7月13日

ライヴエイドのフレディ・マーキュリー「ボヘミアン・ラプソディ」から始まるクイーン伝説

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アフリカ難民救済チャリティーコンサート「ライヴエイド」がロンドンとフィラデルフィアで開催された日
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バンド・エイドが起点、20世紀最大のチャリティコンサート「ライヴエイド」


1985年7月13日。音楽の力が試され、音楽によって世界中の人々の心が動いた…。20世紀最大のチャリティコンサートと言われた『ライヴエイド』の開催だ。

メイン会場は、アメリカJFKスタジアムと、イングランド ウェンブリー・スタジアム。

この起点は、英ニューウェイブバンド、ブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフ、ウルトラヴォックスのヴォーカリスト、ミッジ・ユーロの呼びかけにより、エチオピアの飢餓救済を目的としたプロジェクト、“バンド・エイド” だった。

発起人の二人がソングライティングを手掛けた「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」のレコードリリースに際してはフィル・コリンズ、ジョージ・マイケル、ポール・ウェラー、スティング、そしてデヴィッド・ボウイ…… といったイギリスの錚々たるメンツが集まり、音楽的な完成度の高さはもとより、アフリカの飢餓問題を全世界に提示し、音楽で何が出来るかという根源的な部分までもクローズアップされた画期的な出来事であった。

アメリカで動き出したチャリティプロジェクトUSAフォー・アフリカ


また、ここにはアメリカ側アーティストたちの協力も必須だった。バンド・エイドの動きに呼応するかのように、アメリカではベテランシンガーのハリー・べラフォンテが舵を取り、マイケル・ジャクソンやライオネル・リッチーを中心としたアフリカ救済のためのプロジェクト “USAフォー・アフリカ” が動き出した。

そして、集結したアーティストたちによって「ウィ・アー・ザ・ワールド」をリリース。この2大チャリティプロジェクトによる最大級のライブイベントが『ライヴエイド』だった。

1枚のレコードにパッキングされた、思いと熱量が世界を変えてゆく…。そんな期待と感動が、当時リアルタイムで洋楽を聴いていた世代の記憶には印象深く刻まれているだろう。

かくして、1枚のレコードには収まり切れなかった熱量が、より多くのアーティスの心を動かし、20世紀最大のチャリティコンサートの実現へと向かった。

イングランド、アメリカのメイン会場以外にもオランダ、オーストラリア、ドイツ、ノルウェー、旧ソ連、ユーゴスラビア、そして日本同時開催…… 人種や思想の壁をいとも簡単に乗り越え、“飢餓救済” というひとつの目的に向かう音楽の可能性を、世界中の人々が見つめていた。

ウェンブリー・スタジアムで象徴的ステージを繰り広げたクイーン


米JFKスタジアムでは、当時イギリスの次世代を担うバンドでありながらアウェイのステージに登場、これまでのアイドル然としたイメージを完全に払拭したデュラン・デュランの熱演や、イギリスの会場から超音速旅客機コンコルドでJFKスタジアムへ乗り込み、エリック・クラプトンのバックでドラムを叩くフィル・コリンズの姿など、感慨深いシーンがいくつもあった。

片や英ウェンブリー・スタジアムでも負けず劣らずの熱演が繰り広げられていた。その中でも象徴的だったのが、観客席にバンド名が書かれたフラッグがいくつも揺らめき、圧倒的な存在感を見せつけた当時の若手バンドU2。そして、出演アーティストの中で全6曲という最多となる楽曲を披露し、20世紀のロックの歴史を俯瞰した上でもNo.1のライブアクトと多くの人が評すクイーンのステージだった。

この日のクイーンのセットリストは
・ボヘミアン・ラプソディ
・RADIO GA GA
・ハマー・トゥ・フォール
・愛という名の欲望
・ウィ・ウィル・ロック・ユー
・伝説のチャンピオン

この時の熱演は映画『ボヘミアン・ラプソディ』の冒頭とラストシーンに組み込まれていることからも分かる通り、彼らの長いキャリアの頂点でもあると同時に、彼らの音楽性をマキシマムに体現できる完璧なまでのセットリストだった。

プログレ、ハード、グラムといったロックに、カンツォーネやオペラを取り込んだ唯一無二のオリジナリティが最高潮の熱量で世界中に響き渡っていった。

熱狂の渦に巻き込んだボヘミアン・ラプソディからの「RAIDO GA GA」


その中でも80年代に洋楽で育ったファンにとって特筆すべきは「RAIDO GA GA」なのかもしれない。このパフォーマンスの前年、クイーンの新境地としてリリースされたこの楽曲は、当初、「クイーンらしくない」「流行りに乗せているだけだ」という批判も多かったのも確かのこと。

楽曲の主体であるデジタルビートは、当時のアメリカンチャートの主流といった印象もあった。しかしこの手法は、時代の変化を憂い、かつての人々が音楽へ寄り添う時に最も相応しい手段であったラジオへの郷愁を込めたリリックを、より幅広い層へ届けるための手段だったのではないか… と僕は思っている。そんなオマージュがフレディのパフォーマンスによって世界に響き渡り、音楽の力が世界中を席捲してゆく。

白のタンクトップとジーンズというラフな出で立ちのフレディ・マーキュリーに何も虚飾はなかった。前曲「ボヘミアン・ラプソディ」でピアノと向き合い、鍵盤の最後の一音を力強く叩き、右手を大きく掲げる。マイクスタンドを持ち上げステージを闊歩する。カリスマ性に満ち溢れながら、独特の動きで観客を魅了してゆく。無機質とも言ってもいい「RADIO GA GA」のイントロとフレディの溢れんばかりのパッション、この相反するふたつが溶け合った瞬間、観客は再び熱狂の渦に巻き込まれる。

誰の心でも起こりうる小さな変化、音楽によって自分の世界は変えられる


フレディは「RADIO GA GA」でこんな風に歌っている。

 よく独りで座ってお前の光を見つめていた
 十代の頃、深夜の友達はお前だけ
 知らなきゃいけないことは
 全部ラジオから教わった…

そう。音楽が好きなら誰でも経験があるだろう。未だ聴いたことがない、とびっきりの曲がラジオから流れた瞬間、思わずヴォリューム上げたことを。フレディもそうやって音楽に親しみ、その時の気持ちを心に忍ばせながら、この大舞台に立っていた。つまり、そんな人生において何気ない小さな出来事が人の心を動かし、そして世界を動かそうとしている…… ということだと思う。

音楽で世界は変えられないと人は言う。しかし、僕らの心は音楽によって変わっていった。音楽によって自分の世界は変えられるのだ。それはフレディも例外ではないだろう。誰の心でも起こりうる小さな変化が全世界を飲み込んでゆく瞬間をクイーンの熱演で目の当たりにできたのだ。

あれから36年経った今も、その雄姿はまったく色褪せていない。


2021.07.13
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