遠藤ミチロウ率いるパンクバンド、ザ・スターリン
中央線は、夕日に向かってまっすぐ走る。オレンジ色の車体がそれと同化する。郊外へ運ぶのは帰宅を急ぐ人たちの喧騒だ。中央線沿線に住んでいた当時、時間のあるときはホームに立ってぼんやりと、せわしなく行き交う人々と列車を眺めていた。
そんな僕のBGMは、意外かと思われるだろうがザ・スターリンだった。
遠藤ミチロウ率いるパンクバンド、ザ・スターリン。デビュー当時、そのスキャンダラスさ(豚の臓物が投げられる、ミチロウが全裸になる… などなど)のみが喧伝されたようだが、僕はそれを本やDVDで観て知っているだけだ。後追いの僕がセックス・ピストルズ直系の音に乗せられた歌詞に、自然と集中できたのは特権だろう。
例えば僕を “惚れさせた” 一曲、「STOP JAP」を見てみよう。
おいらは悲しい日本人
西に東に文明乞食
北に南に侵略者
中央線はまっすぐだ
おまえは一体何人だ
ザ・スターリンと名付けられたバンドが、政治的な「文明」や「侵略者」、「何人だ」という言葉を吐き出しながら、同時に「中央線はまっすぐだ」とユーモアを加える。
真のパンクであり詩人、吐き気がするほどロマンチックだぜ
僕がザ・スターリンと遠藤ミチロウを愛してやまないのはその点だ。「なるほど、確かにまっすぐだ」などとラッシュアワーの混雑の中、西に向かう中央線の線路を見やりほくそ笑む。
そう、ミチロウは僕にとって真の “詩人” だ。例えば永遠のパンクアンセム「ロマンチスト」の「吐き気がするほどロマンチックだぜ」という詩は、もはやフランスの詩人シャルル・ボードレール的な頽廃の美を歌っているようだ。
さらに「玉ネギ畑」という曲を見てみよう。「私の病気は 玉ネギ畑」というサビは、何を意味しているのか不明だ。しかし、言葉から通常の “意味” を剥ぎ取ることで、ミチロウは “パンク” を実践している。
また、「肉」で彼は「あいつから言葉を奪え」と歌っているが、それは社会のシステムを担う “言葉” をごちゃまぜにすることで反抗する、真の “パンクさ” であり “詩” なのだと思う。
鬱屈したフォークが爆発した瞬間、それこそがザ・スターリン
そしてミチロウの紡ぐ言葉は、ハードコアパンクの激しいビートに乗せられていても、やはり美しい。意外かもしれないが、彼が初めに書いた詩は四畳半フォークのラブソングだそうだ。僕には、その気持ちが痛いほどわかる。
恋に破れて、ひねくれてしまった心はいつか青臭い論理を求め出すのだ。例えば「先天性労働者」でのカール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルスの『共産党宣言』の理屈っぽい引用は、僕にはラブソングの “B面” に思われる。ミチロウの原点はフォークなのだ。その鬱屈したフォーク音楽がまさに爆発した瞬間が、ザ・スターリンなのだろう。
四畳半の部屋で、タイムセールの弁当を買いサルトルを読みながら、西日が差しこむ中スターリンを聴く… そんな学生時代の感傷にミチロウの言葉は寄り添ってくれた。そして、僕は今でもアコースティックギターを片手に、彼の出自であるフォーク形式のライブに赴き、心を癒していた時を思い出す。
ミチロウは彼自身の原点である伝説的フォークミュージシャン・友部正人の『一本道』をしばしばカバーしている。その歌詞にこういう一節がある。
あゝ中央線よ空を飛んで
あの娘の胸に突き刺され
西日に向かう中央線は、パンクとフォークを一直線に結んでいる。遠藤ミチロウは、その運転手だ。そして僕はその列車から降りられそうにもないのである。それはミチロウという運転手が、この世からいなくなった今も何も変わっていない。
※2017年6月13日、2018年11月15日に掲載された記事をアップデート
2020.11.15