1980年9月リリースのアルバム『RIDE ON TIME』から、リズムセクションが青山純と伊藤広規に固定された。達郎が長年追い求めていた “ライブもレコーディングも同じサウンドでやっていきたい” という夢がついに実現。
その後、CM タイアップ曲に恵まれたことで、次のアルバム制作に掛けられる予算が増え、使用機材なども充実。また、精力的にライブツアーを重ねることでバンドとしても成長を遂げた。そんな最高のコンディションの中で挑んだアルバムが、『FOR YOU』(1982年)である… と、ここまでが前回のコラムのざっくりとした内容。
※前回のコラムは
こちら。
今回は、青山✕伊藤が紡ぎだす “音へのアプローチ方法” と、達郎のライフワークといってもいい “良い音へのこだわり” について、さらに追及してみたいと思う。
80年代前半、当時のバンド小僧たちは、楽譜なんて当てにせずレコードから録音したカセットテープを何度も何度も繰り返し再生して “耳コピ” をしたものだった。現在はテクノロジーの進化によって web上に投稿された映像をスマホや PC で簡単に検索できる時代になった。そのお陰で、耳からだけではわからなかった新たな情報に出会うことがある。
まずは、伊藤広規から――
彼の弾くベースは非常に野太い音がして、それは張っている弦の太さ(ヘビーゲージ)に秘密があると思っていた。ところが、そのライブ映像を探し出したとき、僕は驚いた。普通なら1、2弦で弾くような高い音を、伊藤は3、4弦のハイポジションで弾いていたのだ。
弦の太さは音の太さそのままに反映される。よって高音部でも密度の濃いブイブイとした音色は、このポジショニングを選択した伊藤のセンスによるものだ。もし読者の中にギターやベースを弾く人がいたら、きっとこの「ポジショニング発見したぞ――!」という僕の高揚した気持ちをわかってもらえると思うけれど… どうだろう。
衝撃はまだまだ続く。
次は青山純が叩くスネアドラム――
スネアドラムは14✕5インチというサイズが一般的である(叩く面の大きさ✕胴の深さ)。深胴と呼ばれるスネアドラムだと14✕6.5インチ、深さが7インチや8インチといった超・深胴のスネアドラムも存在する。
僕は今まで、あの重量感あるスネアドラムの響きは間違いなく深胴スネアだろうと思っていた。ところが実際使っていたのは一般的な5インチのスネアや、ピッコロスネアと呼ばれる深さ3.5インチの浅胴だった。
これは2015年12月に行われた『青山純 追悼ドラムセット展示会』での話なのだけれど、それであのズシッという深い音を出していたのかとビックリさせられた。
ベタベタのローピッチで緩めにスナッピーを効かせていた話は、以前楽器屋さんの店長に聞いたことがあったけれど、またしても想像の斜め上をいく青山純のドラムセットへのこだわりを感じてしまった。
そんなストイックな青山と伊藤が目指す「良い音」への飽くなき追究は留まることがない… ともすれば、録音の仕方でも、そうした深い音を追い求めていたに違いないのだ。二人はラジオ日本『伊藤広規、青山純のラジカントロプス2.0』に出演した際、このように語っている。
「彼(吉田)が宅の前に座ると、ドンピシャでその音になるんですよね」
実際、リズムセクションが及ぼす全体的な音のバランスについては、レコーディングエンジニアの吉田保によるところが大きい。
吉田保は、大瀧詠一や山下達郎が長年に渡り信頼を寄せ、その録音技術に才能を発揮してきた人物。ちなみに達郎に青山と伊藤を紹介したシンガーソングライター吉田美奈子の実兄でもある。
青山✕伊藤から次々と繰り出される武骨なロックサウンドであっても、彼の手に掛かると「吉田マジック」と言われるリバーブを使った独特のテクニックによってオシャレな達郎サウンドに変貌するという。
リバーブは、掛け過ぎるとサウンドが奥まってぼやけてしまう欠点があるけれど、青山✕伊藤が作る1拍3拍にビシッと決める黒人っぽいサウンドが個性的だからこそ深いリバーブに耐えられるのだろう。
確かに、青山純の重厚なスネアドラムが、絶妙な余韻で深くサウンドにメリハリを与えているようだ。
それまでレコーディングをサポートしてきた「村上秀一✕岡沢 章」や、「上原 裕✕田中章弘」など、様々な組み合わせのリズム隊と印象がガラッと変わったのは興味深い。時代の影響とはいえ、同じエンジニアのミキシングであっても、青山✕伊藤の加入によってサウンドに “湿度” が加わり、ドラマチックな変化を確立したのはこの『FOR YOU』からだろう。
さて、ここからはリズム隊がこだわる音の世界から、このアルバム全体を包む音の世界に話を移したいと思う。
アルバムを通して聴くとわかると思うけれど、『FOR YOU』にはア・カペラのループパターンが随所に挿入されている。A面は2曲目の「MUSIC BOOK」と3曲目「MORNING GLORY」の曲間。そして、3曲目とA面最後の「FUTARI」へと繋がっていく部分の計2か所。2回目のループはメジャーセブンスからディミニッシュコードに変化させることで、曲と曲の雰囲気に合わせて繋がりを持たせている。
このア・カペラは、B面にも間奏曲として施されていて、A面とは別アレンジの小品が同じように挿入されている。要するにA面とB面が似て非なるストーリーとして作り込まれていると言ったところ。ひとつひとつはほんの十数秒のア・カペラだけど、その圧倒的な世界観に押されて何だか心がときめいてしまう。
最後に曲中の美しいコーラスが印象的な、アルバム4曲目の「FUTARI」を解説してみる。達郎曰く、「こうした曲は、ピアニストの佐藤博さんなしでは出来ない」そうだ。
イントロ… 佐藤が弾くドラマチックなピアノのアドリブに対し、伊藤の弾くベースがしっかりと低音を抑えている。青山のドラムは最小限のフレーズだ。この “音を出さない隙間の緊張感” が絶妙である。
そして、達郎が声を出す瞬間の息を吸う音さえも楽曲の大切な演出。それを邪魔しない空気の揺れのようなものさえも、不思議と聴こえない音から感じとれる。
静と動… 静かなAメロからサビに入った瞬間のダイナミクス―― その圧倒的音圧で迫るア・カペラが、美しいメロディラインを凌駕して心を鷲づかみにする。スタジオ録音でありながら、その息遣いまで感じられるライブ感、抑揚、どれを取っても素晴らしく、うっかりすると涙が出そうになるほどだ。達郎がよく言う「グッとくる」とは、まさしくこのことだと思う。
そう、「グッとくる」と言えば、達郎は「デジタル録音になって、グッとくる音を作るのが難しくなった」と発言している。
グッとくる… それは歪みによる音圧だ。
ロックとは、楽曲中における様々な歪みのカッコよさであり、アナログ録音での「歪み」が、デジタル録音では出来ない音圧を作り上げるのだと達郎は言う。
「良い音」とは人の主観で感じ方が違うけれど、“らしさ” という点において、歪みというのはとても重要だと僕も思っている。最近は「ハイレゾ」という、圧縮音源では伝えきれない臨場感を再現するために CD の約6.5倍の情報量を持たせる技術が開発された。達郎はこの技術でわざわざ「歪み」を作って、ある程度音圧を稼げるようになったとラジオで解説していた。『FOR YOU』も、時代に合わせて何度もリミックスされている。達郎の考える「良い音」への飽くなき追及もまた永遠の課題なのだろう。
ライブでは「僕も前期高齢者ですから…」と、自虐ネタで笑わせてくれるけど、デビュー当時からすでに卓越した音へのこだわりがあって、このアルバムですら達郎にとっては通過点でしかなかったのだろう。そのとき出せる最高の音を作る “アルチザン”。それこそが山下達郎なのだ。
「もうアナログには戻れない。デジタルでやるしかないんだ」
2019年2月―― 66歳を迎えた達郎は、やる気満々だ。
追記
アルバム『FOR YOU』をリリースした1982年1月21日の山下達郎は、そのおよそ2週間後に誕生日を控えるまだ28歳の若者であった。うーん、若い!
2019.02.03