉妹を生み出す根源となった。

ウィルソン姉妹のキャリアは、前身バンドを含めると、70年代初期まで遡る。当時は女性ロッカーの存在自体が好奇の目に晒された時代だ。ジャニス・ジョプリンの没後からまだ日が浅く、スージー・クアトロあたりの登場とも重なる。そんな黎明期に、ソロではなく女性主体のロックバンドの礎を築いたのがウィルソン姉妹だった。現代のロックシーンに繋がる功績は計り知れない。

栄光の70年代から一転、ハートに立ちはだかる “80年代の壁”


75年にデビューしたハートは、レッド・ツェッペリンの影響下にあるアコースティカルで伝統的なハードロックを披露し、デビューアルバム『ドリームボート・アニー』から全米7位の成功を収める。「マジック・マン」、次作からの「バラクーダ」など、のちに名曲として語られるシングルも軒並みヒット。70年代のロックシーンで確固たる地位を固めていく。

黒髪のアンと金髪のナンシーのコントラストによる美貌が注目を集めただけでなく、エモーショナルで力強く繊細さも兼ね備えたアンの歌唱力とアコースティックを自在に使いこなすナンシーのギタープレイ、卓越したソングライティングも評価されてこその結果だった。

そんな順風満帆だったハートにも、“80年代の壁” が立ちはだかる。とりわけ、彼女たちをしてどん底と言わしめたのが、82年『プライベート・オーディション』、83年『パッションワークス』の頃だ。初期メンバーが入れ替わり、ウィルソン姉妹がイニシアチブを握った当時、80sの HM/HR 的なサウンドにも接近すべく、試行錯誤している様が受け取れる。僕は2枚とも過小評価されていると思うが、商業的には失敗に終わり低迷期を迎えてしまう。

大いなる決断、辣腕プロデューサーと外部ライターの起用


70年代の栄光を取り戻すために、ウィルソン姉妹が下した決断は、ロン・ネヴィソンによるプロデュースと外部ライターの起用を受け入れることだった。これまでバンド自身による楽曲で成功を収めてきただけに、外部ライターを中心にした作品は自らのプライドを捨てる強い覚悟と大きな賭けだったに違いない。

かくして完成した8枚目のアルバムは、初のセルフタイトル『ハート』と名付けられた。奇しくもデビューからちょうど10年目。70年代から続くバンドのキャリアをリセットし、時代にマッチした新しいバンドへと生まれ変わる強い決意を示すかのようだ。

ジャケットに写るウィルソン姉妹の風貌も、垢抜けない田舎の美少女が突如煌びやかでゴージャスな大人の美女になったかのように、変貌を遂げていたのが驚きだった。そのルックスを前面に押し出したPVは、MTV全盛期の勢いに乗ってパワープレイされ、アルバムのセールスを強力に後押ししていった。こうした様々な変化は、結果としてハートに初の全米1位の栄誉をもたらした。

ロンとの蜜月は87年の次作『バッド・アニマルズ』でも続き、ここでも厳選された多くの外部ライターの楽曲が採用された。ロンの真骨頂と言える、クリアでソフィスティケイトされたゴージャスなサウンド創りにも磨きがかかり、全米2位と再び大成功を収めた。

プロデュースはロン・ネヴィソン、ハートを頂点に押し上げた重要人物


ハート復活劇の重要人物であるロン・ネヴィソンだが、一部の HM/HR ファンは彼に良いイメージを持たないかもしれない。というのも、ロンがマイケル・シェンカー・グループの81年作『神話(MSG)』をプロデュースした際に、ドラムのコージー・パウエルが、ロンの音作りを痛烈に批判した有名なエピソードがあるからだ。

そんな悪評とは裏腹に、当時のロンはサバイバーを『バイタル・サインズ』の大ヒットで窮地から救い、ヒット請負人としての階段を着実に昇っていた最中だった。売れるために手段を選ばないロンだからこそ、ハートの核といえるソングライティングをイチから見直し、作品にマッチした優れた曲を外部から集める決断ができたのだろう。

誰もが知るハートの有名曲のクレジットを改めてみると興味深い。「ホワット・アバウト・ラヴ」は、「ヘヴン」を始めブライアン・アダムスの有名曲を多く手がけたジム・ヴァランスと、彼が関与したカナダのロックバンド、トロントのメンバーによる共作だ。この楽曲はトロント名義で83年にレコーディングしていたが、お蔵入りになっていたものだった。後年発表されたその原曲と比較すると、楽曲の構成等に差異はないものの、ロンのプロデュースにより、格段に磨きが掛かったことを如実に理解できる。

「ネヴァー」は、パット・ベネターをはじめ多数の有名アーティストを手がけるホーリー・ナイトら外部ライターだけでなく、ウィルソン姉妹も加わっての共作で、こうしたパターンの曲作りも行われていた。

「ジーズ・ドリームス」は、スターシップの「シスコはロック・シティ(We Built This City)」等を手がけたバーニー・トーピンとマーティン・ペイジによるもので、当初スティーヴィー・ニックスのために書かれたものだったという。もし採用されていたら、ハート初の全米1位は実現しなかったかもしれないと思えば興味深い。こうした楽曲をセレクトしたハートとロンの目利きはお見事だ。

「アローン」(『バッド・アニマルズ』に収録)は、マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」やシンディ・ローパーの「トゥルー・カラーズ」等、有名楽曲の数々を手がけたビリー・スタインバーグとトム・ケリーのコンビによるものだ。実はこの楽曲は二人が83年に i-ten 名義で発表したのが原曲であり、聴き比べると、ここでもロンのプロデュース力の高さを実感できる。

後年、ウィルソン姉妹は当時のロンとの仕事について、納得できない点もあったことも後述しているが、ロンとハートの理想的な組み合わせ無くして、大ヒットの数々は成し遂げられなかったであろう。

いまや奇跡の美魔女姉妹、前人未到の女性ロッカー!


ヒットの法則を身につけたハートは、次作ではロンと袂を分かち、新たにリッチー・ズイトーのプロデュースで、ハードロック色を強めた『ブリゲイド』を90年に発表。全米3位を記録して三たび大成功を収めた。僕は80年代の集大成で圧倒的な完成度を誇るこの作品こそが、ハートの最高傑作であると思う。

モンスターヒット作の記憶が何かと強いハートだが、そのライヴパフォーマンスの魅力も成功に導いた大きな要因だった。僕が観たのは88年の来日公演だったが、全盛期ならでは華やかで迫力のあるロックショウは、PVのライヴシーンを切り取ったかのように素晴らしかったのを記憶している。

シアトルを発祥にした90年代のグランジブームに、同郷のハートも御多分に洩れず影響を受けたのは皮肉なものだ。しかし、70年代のサウンドに原点回帰しつつ、コンスタントな活動を継続して、2013年にはロックの殿堂入りを果たす。

2020年6月にアンは70歳を迎えるが、ロックの歴史が生んだ奇跡の美魔女姉妹の魅力は普遍であり、世界中のどの姉妹よりもロックし続け、前人未到の道を歩み続けている。

2020.05.14
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