山下久美子と佐野元春、同様に毎月行っていた新宿ルイードでのライブ
デビュー前の1979年秋から、山下久美子は当時の新宿「ルイード」で、毎月ライブを行いました。当初はまったくお客さんが入らず、スタッフの数のほうが多いこともしばしば。店の前の通りに立って客引きもやりました。
それが80年半ばくらいからようやく徐々に増え始め、動員100人を突破した後はトントン拍子に毎回満員御礼、81年春には300~400人というスシ詰め状態で、ビートに合わせて観客が踊ると、床全体がユサユサ揺れるという状態でした。「ルイード」は4階にあったので、床が抜けるかもしれないとも言われていました(実際87年に撤退した理由は「振動問題」だったみたい)。
さて、そのルイードでの状況、まったく同様に歩んでいたのが佐野元春くんです。
彼のデビューは1980年3月21日、シングル「アンジェリーナ」、久美子の3ヶ月前。言わば同期です。そして彼も毎月ルイードでライブ、動員に苦しんだのも同じなら、なぜか満杯になり出したのも同時期でした。
佐野元春にオファーした山下久美子のアルバム用楽曲
佐野くんは、それまでにないビート感をまとった日本語ロックと、エネルギッシュなステージで、早くも業界の注目を集めていましたが、久美子と私も、ルイード仲間として勝手に親近感を持っていたのです。
また彼の担当A&R、エピックの小坂洋二さんは元渡辺プロで布施明らのマネージャーをやっていた人。そんな繋がりもあり、さすが木﨑賢治先輩は既に、沢田研二のアルバム『G.S.I LOVE YOU』(1980年12月23日発売)で佐野くんに曲を依頼していました。
久美子の次のアルバムに曲をお願いしようと、佐野くんに会ったのは、渡辺プログループが入っていた港区麻布台の偕成ビルの1階「アルファ・キュービック」というカフェ。木﨑さんもいっしょでした。
佐野くんはたしか白い開襟シャツ、黒縁のメガネを掛けて、人懐こい笑顔の、まさに好青年という印象でしたが、音楽の話になると俄然テンションが上り、そのトークを聞いたことがある人はわかるでしょうが、「メロディならいくらでも浮かんでくるんだ」的な、「んだ」語尾が特徴の「佐野弁」で熱く語り始めます。
その眼差しは真剣そのものなのですが、前にいる私を見ているというよりは、遠い、何か見えないものに注がれているのです……。
佐野元春が作曲「So Young」
ともかくもやがて彼は「So Young」という、コンサートでめちゃ盛り上がりそうな、ご機嫌な曲を作ってくれました。
レコーディング当日、スタジオに来てくれた佐野くんは、自ら仮ボーカルを務めてくれながら、アレンジの伊藤銀次さんやミュージシャンにも熱く語りかけ、楽しくてしょうがない様子。仮歌なのに本気でシャウトして、狭い録音ブースで飛び跳ねたり、もう夢中なんです。
そして、やがて久美子が「佐野くん、そろそろあたし歌ってみるわ」と声かけたときには、たぶん彼は、すっかり自分のレコーディングと錯覚していたんじゃないかなと思うんですが、
「は、なんで?」
というような顔でこちらを見たのです。
※2017年5月3日に掲載された記事をアップデート
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2021.08.25