4月4日

考察:音楽に映像は必要か?「ベストヒットUSA」で気づいたテレビと音楽の相性

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photo:Sukita  

「ベストヒットUSA」貴重だった洋楽の映像情報だったが…


あの『ベストヒットUSA』も40周年だそうで。1981年4月4日に始まり、1989年、つまり平成元年9月いっぱいで終了。すなわち80年代と昭和の末期を駆け抜けた、時代の一側面を象徴するテレビ番組でありました。名司会の小林克也さんとあのテイストを忘れられないファンが多いことは、21世紀になって復活し、今もBS朝日で継続中であることが証明しています。ちなみに克也さんは今年80歳、80周年であります。すばらしい。

ただ、私自身は、当時既に音楽業界で働いておりましたが、実はあまり観ていなかったので、特に思い入れもなければ思い出もないんです。だったら書くなー、という人は読むなー、ってことでよしなに。

ともかく、たまに時間が合って観ることがあっても、「欠かさず観なくては」という気持ちにはなりませんでした。なぜだろう?

当時は、私たちの世代にありがちな “西高東低”、つまり「邦楽より洋楽のほうが進んでいる(から学ばなきゃ)」という思考の持ち主でしたし、そもそも洋楽の情報が少ない中、映像情報は貴重だったし、たしかもうビデオレコーダーは持っていたと思うのですが…。

私が「面白い&いいと感じる音」がかなり偏屈だったのはひとつの理由。大学時代から、“Cream” や “Allman Brothers Band” などのブルースロックや、オーティス・レディング、ジェイムズ・ブラウンらのソウルミュージックばかり聴いて、読む雑誌は『ミュージック・ライフ』ではなくて『(ニュー)ミュージック・マガジン』でしたから。“Queen” 人気が沸騰した頃は、女の子がキャアキャア騒ぐミーハーバンドと、聴きもしないでバカにしていたクチです。『ベストヒットUSA』はチラッと観て、ミュージック・ライフ的だと判断してしまったような気がします。

ピーター・バラカンさんの司会で『ザ・ポッパーズMTV』という、やはり洋楽主体のテレビ番組が1984年4月に始まりましたが、こちらのほうがテイストに合って、よく観ていましたね。私が担当していた “GONTITI” というアーティストの「修学旅行夜行列車南国音楽」という曲のミュージックビデオ(以下「MV」)を、プロモーションもしないのに紹介してくれたから、という私的な理由もありましたが。世はMV時代なのに、宣伝予算が少なくて、ビデオ監督の中野裕之さんにタダ同然で作ってもらった、夜空に上がる花火を音に合わせて編集しただけというマニアックなMVだったので、バラカンさんでなけりゃまず取り上げてくれなかったでしょう…。

改めて考える “テレビと音楽の相性”


横道にそれました。なぜ『ベストヒットUSA』をあまり観る気がしなかったのか、を考えています。

そもそもテレビと音楽って、実はあまり相性が良くないんじゃないでしょうか。いや、機能としては、音声を含む映像メディアですから全然充分なのですが、ビジネスモデルとして(NHKは別ですが)、視聴率が広告収入に直結するので、視聴率と制作費のバランスを常に考えねばならず、そうすると、たとえばバラエティ番組などと比べると、音楽は扱いやすいものとは言えません。

それでも、アイドルや歌謡曲はよかった。歌と楽団という形がほとんどで、プロの楽団は譜面さえあればどんな曲でもソツなく演奏し、まとまった音を出してくれました。テレビの音響エンジニアは楽団の音とボーカルのバランスだけとればいいのですから、作業もスムーズです。

ところが、バンドものになるとそうはいきません。バンドごとに楽器編成が違ったり、力量が違ったり。音楽性が違えば聴かせたい音像も違うでしょう。そういうことにいちいち対応していたら時間がかかってしょうがない。時間がかかるとその分、スタジオ代や人件費などのコストが嵩みます。だからそのバンドの特番ででもないかぎり 、細かい音の調整などしてくれません。私も、音楽ディレクターだった頃、バンドのテレビ収録に何度か立ち会いましたが、満足できる音響になったことは一度もありません。

というわけでバンドものは、テレビサイドは視聴率が見込める人気バンドしか必要としませんし、バンドのほうは、知名度を上げレコードを売るには出たいものの、音の扱いで二の足を踏む、という状況がありました。歌謡曲からJ-POPへと主流の音楽が移るにつれて、ゴールデンタイムの音楽番組が減っていったのはそういうわけです。

昔からバンド形態の音楽が多かった米国では、これはもっと悩ましい問題だったでしょう。70年代にとても人気があった米国の音楽&ダンス番組『Soul Train』では、バンドのパフォーマンスはレコード音源に口パク&当て振りでした。カラオケじゃなかったのが不思議ですが、カラオケ自体がなかったのかもしれませんね。とにかく、コストをかけずにテレビでまともな音を出すにはこれしかなかったのでしょう。音がフェイドアウトして、パフォーマンスの収まりがつかないあの白けた感じが、妙に印象に残っています。アーティストたちにもこれは不評だったようです。ジェイムズ・ブラウンなどはそれを断固拒否して、実際に演奏したそうですが。

80年代に登場した音楽専門チャンネル、MTVとMVの威力


そこへ、80年代になって登場したのが「MTV」。それまで、英国アーティストが米国で少しでもプロモーションできるようにと、時折作っていた補助的プロダクツに過ぎなかったMVに着眼し、これを使って一日中音楽を紹介するというチャンネルを立ち上げました。まあ言わば、音楽専門ラジオ局に映像がついただけなんですが、この「だけ」がとてつもなく大きなインパクトで、たちまち音楽ファンにはなくてはならないメディアとなり、ここでヘビーローテーションされればヒット間違いなしという状況が生まれました。わざわざ米国へ赴いてキャンペーンなどしなくても、いいMVさえあれば同じ土俵の上で闘えるという環境は英国勢には大きなメリットで、おかげでビートルズ時代以来の英ポップブーム=「第二次ブリティッシュ・インヴェイジョン」が巻き起こったのでした。

私も初めてMTVを観た時はショックでしたね。1982年に、初海外でニューヨークへ行った折です。そういうものがあるということも知らなかったと思う。観光よりもテレビを観ていたいくらい興奮しました。

その時は、日本でも早くこういうことをやってくれないかなー、と切実に願ったものですが、実際には10年もかかりました。米国ではワーナー・コミュニケーションズが築いたケーブルテレビの全米ネットワークにより、多チャンネル時代が到来していたので、こういう「音楽専門チャンネル」が成立できたんですね。やはりキー局にはこんなことは無理。ケーブルテレビが普及してなかった日本では、せいぜい真夜中の“時間つぶし”にMVを垂れ流す程度。TVK=テレビ神奈川はがんばっていましたが、東京のウチでは電波がよく入らないし、所詮日本じゃ『ベストヒットUSA』“どまり”かよ、なんて思っていました。

結局、日本の音楽専門チャンネルは、衛星放送のインフラができてから、1989年の「スペースシャワーTV」が初。「MTVジャパン」はやっと1992年でした。

ただ、私としては、その頃にはもうMVというものに興味がなくなっていました。たしかに、マイケル・ジャクソンの「Thriller」をピークとするゴージャスな映像や華麗なダンスとか、ゴドレイ&クレーム監督による創意に満ちたユニークな作品群には、感服も感心もしました。だけどある時、映像があると、映像に神経がいってしまって、音楽をちゃんと聴いてない自分に気づきました。同じMVを二、三度観ただけで、その曲は充分知っているような気にもなっていました。

主役は何? MVの意外な落とし穴


人間の知覚って、視覚83%、聴覚11%、その他が6%らしいですね。ということは、視覚と聴覚の両方に訴えるモノがあったら、人はそれをほとんど視覚を中心に認識するってことになります。聴覚はついで程度。そう言われれば、映画を観た後、どんな音楽が鳴っていたかなんて、特に意識していなければ、あまりよく覚えてないものです。

MVは音楽が主役ですから、当然、他の映像コンテンツよりも意識は音楽に向かっていると思いますが、それでも、聴覚よりもずっと敏感な視覚が、映像にビンビン反応していることでしょう。だからこそMTVはあんなに人々を魅了したのです。だけど、映像に使っている分、音楽へと向かう意識は確実に足りないのです。

音楽だけであれば、視覚は必要ありませんから、聴覚がのびのびと活動できます。集中すれば、その音楽のさまが、微細な動きに至るまで、脳内に流れ込んできます。視覚を使っていないので、脳内で音が視覚的なイメージを作ることもあるでしょう。

聴覚は視覚に比べて弱いから、一度や二度聴いたくらいではすぐその記憶は薄らいでいきますが、だからこそ、映像はいくら面白くても三度続けて観る気にはならないけど、好きな音楽なら何度でも聴きたくなりますね。そして聴くたびに新たな発見があったりします。これが音楽の面白くて素晴らしいところです。

テレビと音楽がいちばんいい形で噛み合ったのが、MVという方法だったと思いますし、また実際それで音楽市場がひときわ活性化したことはまぎれもない事実ですが、音楽を伝えるための手段としては、私はいいものだとは思いません。

だけど、世間では相変わらず当たり前にMVが作られていますし、もはや音楽に映像がないと寂しい、物足りないと感じる人も多いんでしょうね。それがとても気になります。人間はある刺激で快感を覚えても、慣れてしまうともうそれでは快感と感じなくなり、もっと強い刺激を求めるようになると言います。音楽不感症の人が増えていくことを想像すると怖くなります。

テレビの力とその限界、「ベストヒットUSA」の功績とは?


私もMV全体を拒否するわけではありませんが、情報としてアーティストがどんな様子の人なのかが分かればそれでいいって感じです。もはや切り口も飽和状態の感がありますが、ありきたりの演出でいかにものカッコつけMVなんて、ほんと邪魔でしかないですね。それを逆手にとった岡崎体育の「ミュージックビデオ」という曲のMVは面白かったけど。

『ベストヒットUSA』は、テレビで洋楽をどう伝えるかということを、初めて真剣に考えた番組だったと思います。そして、いろんなトライをした中で、小林克也さんがマドンナやミック・ジャガーとスタジオで会話したことが、番組の白眉だったような気がします。遠い存在だった洋楽のスターの素顔(に近いもの)を、せんべいを齧りながらコタツに入って眺めているテレビの画面に映してくれた。これこそがテレビの力です。

ただやはり、それは音楽の本質を伝えたわけじゃない。ミュージシャンの人となりとか、音楽の周辺情報。そういうバラエティ的なことには強いんだけどね。音楽を伝えることへのテレビの力とその限界、それをクリアにしてくれたのが『ベストヒットUSA』のひとつの功績かもしれません。



2021.04.25
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カタリベ
1954年生まれ
ふくおかとも彦
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