〈CMタイアップ〉という言葉、この頃はいささか懐かしくすら感じられる。しかし、1980年を挟んでの数年間は、ポピュラー音楽とコマーシャルとの理想的な蜜月の時代だった。その歴史の断片を、資生堂 vs カネボウの対決を軸にシリーズでみてゆこう。
1970年代も後半になると、戦後生まれが人口の半分を超え、人々の意識から「戦争」が遠のいた。高度経済成長も終わり、モノがあふれているけど、工業製品の質に大差はない。どれも似たようなもの ー そんなとき、ささやかれ始めたのが「ライフスタイルの多様化」「感性の消費」といったキーワード。イメージによって商品に差をつける、それがもっとも顕著だったのが化粧品だった。
〈広告と音楽の融合〉で先行していた資生堂にカネボウが追随し、CM音楽で対決を始めるのは1977年のことである。レコードセールスでCMとのタイアップ効果が実証され始めたのも、この年だ。ちなみに、シングル売上の年間ベスト50にランクインしたCMソングは、77年が2曲、78年が4曲、79年が12曲、80年には17曲を数える。そして、77年の年間50位には入らなかったものの、55位が資生堂、74位がカネボウのCMに使用された曲だ。その年間チャートで55位、週間で最高4位となったのが尾崎亜美『マイピュアレディ』である。まずはこの曲の話から始めよう。
拓郎・ユーミン・陽水をはじめ自作自演の〈ニューミュージック〉が台頭し、作詞家・作曲家・歌手の分業体制の時代から、一人三役のシンガーソングライターの時代へ、まさに時代は構造転換の真っ只中。そこに登場したのが尾崎亜美だった。19歳の彼女の歌は、CFの中の小林麻美の可憐なビジュアルと相まって、まさに「感性の消費」の世界観そのもの。このしゃれた映像が、テレビで大量オンエアされたのである。当時のレコード会社全部の売上を合わせても2,300億円なのに対し、資生堂の売上高が2,700億円、年間宣伝費が100億円だったというから、『マイピュアレディ』のキャンペーンも数十億円の規模と推定される。
そして、ファッション・音楽… さらにドキュメントの要素まで入ったこのフィルムは、今でいえば PVの役割を果たしていた。見方によっては、昨今の広告業界で流行りのコンテンツマーケティングのプロトタイプともいえる(なお、CMの音はシングル盤とは別テイクだ。短いCM尺に収めるため、テンポもアレンジも違う。小林麻美のドキュメント風な独白を入れるために、音に隙間を作っている)。
時代の感性を見事に捉えたこの曲は、多くの若者の心にメロディと共に尾崎亜美の名を刻み付けることになる。唯一、残念なのは…… このシングル盤のジャケ写真は、もう少しどうにかならなかったのか?(本人も、当時からネタにしているようだが 笑)
さて、新進気鋭の女性シンガーに対し、ライバルのカネボウは、この年の秋キャンペーンで、ある意外な人物をCM歌手に起用する。
(つづく)
2016.08.31
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