来生たかお5枚目のオリジナルアルバム「アト・ランダム」
1980年にリリースされた来生たかお『アト・ランダム』は、5枚目のオリジナルアルバムであり、自身で初めてアレンジも手がけたアルバムだった。ライナーを見渡すとアレンジに来生の名はないのだが、井上陽水へ提供する予定で作られたという「夜の底へ」にクレジットされている “矢倉銀” が、来生のペンネームだったのだ。将棋の戦法に由来するネーミングであった。
翌1981年には、ドラマ主題歌に起用された「Goodbye Day」がスマッシュヒット、さらに「夢の途中」のヒットにより来生の名が広く知れ渡り、それまで出されていたLPの帯が “来生たかおフェア” と銘打った新たな帯で再出荷されている。
その際、『アト・ランダム』の帯には「アレンジャー来生初登場、シティ・ポップの主役へ!」の一文が添えられた。“シティ・ポップス” ではなく、“シティ・ポップ” の極めて早い使用例だと思う。
薬師丸ひろ子に先駆けてシングルリリースされた「夢の途中」
シティポップの観点から言えば、来生はもっと評価されていいアーティストであるように思うが、それ以上にソングライターとしての仕事が凄すぎる。最初に注目されたのは、しばたはつみ「マイ・ラグジュアリー・ナイト」(1977年)。さらに伊東ゆかりや桃井かおりのアダルティックな作品を手がけた。
作詞は実姉の来生えつこ。もともとは姉へのコンプレックスがあり、彼女がしたためていた詩に曲を付けてみたところからコンビでの作品がスタートしたそうだ。やがて、弟がピアノで弾いた曲をテープに録音して姉に渡し、作詞するスタイルに定まった。来生の音楽の基本は “ノスタルジィ” であるという。
80年代に入ってからの提供曲で最もよく知られている作品に、女優・薬師丸ひろ子のデビュー曲となった「セーラー服と機関銃」(1981年)がある。当初は「夢の途中」のタイトルで歌われた来生自身の歌が映画主題歌になる予定であったが、角川春樹プロデューサーの鶴の一声で主演の薬師丸自身が歌うことになり、映画と同じタイトルに変えられてしまった経緯がある。
結果的に来生の「夢の途中-セーラー服と機関銃」も薬師丸に先駆けてシングルリリースされて共にヒットしたのであるが、それに振り回される形となった来生の心中は穏やかでなかったと察せられる。
「スローモーション」「セカンド・ラブ」「トワイライト」と続く来生作品
ともあれ、作曲家及びシンガーとしての来生たかおの名声は、本人のテレビ出演が増えたこともあって一気に高まることとなり、楽曲提供もさらに増えてゆく。
特にアイドルソングの依頼が集中した。そこで中森明菜の「スローモーション」が登場する。デビューにあたっていくつかの候補が検討された中で来生の曲に決まったのは、なにより彼女が持つ雰囲気に来生作品の特徴であるマイナー調の叙情的なメロディがマッチしていたこと、そして直前の薬師丸のデビューヒットの実績も大きかっただろう。
「スローモーション」がリリースされたのは、「セーラー服と機関銃」のヒットの余韻がまだ冷めやらぬ1982年5月。デビュー曲候補に挙げられたという4曲のうち、「あなたのポートレート」も来生姉弟の作品だった。そちらは7月に出されたファーストアルバム『プロローグ〈序幕〉』の1曲目に収録されている。
中森明菜は結局2枚目のシングル「少女A」でブレイクを果たしたが、「スローモーション」を高く評価する声は時を経た今も著しい。
その後のシングル「セカンド・ラブ」や「トワイライト -夕暮れ便り-」も来生姉弟に委ねられた作品だ。
新人歌手の大事なスタートを任せられるのは信頼の証
以降、アイドルだけでも、原田知世「悲しいくらいほんとの話」、伊藤麻衣子(現・いとうまい子)「微熱かナ」、吹田明日香「バ・ケー・ショ・ン」、西村知美「夢色のメッセージ」、八木さおり「瞳で片想い」、坂上香織「レースのカーディガン」と枚挙に暇がない。
しかもここに挙げたものはすべてデビュー曲なのだ。新人歌手の大事なスタートを任せられるのは信頼の証。70年代に森田公一が明るく爽やかなアイドルのデビュー曲をたくさん手がけていたように、80年代アイドルには、優しく柔らかな来生のメロディが多くの場面で重要な役割を担った。
もちろんデビュー曲以外でも、河合奈保子「疑問符」、南野陽子「楽園のDoor」、斉藤由貴「雨のロードショー」などなど、来生作曲によるアイドルソングの傑作は数多くある。
これらの作品から安らぎや充足を感じるのであれば、来生自身のアルバムにも耳を傾けてみて欲しい。先述の『アト・ランダム』以外にも、初のセルフプロデュース作『スパークル』(1981年)や、過去の映画作品を題材にした『ロマンティック シネマティック』(1984年)といった傑作が連なる。
人々の志向が目まぐるしく変化してゆく中、ずっと変わらぬスタイルで曲を作り続けてきた来生たかお。その都会的で哀愁を帯びたマイルドな作品群は、殊に70〜80年代のジャパニーズポップスにおいて、絶対に欠かせないパーツであったのだ。
そして今、再び求められる時期が巡ってきていることもたしかである。それは決して、単なるノスタルジーだけではないだろう。
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2023.04.11