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80年代の最後を飾ったキャロル・キングの名曲とポール・マッカートニー

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キャロル・キングのアルバム「シティ・ストリーツ」がリリースされた時期
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photo:Discogs  

キャロル・キングが、ポップミュージックの歴史に名を残す偉大なソングライターであることに、異論を唱える者はいないだろう。とはいえ、そのキャリアは必ずしも順風満帆だったわけではない。

元々は16歳で歌手デビューするも売れず、どういうわけか他人が自分の曲を歌うと、面白いようにヒットした。気がつくとキャロルは10代にして超が付くほどの売れっ子のソングライターになっていた。

しかし、スポットライトを浴びるのは自分ではないという現実。ソングライターとしての成功が、キャロルから歌手になる夢を遠ざけてしまったようにも思える。

そして、1964年2月、ビートルズが全米を制覇すると、キャロルが手がけてきたヒット曲は、時代遅れな音楽と見なされるようになった。それらの多くが今ではスタンダードになっていることを思うと、随分不当な扱いを受けたものだが、時代の波には逆らえなかった。このときを境に、作曲の依頼も波が引くように減っていった。そのきっかけを作ったビートルズには、キャロルと同い年のメンバーがいた。ポール・マッカートニーである。

ポールとジョン・レノンが作曲を始めた頃に目標としたのが、キャロル・キングとジェリー・ゴフィンのコンビであったことは有名な話だ。ポールは初めてキャロルに会ったとき、自分とジョンがどれだけゴフィン=キングの曲を楽しみ、リスペクトしているのかを、具体的な曲やアーティストの名前を挙げて数分間に渡って話したという。それを考えると、なんとも皮肉な話だ。

そんなキャロルに再び音楽の神様が微笑むのは、ビートルズが解散して、70年代が静かに幕を開けた29歳のときだった。

シンプルな演奏をバックに自作曲を歌ったアルバム『つづれおり(Tapestry)』は大ヒットを記録。シンガーソングライターブームの火付け役となったばかりか、グラミー賞の最優秀アルバム賞、最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞を含む4部門を独占。その名を不動のものとしたのはご存知の通り。

しかし、70年代も後半になるとその人気に翳りが出始め、80年代に入る頃には、ひと昔前のアーティストというイメージで語られるようになっていた。オリジナルアルバムも、1983年の『スピーディング・タイム』を最後にしばらく発表されなくなった。キャロルは再び時代に置いて行かれたのだ。

その頃、ポール・マッカートニーも次第にヒットチャートで苦戦を強いられるようになっていた。80年代は、この同い年の偉大なソングライターふたりにとって、時代の逆風が吹いた時期だったと言えるかもしれない。

そんなふたりが息を吹き返したのは、80年代が終わろうとしていた1989年だった。ポールは傑作アルバム『フラワーズ・イン・ザ・ダート』を発表し、秋には新しいバンドを率いてワールドツアーを開始した。そして、キャロルもまた6年振りとなる新作『シティ・ストリーツ』をリリースし、ツアーをスタートさせたのだ。

『シティ・ストリーツ』を聴くと、キャロルが情熱をもって音楽と向き合っているのがはっきりと伝わってくる。エリック・クラプトンが2曲でギターを弾いており、他にもブランフォード・マルサリス、オマー・ハキム、Eストリート・バンドのマックス・ワインバーグなど、ゲスト陣も豪華だった。しかし、なによりこのアルバムの価値を高めたのは、かつてのパートナーであるジェリー・ゴフィンとの共作2曲だろう。

とりわけラストに収められた「サムワン・フー・ビリーヴス・イン・ユー」は、キャロル・キングならではの美しいメロディーと、愛する人への想いを繊細な言葉で綴ったジェリー・ゴフィンの歌詞が胸を打つ、かつての名曲群に勝るとも劣らないナンバーだった。元々は数年前にエア・サプライのラッセル・ヒッチコックのために書かれた曲だったが、結果として、これがキャロルの80年代最後を飾る曲となったのは興味深い。

セールス面で言えば、『シティ・ストリーツ』は残念ながらヒットするには至らなかった。また、今の耳で聴けば古めかしいアレンジの曲もある。けれど、このアルバムは、そうしたことを補って余りある音楽への愛情に溢れている。キャロル・キングは、何度かの挫折を乗り越え、彼女だけにしか作り出せない美しい音楽を届ける旅にまた足を踏み出した。僕にはそれだけで十分だと思えるのだ。

1990年3月、キャロルは『シティ・ストリーツ』ツアーの一環として初来日を果たしている。そして、このときポール・マッカートニーもまた日本公演の真っ最中だった。キャロルはポールのライヴを観に東京ドームを訪れている。そのときのエピソードをご紹介したい。

キャロルがマネージャーやスタッフと一緒に会場に着くと、彼女達のために用意されているはずのチケットがなかった。楽屋口にも行ってはみたが、最後のところでどうしても警備員が通してくれない。困っていたところに、これからまさにステージへ向かおうとするポールの姿が視界に入った。キャロルが「ポール!」と声をかけると、ポールは振り向き「ひょっとしてキャロル?」と言った。キャロルが事情を説明すると、ポールは彼女達のための席を用意し、「ステージが終わったら、みんなで僕らのホテルに来ない?」と誘った。その夜、キャロルとポールはたっぷりと会話を楽しむことができたそうだ。

同じ1942年に生まれ、ポップミュージックの歴史を作ってきたふたりの偉大なソングライター。お互いの音楽がそれぞれの人生において交錯し、少なからぬ影響を与え合ってきた。そんなふたりが日本のホテルの1室で旧交を温めたのかと思うと、僕は胸に静かな感動を覚えるのだ。

『シティ・ストリーツ』を聴くたび、いつもこのエピソードを思い出す。ポールはキャロルの「サムワン・フー・ビリーヴス・イン・ユー」を聴いたのだろうか? この美しい歌に心動かされただろうか?

そんなことを想像しては、自分勝手に楽しんでいる。

2018.03.06
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カタリベ
1970年生まれ
宮井章裕
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