86年の夏、公民権運動や当時の貧困を描いた実にシリアスな楽曲が全米シングルチャートの1位に輝きました。その曲はブルース・ホーンズビー&ザ・レインジの「ザ・ウェイ・イット・イズ」。メジャーからデビューして2枚目のシングルという快挙。80年代のヒット曲としては幾分派手さに欠ける楽曲でしたが、一度聴いたら耳から離れないピアノのリフと音色が印象深い作品です。
この曲のヒットのおかげで先にリリースされていたシングル「エヴリ・リトル・キス」、さらにその後のシングル「マンドリン・レイン」(雨の名曲!)などラジオでエアプレイされまくり、ヒットしました。
当時のメディアからの紹介は「ヒューイ・ルイスが親交を深めるアーティストが満を持してデビュー」といったものでした。実際にデビューアルバムの数曲をヒューイ・ルイスがプロデュース、のちにヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの楽曲「ジェイコブズ・ラダー」をブルースが提供するなどしています。
しかしながらそういったことより私の気を引いたのは、「ザ・ウェイ・イット・イズ」以外の楽曲も含めてブルースのピアノが一聴してすぐ彼のそれとわかることでした。
3年後に共作してヒットしたドン・ヘンリーのソロシングル「エンド・オブ・ジ・イノセンス」を聴いた時も「あ、ブルース・ホーンズビーのピアノや」とすぐわかったのです。
シンコペーション多用の間の取り方、ジャズっぽいコードをうまく取り入れている点、彼にしか出せない独特のタッチ等々、生音の楽器でこうもオリジナリティが出せるものなんだ、と感心しまくりでした。
その後、ボブ・ディランやウィリー・ネルソン、スティーヴィー・ニックスなど数多くの大物アーティストのアルバムに参加を要請されたのも頷けます。
ブルース・ホーンズビー&ザ・レインジとしては3枚のアルバムを発表して解散します。その後ブルース・ホーンズビーはグレイトフル・デッドのキーボーディストとして正式メンバーになったり、自身の様々な名義のバンド活動、ソロ活動を続けています。デッドの在籍時にはジェリー・ガルシアとの邂逅により、自身の音楽的進化及び成長があったことを自ら認めています。
ちなみに「ザ・ウェイ・イット・イズ」をライヴで演奏する際、バッハのゴルトベルク変奏曲をフィーチャーすることが多いのですが、これを聴くと彼の音楽全般における才能とセンスの凄さを感じざるを得ません。現行のCD「ザ・ウェイ・イット・イズ」にそのライヴ・ヴァージョンも収録されてます。
ロック、ブルース、カントリー、ジャズ、クラシックなどあらゆるジャンルの音楽を吸収し昇華、そして再構築してきた彼のつくりだす音楽の真骨頂はまだまだこれからかもしれません。
2017.09.25
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