6月22日は、眞木準さんの命日である。
広告メン&ウーメンなら、彼の名を知らない輩はモグリだ。業界外の人でも、80年代を生きた人なら、彼の広告コピーを必ず目にし、耳にしたことがあるはずさ。
博報堂で71年の入社以来、「でっかいどお。北海道」(全日空)、「恋を何年、休んでますか」(伊勢丹)、「ホンダ買うボーイ」(HONDA)など数え切れないほどの名作コピーを綴ってきたのが眞木さん。
その凄さは『日本のコピーベスト500』(宣伝会議刊)に入ったコピー数が33本で総合2位(1位は仲畑貴志さんの63本、3位はあの糸井重里さんの19本)ということからもわかる。
「電通出身のお前が何で博報堂出身の眞木さんについて語るんだよ?」と訝しがる向きもあろう。だが、眞木さんは83年には博報堂から独立してフリーランスで活躍されていたし、私自身は90年代に衛星放送の仕事を通じてお目にかかり、同じ大学・同じ学部出身ということで可愛がっていただいた。直接じっくり話をきく機会があったので、少しは語る資格があるのでは… と勝手に思っている(博報堂の皆さん、ゴメンナサイ)。
年に数回、食事をしながら眞木さんに広告の話をきいた。その中で、とりわけ印象的だったのが、山下達郎サウンドと眞木さんの結びつきだ。
まずは、全日空の話。眞木さんは77年に歴史に残る名コピー「でっかいどお。北海道」を放ち、広々とした北海道のイメージを世間に定着させた。その大成功を受けて、次に全日空から依頼されたのが沖縄キャンペーンだった。
それまでの沖縄旅行は「冬だから暖かい所へ」あるいは「ひめゆりの塔など戦争の跡を辿る」が目的で、訪れるのも年配者ばかりだった。しかし、75年に沖縄海洋博で世界中からその美しい海が注目され、さらに戦後生まれが人口の半数を超える時代になった。
沖縄を「祈りの地」から「リゾート」へ位置付けし直し、若い世代を集客しようとするコンセプトが打ち出される。その先陣を切ったのが眞木さんのコピーだった。「トースト娘ができあがる。」「裸一貫、マックロネシア人」「タキシード・ボディ、流行。」など7年間にわたって眞木さんのコピーが夏を彩った。
その影響力は「夏休みを終えて、ただいま沖縄からトースト娘たちが帰って参りました」とNHKニュースで使われたほどだった。
この沖縄キャンペーンの集大成とも言えるのが「高気圧ガール、はりきる。」の広告。眞木さんは、「高気圧ガール」のCMサウンドを山下達郎氏に託す。そしてこの曲は、タツローサウンド=夏のイメージを決定づけたのであった。
当サイトの「資生堂vsカネボウ」でもふれたように、コピーライターが広告の基本となる言葉を紡ぐので、そこから指示されて派生するタイアップ楽曲は、広告コピーをそのままタイトルにしたり、歌詞のサビでそのまま歌ったりする。
「高気圧ガールって、あんなにヒットしたけどさ、ぼくには印税は一銭も入って来ないんだよね」眞木さんは酔った席で笑いながら話されたが、その顔はどこか自慢げで、粋に見えた。
眞木さんが急逝したとき、達郎氏が自分のラジオ番組「サンデー・ソングブック」(2009.7/19放送回)で追悼の意を込めて「高気圧ガール」をオンエアした(眞木さんは『TREASURES』や『COZY』のコピーも書いている)。
それを聴きながら、私は、あの食事会での眞木さんの表情を思い出していた。北海道も、沖縄も、眞木さんの魔法の一行によって、そのイメージを大きく変えたのである。(つづく)
2017.06.22
YouTube / debick
YouTube / sputniks1998
Information