9月19日

1980年の名盤、山下達郎「RIDE ON TIME」が色褪せない理由とは?

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photo:SonyMusic  

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山下達郎 / RIDE ON TIME


ポップミュージックが激的に進化したディケイド


1970年代は、ポップミュージックが激的に進化したディケイドでした。それは日本でも米英でもそうだったのですが、進化の中味はまったく違っていました。

米英では基本的にロックが多様化し、プログレッシブ、ハード、ウエストコースト、フュージョン、パンクと様々なサウンドが生まれてはそれぞれに人気を得て成長していったのですが、日本では、歌謡曲&演歌という元からの “大地主” がドカンと真ん中に居座りつつ、米英の影響を受けた “開拓者” があれこれ耕してみては、芽が出たり出なかったりという具合。

最初に根付いて、大きく育ったのが「フォーク」で、吉田拓郎や井上陽水はヒットチャートを席巻しました。一方「ロック」は、“フラワー・トラベリン・バンド”、“ブルース・クリエイション”、“はっぴいえんど” などいろんなバンドが現れましたが、一部のマニア向けのアンダーグラウンド的存在でしかありませんでした。

山下達郎が1973年に結成した “シュガー・ベイブ” も、洗練されたコードプログレッションやコーラスワーク、ファンキーなリズムなど、当時の日本では群を抜いて斬新なサウンドを標榜していましたが、それでも鳴かず飛ばず。1975年、大瀧詠一のナイアガラ・レーベルから唯一のアルバム『SONGS』をひっそりと発売した1ヶ月ちょいあとに、拓郎、陽水、小室等、泉谷しげるが鳴り物入りで「フォーライフ・レコード」を立ち上げたのが、実に好対照でした。

サウンドよりも歌詞が重視された日本の70年代


フォーク的でありつつ、“キャラメルママ”+シュガー・ベイブによるオシャレなサウンドを配した荒井由実は、フォークとは違うってことで、「ニューミュージック」と呼ばれるようになりますが、彼女はしっかり売れましたね。

思うに70年代は、サウンドよりも歌詞が重視された時代ではないでしょうか。拓郎、陽水、ユーミンらは、その詞の言葉が若者たちの心をガッツリ捉えました。メロディもよかったけど、それだけでは歌謡曲の牙城は崩せなかったでしょう。60年代の怒りと闘いが挫折した若者たちにとって、「祭りのあと」や「傘がない」や「いちご白書」はまさに自分たちの気分そのものだったし、自意識が芽生えた女子たちには、ユーミンの作品群は「これこそ私の気持ち」でした。そのように共感できる言葉は歌謡曲には存在しなかったのです。

でもロックは、フラワーやクリエイションなど英語で唄っていたのはもちろん論外で、はっぴいえんど(詞は松本隆)や達郎(初期の詞はほぼ吉田美奈子)も、歌詞がちょっと難しすぎた。スッと入ってきて情景や心の動きが見えるような詞じゃなかったのです(のちの松本隆は文学性とわかり易さの両立を果たし大成しますが…)。

多くの人たちにとって、まだサウンドはどうでもよかった。ユーミン作品はメロディも革命的だし、サウンドのクオリティも高かったけれど、それが評価され、より彼女の存在感を高めるのはおそらく80年代になってからです。

したがって山下達郎も、シュガー・ベイブはアルバム1枚で崩壊し、彼の才能を信じたRCAレコードのディレクター、小杉理宇造のバックアップにより、『CIRCUS TOWN』(1976年)、『SPACY』(1977年)、『GO AHEAD!』(1978年)と、渾身のソロアルバムを3作世に問うも、いっこうに “打てど響かず” という状況だったのです。

ディスコブームがもたらした、音楽をサウンドで楽しむ感性


「いいもの創っているつもりなのに、なんで売れないんだ」と頭を抱えていると、1979年、ようやく希望の光が。『GO AHEAD!』からのシングル「LET'S DANCE BABY」のB面「BOMBER」が大阪のディスコで盛り上がってきたのです。

折しもディスコブームの真っ只中です。ラジオや雑誌でプッシュされなくても、ディスコからヒットが次々と生まれ、ローリング・ストーンズやロッド・スチュワートなど大物アーティストも、売れるためにディスコサウンドを取り入れる時代でした。

面白いのは東京と大阪で受ける曲がやや違っていたこと。東京はキック4つ打ちで単純なビートが人気なのに対し、大阪では16ビートの、ファンクっぽい、ネチっこいビートが好まれました。「BOMBER」のサウンドは大阪のディスコ客にドンピシャで、日本語のそんな曲、他にはありませんでした。

あの時期日本で、なんであんなにディスコが流行ったのかよくわかりませんが、それがもたらしたいちばん大きな影響は、ヒット曲の量産や猫も杓子もディスコサウンドとかではなく、音楽を “サウンドで” 楽しむ人たちを急増させたことだと、私は考えています。

高まってゆく山下達郎ヘの評価


そう、ディスコブームによって、「歌詞偏重の時代」は終わり、人々はようやくサウンドに注目するようになったのです。そうした時代の動きとともに山下達郎の評価は高まっていきます。『GO AHEAD!』のオリコン・アルバムチャート75位に対し、次作の『MOONGLOW』(1979年)は20位。しかも1年間チャートインし続けるという、徐々にかつ着実に認知が広がっていることの証であるロングセラーとなりました。

そしてそれに続く本作『RIDE ON TIME』では、一気に1位の座を獲得。上昇傾向をさらに加速させたのは、先行して5月に発売されたシングル「RIDE ON TIME」で、小杉理宇造ががんばって取ってきた「maxellカセットテープ」のCMタイアップもあって、50万枚のヒットとなっていました。CMには、あんなに “顔出し” を嫌がる彼が出演もしていますが、きっと初めてのことで、考えるスキもなくやらされていたのでしょうね。

「RIDE ON TIME」の成功を後押ししたいくつもの追い風


アルバムを聴くと、1曲目の「いつか」から4曲目「RIDE ON TIME」まで、すなわちLPでのA面ですが、その堂々たるグルーヴに圧倒されます。日本語で唄われる曲で、ここまで “16ビート&ファンク” のノリを気持ちよく聴かせてくれるものは、この時点では確実に他にはなかったし、充分完成度の高い前作『MOONGLOW』と比べても、スケールが一回り大きくなっているように感じます。

やはり、前年からレギュラーとなった、ドラムの青山純(当時22歳)とベースの伊藤広規(25歳)という優秀で若いリズム隊の貢献が大きいのでしょう。本人は「彼等はどんなスタイルも私の満足するグレードで演奏できる初めてのコンビでした」と語っています。この2人が以前からの難波弘之(キーボード)と椎名和夫(ギター)に合流し、「苦節4年、ようやくレコーディングもライブも共通の固定メンバーを獲得することができました」。

シングルヒットを受けて、アルバム制作の予算が大幅に増えたことが、さらに追い風となりました。「スタジオ代を気にせずに違うテイクやアレンジがトライできること」も実現したのです。ちょうど前年に、その後達郎のホームグラウンドとなるCBSソニー六本木スタジオが完成し、達郎のレコーディングを一手に担っていく吉田保がそのチーフエンジニアに就任したことも、実にタイミングよくラッキーでした。

なぜか、80年代という新時代に向かって、悩んでいたことが次々と、冬から春へと移り変わるようにサァッと解消されて、山下達郎にとって理想的な環境が訪れたのです。このアルバムからは何よりも、達郎自身の「心に火の点いたあふれる喜び」がグングン伝わってきます。

アルバム「RIDE ON TIME」を色褪せさせないものとは?


ただし、彼はヒットに浮かれることなく、本アルバムはむしろ、「玄人受けする内容にするのだ」とあえて意識したようです。たしかにサウンド重視で、メロディ的には「RIDE ON TIME」のようにキャッチーな曲は他にありません。その「RIDE ON TIME」もアルバムではシングルとは別バージョンで、テンポをほんの少し押さえ、シングルのあの、“1サビ” へ向かっていく高揚感も控え目に、比較的淡々としています。でも中盤から後半への、いつまでも浸っていたいような持続的な幸福感はシングルをはるかに凌いでいると思います。

「玄人受け」は「ポップじゃない」ということではありません。それは、シロウトには分からない、深い微妙なところまで突き詰めるということ。そこから生まれてくるのは、“音楽の結晶” のようなもの。このアルバムにはたしかにそれが埋まっていると感じます。

思いがけない順風に包まれると、人はともすれば浮き足立ってしまいます。そうはならず、「玄人受け」へ舵を切った達郎は実に懸命でした。表面的なポップさはやがて剥がれ落ちてしまうもの。その下に、硬い音楽の結晶があるから、アルバム『RIDE ON TIME』は、長い年月を経てもなお、輝きを失わないのです。



2020.12.22
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カタリベ
1954年生まれ
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