1985年といえば MTV の全盛期。アーティストは新人からベテランまでミュージックビデオを作ることを求められ、その出来不出来がレコードの売上げを左右する時代だった。 ただ、中にはそうした風潮を心良く思わないアーティストも少なからずいて、ダイアー・ストレイツのマーク・ノップラーもそんなひとりだった。彼らのヒット曲「マネー・フォー・ナッシング」は、ノップラーのそんな気分が色濃く反映された曲だと言える。 ある日、ノップラーが電気量販店のテレビ売り場へ行くと、ずらりと並んだ画面には同じミュージックビデオが流れていたという。髪を染め、化粧をし、挑発的なポーズを決めるミュージシャン。そこに店の従業員たちが、新しいテレビを運び込む。そして、そんな彼らの会話が聞こえてくる。 「あんな男か女かもわからねーような奴らが、歌いながら腰を振ってるだけでボロ儲けだぜ。楽でいいよな。俺たちはこうして重たいテレビを何台も運んでるのに、ちっとも儲かりゃしねぇ。まったく不公平な世の中だぜ」 実際にどんな話していたのかはわからないが(これはあくまでも僕の想像)、ノップラーは彼らの言うことに共感したのだろう。「マネー・フォー・ナッシング」は、このときの会話を下敷きにして、毒の効いたウィットと、乾いたユーモアをまぶし、うまく韻を踏むように言葉を選んで書かれた曲だった。 あの間抜けな奴らを見てみなよ ああすればいいらしいぜ MTV でギターを弾けばいいのさ まともな仕事じゃないけどな ああすればいいらしいぜ それで無意味な金を稼いで、女は選び放題さ 辛辣な言葉の羅列が痛快だ。そして、サビで歌われるのは、ノップラーが電気量販店で見た従業員たちの姿そのものである。 俺たちは電子レンジを取り付ける カスタムキッチンを配達する こんな冷蔵庫を運んだり こんなカラーテレビを運んでいるのさ そのカラーテレビには、MTV が映っているというわけだ。この後、歌詞はもっと辛辣になっていく。「チビのホモ」といった差別的な表現が繰り返される箇所もある。これには当時から賛否両論あったそうだが、こうした労働者階級のストレートな表現が、曲にリアリティーを与えていたのは確かだ。つまり、「マネー・フォー・ナッシング」は時代の趨勢に対するマーク・ノップラーからの風刺の効いた一撃だったと言えるだろう。 ―― とはいえ、電気量販店の従業員から見れば、自分もまた画面の中で歌い踊るミュージシャンのひとりに過ぎないのではないかという懸念もあったはずだ。 そこで用意されたのが、ミュージックビデオである。コンピューターグラフィックで描かれた電気量販店の従業員たち。何台も並んだテレビの画面には MTV。そこに映っているのは、他でもないダイアー・ストレイツだ。つまり、従業員たちは画面の中でギターを弾いて歌っているノップラーたちを見ながら、テレビや冷蔵庫を運んでいることになる。これはもう見事な自己批判と言えるだろう。同時に、バンドが従業員たちの声を代弁しているようにも見えるところが秀逸だ。 このミュージックビデオは各方面から高い評価を受け、レコードの売上げにも大きく貢献することとなった(3週連続全米1位)。そして、MTV の「最優秀ビデオ賞」にも選ばれている。この曲が MTV 批判から生まれたことを考えると、なんともおかしな話だ。時代の趨勢に対する一撃だったはずが、時代の波に乗ってしまったのだから。 でも、そこに皮肉ではなくおかしみが滲むあたりが、このバンドの魅力であり、懐の深さなのだろう。「あれ、おかしなことになっちゃったな。まぁ、いいか」と苦笑いするマーク・ノップラーの顔が目に浮かぶようだ。
2018.09.21
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YouTube / DireStraitsVEVO
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