ジョン・ヒューズ監督はザ・スミスが大好きだ。 彼が脚本・プロデュースを担当した『プリティ・イン・ピンク 恋人たちの街角』では、恋に破れた道化ダッキーが部屋で寂しくスミスの名曲「プリーズ・プリーズ(Please, Please, Please, Let Me Get What I Want)」を聴いているシーンがあったが、今回取り上げる『フェリスはある朝突然に』ではドリーム・アカデミーによるカバー(インスト・バージョン)が使用された。 映像の力によって音のもつ意味が増幅されるということがある。「プリーズ・プリーズ」は観光名所のシカゴ美術館で、学校をサボったフェリスたちが絵画や彫刻を眺めるシーンで使われ、ここだけ本編から遊離した一種のMVのようになっている。ヒューズ監督は小さい頃にこの美術館によく通っていたらしく、カンディンスキーやジャコメッティなど、映るアート作品はどれも彼のお気に入りとのこと。 この美術館のシーンはちょっと奇跡的にすばらしい。とりわけ印象に残ったのは、ピカソの名画「老いたギター弾き」の映像に併せて、ジョニー・マーが練り上げたあの天空に浄化されていくようなギターパートに突入する箇所で(※ドリーム・アカデミー版ではキーボード演奏)、「青の時代」のピカソとスミスの「青いメランコリア」が僕の中で重なって、原曲の持つ意味が「青」のモチーフとともに増幅(アンプリファイ)された。 この直後にもう一つ印象的な演出がある。それは快活なフェリスとは対照的に、初登場シーンから鬱に悩まされているキャメロンが、ジョルジュ・スーラの有名な「グランド・ジャット島の日曜日の午後」という絵画を凝視し、その点描画の「点」に向かってカメラが(カットバックを重ねながら)ズームアップしていくシーンだ。 彼は自分を押し殺して両親の言いなりになって生きていて、家庭でのディスコミュニケーションに悩まされている。だからこの絵に描かれる「親子」に自然と目が行くのだが、見ようと目を凝らせば凝らすほど、何も見えなくなり、それはただの無意味な「点」になっていく。 さて、親の目を盗んでフェラーリを勝手に乗り回したあと、メーターを元に戻すためにギアをリアに入れてタイヤを空転させ続けるという阿呆極まりないシーンがあるのだが、この無意味に回転し続けるタイヤはキャメロンの人生そのものに思える。しかしタイヤの「空転」に象徴される虚しい人生は、彼自身によって否定される。キャメロンは最終的に、父親のフェティッシュの対象であるフェラーリをガレージから突き落し、大破させるのだから。 「これでいいんだ」と、父親と対峙する覚悟ができた彼は言う。「僕の欲しいものをどうか手に入れさせてよ。神様、たった一度でいいから」と、スミスは「プリーズ・プリーズ」で痛切に歌った。 その祈りにも似たモリッシーの歌詞とメランコリックなマーのサウンドを、ピカソの「老いたギター弾きの男」が「青」のモチーフで増幅させたからこそ、キャメロンの「グランド・ジャット島」への虚ろな眼差しはあれだけ心に「響く」のだし、その後のネガポジ反転したような車の大破にも意味が見いだせるのだと思った。
2018.03.12
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