今週の土曜日(2018年11月17日)に開催される
リマインダーのクラブイベント、『ゴールデン 80's vol.2 – みんなの洋楽ナイト』。
思えば 80年代の前半ほど、お茶の間に洋楽が浸透した時代はないでしょう。昨今の洋楽シーンとの決定的な違い、それはこの一般的共有感の有無にあります。
指針となったのは『ビルボード』や『ラジオ&レコーズ』のランキング。アメリカンチャートのトップ10ヒットなら、自分の好きな音楽じゃなくても大抵の若者は口ずさめたんじゃないかな。
それは 1966年生まれの僕にとっても同じこと。特にティーンエイジャーだった80年代前半から中盤にかけてのヒット曲に関しては、歌詞カードさえあれば、そのほとんどを今でも歌うことができるはずです。
—— そう、時代は敗戦から35年余り、アメリカの文化に憧れ続け、その眩しさにもう少しで手が届きそうな我が祖国。1976年に創刊された雑誌『POPEYE』に牽引されながら、キラキラとしたアメリカンカルチャーが80年代の日本で一気に花を咲かすのです。そして、共有感を生み出すその主翼を担ったのが、1981年にスタートしたテレビ番組『ベストヒットUSA』であることに異を唱える人はいないでしょう。
同世代の方には説明する必要もないでしょうが、それはアメリカのヒットチャートやビデオクリップを紹介する、ブリヂストン一社提供の音楽番組。放送は土曜日の深夜で VJ(ビデオジョッキー)が小林克也。アメリカの MTV 開局より早く始まった番組で、今なお BS朝日で放送が続いてるんですよ。
この番組が何よりも素晴らしかったのは、チャートに入ってくる音楽を、フラットにまんべんなく紹介し続けたこと。マニアックな視点で悦に入るわけでも、スノッブ気取りで高飛車に構えるわけでもなく、あくまでも王道を歩む洋楽番組として、お茶の間と向き合っていた事実です。
まあ、振り返ってみて思うのは、プリンスはただひたすら気持ち悪かっただけだし、マドンナがここまで大きな存在になるなんて想像だにしなかった自分の先見性のなさに笑いますけど w
なんにせよ、30年を超える時を経て、当時の音楽はどんなふうに響くのでしょうね?
その答えは会場の爆音の中に。皆さんのご来場、お待ちしています!
2018.11.11