アン・ルイス「ラ・セゾン」のアレンジを担当
1982年にリリースされた、アン・ルイスさんの「ラ・セゾン」のアレンジを担当したことは、僕にとってとても大きな発見のあった出来事だった。
あれはちょうど僕がサウンド・プロデュースをした沢田研二さんの「ストリッパー」が出て話題になったあとくらいの頃、アン・ルイスさん自らから「銀次さん、私もあんな過激なアレンジしてほしいよ」と、僕のアレンジへの熱烈なラブコールがあった。僕のおぼろげな記憶によれば確か、彼女の所属していた渡辺プロダクションで、直に彼女から熱い熱い依頼を受けたように覚えている。
それはとても光栄なことでプロデューサー冥利につきるうれしい出来事だったが、いざ資料をいただいてみると、なんと作詞が三浦百恵さんで作曲は沢田研二さんというすごい布陣!! これをアンちゃんが歌うのだからまさに当時の日本歌謡界のクリーンナップ・トリオの関わる作品。もしこれがヒットしなければきっと僕のせいにされるにちがいないという、強力なプレッシャーの元に引き受け、アレンジを考え始めたのだった。
ビートやグルーブを前面に押し出した編曲しかない
沢田さんのデモテープはとてもシンプルで、くっきりとしたメロディーはとてもインパクトがあり、しかもよけいなアレンジを施してなかったので、まっさらなイメージから考えることができたのはよかった。
僕のアレンジはまずドラムスのパターンを決めることからスタートする。そして一番こだわるのが、アレンジャーの才覚が一番求められるイントロ作りだった。もともとのデモテープにはない新たなキャッチーなイントロを編み出し、聴衆をひきつけて歌へと導く最も大事な部分。それは編曲というより作曲にも近いものがあるかもしれない。
当時の音楽シーンにはまだそれほどロックっぽいサウンドの曲はチャートには登場してなくて、僕や大村憲司さんのようなロックテイストの編曲家はまだ少なかった。どちらかというと、ちゃんと音楽教育を受けて、ストリングスやブラスのアレンジに長けた編曲家の時代だったわけで、そんな中にあって、我流で勉強してやってきた僕でも彼らに負けずに対抗してやれるとしたら、それはやっぱりビートやグルーブを前面に押し出した編曲しかないと思い至っていたのだった。
そして僕がこだわったのは、「ストリッパー」の出だしの「♪ダカ ダダカ ダダカ ダダカダ」 のように、とにかくドラムのフィルから曲を始めること。それは他の編曲家とちがって、僕がロック畑の人間で、僕が編曲したことをアピールするための自分なりの目印のつもりだった。
しかも今回の「ラ・セゾン」はさらに、アンちゃんから「うんと過激なヤツを」というお墨付きをいただいていたので、よっしとばかりに、とにかく考えつく中でもとにかくハデなドラム・フィルから始めることに決めて、そこからアレンジはスタートしたのだった。
「ラ・セゾン」はフランス語、フレンチポップスやシャンソンのようなイントロを
僕が思うロック的なアレンジのポイントとは、たとえば、ビートルズの「Ticket To Ride」のように、ドラムのパターンにもメロディがあり、そのグルーブが、フロントのボーカルのメロディラインとしっかり寄り添い強調して、曲の強さをさらに太く印象付けること。
そこでイントロにはタムタムをまぜた、ちょっとアフロ・キューバンなスタイルのうねりのあるドラムパターンを考えた。これを過激な音色で録音することで、全体にはクラッシュのような、当時のブリティッシュ・ニューウェイブのような過激なグルーブになりそうな感じがしてきた。
そして、そのパターンの上にのせるメロディとコードワークを考えるに当たって思い立ったのは、「ラ・セゾン」は「The Season」のフランス語であること。そうかこれはどこかフレンチポップスやシャンソンのようなメロディラインのイントロがいいかもと、タイトルとの連想で浮かんできたのが、あのメロディとコード展開。だけど、できてからくちずさんでみると、「う~ん、ちょっと歌謡曲っぽ過ぎるかな?」と思えてきた。
キャッチーで日本人好みなラインだが、自分はロックフィールドのアレンジャーという意識からするとちょっと恥ずかしい気がしてきて、なんとかこのコードラインとバンドの過激なグルーブだけで持っていこうと決めて、とりあえずコードワークだけはそのままにして、メロディラインは別の譜面にメモしておいてスタジオに向かうことにしたのであった。
それがレコーディング当日、予想もしなかったマジックが起きるとは、この時点ではまったく思いもよらなかったのだった。
過激なアレンジは伊藤銀次!アン・ルイス「ラ・セゾン」と 沢田研二「ストリッパー」
後編(11月掲載予定)
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2023.10.29