エンタメの世界における、本当の最高傑作とは?
始めに断っておくが、今回は「黄金の6年間」の話ではない。僕のもうひとつのライフワーク、岡田有希子の話である。
さて―― 俗にエンタメの世界では、「全盛期の1つ前が本当の最高傑作」と言われる。例えば―― 作家の村上春樹サンは、一般には単行本の発行部数が400万部を超えた『ノルウェイの森』が代表作のように見られがちだが、多くのハルキストたちは、その1つ前の長編『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を最高傑作と位置付ける。
アイドル時代の小泉今日子もそうだ。彼女の代表曲と言えば、90年代初頭のCDバブル期にミリオンを売った「あなたに会えてよかった」を別にすれば―― 長らく「迷宮のアンドローラ」がセールス面でトップだった。だが、いわゆる “キョンキョン” のキャラと人気を確立した不朽の名作と言えば、その1つ前のシングル「渚のはいから人魚」であることに異を唱える人はいないだろう。
テレビドラマの世界は、その傾向がもっと顕著になる。一般に、連ドラは最高視聴率の回が話題になりやすいが、実際にはその1つ前の回が面白くて、その余波で数字を上げたケースは少なくない。例えば、テレビ版の『踊る大捜査線』は、最終回で視聴率が初めて20%を越えて映画化が決まった逸話が有名だが、同ドラマの最高傑作は、その1つ前の10話「凶弾・雨に消えた刑事の涙」である。真下警部(ユースケ・サンタマリア)が撃たれ、湾岸署の刑事たちに拳銃携帯命令が発令され、降りしきる雨の中、青島刑事(織田裕二)が道路に這いつくばって銃弾を探し続けた、あの回だ。
ドラマと言えば、かの三谷幸喜作品もそう。一般に、三谷サンのドラマの代表作と言えば、『古畑任三郎』の名前が挙がるけど、同シリーズ、実は1stシーズンは平均14.2%と、当時としてはそれほど視聴率が振るわなかった。火が点いたのは2ndシーズンの平均25.3%からである。だが、三谷フリークの間では、その1つ前の『王様のレストラン』を最も評価する声が多い。そう、王レスで評価を上げ、古畑の2ndで数字がハネたのだ。
岡田有希子もまた、全盛期の1つ前が最高傑作!
少々前置きが長くなったが―― 今回取り上げるテーマは、岡田有希子のサードシングル「Dreaming Girl 恋 はじめまして」である。作詞・作曲:竹内まりや。今から36年前の今日―― 1984年9月21日にリリースされた “岡田有希子ティーンエイジ・ラブ3部作” のラストを飾る珠玉のナンバーだ。
ママの選ぶドレスは似合わない年頃よ
いつまでも子供だと思わないでおいてネ
ピンクのマニキュアさえ
まだまだおあずけなの
少しずつ この胸が ときめいてるのに
―― そう、そして彼女もまた、全盛期の1つ前が最高傑作とされるアイドルの1人である。
全盛期は1985年にリリースされた「二人だけのセレモニー」
一般に、岡田有希子の全盛期は、前年大晦日に『輝く!日本レコード大賞』の最優秀新人賞を受賞した翌月、1985年1月に4枚目のシングルとしてリリースされた「二人だけのセレモニー」だと言われる。作詞:夏目純、作曲:尾崎亜美。セールス面でも彼女のシングル史上2番目に多く、メディアへの露出・注目度も高かった時期である。例えて言えば、芥川賞を受賞した新人作家の受賞第一作が注目されたようなもの――。
え? 岡田有希子と言えば、唯一のオリコン1位曲「くちびるNetwork」が全盛期じゃないかって?
残念ながら―― あの曲は、作詞:松田聖子、作曲:坂本龍一というメガトン級の下駄を履かされたナンバー。カネボウ化粧品のCMソングでもあり、売れるのは既定路線だった。もちろん、いい曲ではあるけど(だから売れた)、それが岡田有希子に似合っていたかと問われたら、僕自身―― ユッコファンとしては素直に頷けない。実際、この曲で彼女の人気が特にハネた形跡は見られなかった。
最高傑作はその1つ前「Dreaming Girl 恋 はじめまして」
さて、そこで本題である。
レコード大賞最優秀新人賞を受賞し、一夜にして時の人になった岡田有希子。何せ、当時はレコード大賞が高視聴率を取っていた時代。1984年も30.4%と高く、お茶の間の多くの人は、このタイミングで初めて “岡田有希子” という新人アイドルを認識しただろう。ここから3ヶ月ほどは、前述の通り、彼女のアイドル人生で最もメディア露出の高い時代が続く。
しかし、である。
デビュー以来のユッコファンとしては、岡田有希子の最高傑作は、やはり「二人だけのセレモニー」の1つ前、サードシングル「Dreaming Girl 恋 はじめまして」、通称 “恋はじ” に他ならないのである。
音楽祭での授賞ラッシュ! 増してゆくユッコの存在感
これは、デビュー以来、ユッコファンとしてリアルタイムで彼女を見つめ続けた僕なりの肌感覚の話になるけど、デビュー曲の「ファーストデイト」とセカンドシングルの「リトルプリンセス」までは、1984年デビュー組の中でも、それほど目立つ存在じゃなかった。知名度では、わらべの倉沢淳美が抜けてたし、共に主演映画でデビューした吉川晃司と菊池桃子は、当初から別格だった。
しかし、夏休みも終わって9月になると、不意に岡田有希子は存在感を増していく。まず、9月5日にファーストアルバム『シンデレラ』をリリース。デビュー以来、彼女のシングルを手掛ける竹内まりやの提供曲が4曲を占めるなど、全編 “ティーンエイジ・ラブ” に統一されたコンセプトアルバムは、ことのほか業界評価が高かったのを覚えている。
続いて、この辺りから音楽祭でも存在感を増していく。当時は、TBSが放送する『日本レコード大賞』と、TBS以外の民放が持ち回りで放送する『日本歌謡大賞』の2大音楽祭の他にも、民放各局が独自で開催する音楽祭があり、秋から冬にかけて、怒涛の授賞式ラッシュが展開されたのだ。岡田有希子はそれらのほぼ全てにノミネートされ、しかも最優秀新人賞を仕留めていく。
極めつけは1本のCM、大林宣彦が撮ったグリコ・セシルチョコレート
そして極めつけは―― 1本のCMだった。岡田有希子自身が出演するそのCMは、軽井沢を思わせる避暑地で過ごす可憐な少女の青春の一コマが描かれ―― それは、先のアルバム同様、“ティーンエイジ・ラブ” の世界観に満ちていた。何より、バックに流れる音楽が見事に映像にマッチしていた。“恋はじ” である。
恋したら誰だって きれいになりたい
素敵なレディに 変わる日を夢見て
そう、グリコ・セシルチョコレートのCMだ。「乙女坂」と書かれたバス停の横にバスケットと麦わら帽子を置いて、たたずむ1人の少女。場面変わり、テニスコート。回想シーンだろうか。1人の男性からボールを渡され、お辞儀をする。また、シーンが変わり、自転車。誰かと鉢合わせて、笑顔で手を振る少女。先ほどの彼だろうか。背景の古い洋館が青春のひとコマを盛り上げる。そしてまたバス停のシーンに戻り、そこへ古い型式の高原バスがやってくる。バックに流れる彼女の歌声――。
ロケットにしのばせた
写真を見つめながら
今日もまた ため息で
ひとこと “おやすみ”
もう、これは青春映画の世界だ。僕らファンは元より、それまで岡田有希子に関心のなかった男子たちの心も一瞬で虜にした。「よく見たら可愛いじゃん、岡田有希子」―― 当時、高校2年の僕のクラスでも、“ニワカ” ユッコファンが急増したのを覚えている。今風の表現で言えば、「見つかった」というところだろうか。無理もない。CMを撮ったのは、巨匠・大林宣彦監督である。
気がつけば1984年デビュー組のトップグループに
CMが始まったのが、サードシングルのリリースと同じタイミング、9月の下旬だった。そこから10月下旬にかけて1ヶ月ほどCMが流れ、その間、彼女は『ザ・ベストテン』や『ザ・トップテン』へ “恋はじ” で初ランクインを果たし、気がつけば1984年デビュー組のトップグループの中を走っていた。
デビュー曲で、「クラスで一番目立たない私」と歌っていた彼女が、今やクラスのマドンナとして、誰よりも注目を浴びている―― それは、岡田有希子のリアルストーリーが完成した瞬間だった。
時は流れ、2019年9月4日。この日、リリースされた竹内まりやのデビュー40周年の記念アルバム『Turntable』の中に、岡田有希子に提供した3曲のセルフカバーが収録され、その中の1曲が “恋はじ” だった。少し鼻にかかった “まりや節” ではあるけど、アレンジをほとんど変えていないせいか、35年の時を経ても、名曲は少しも色褪せてはいなかった。
きっと、当時ユッコが聴いた、まりやサンのデモテープが、こんな感じだったんだろうナ。
編集部注:指南役サンのライフワーク「岡田有希子」につきましては、
■ ユッコをめぐる3つの四月物語 ー 岡田有希子と竹内まりや、そして広末涼子
■ まぶしいばかりのシンデレラ♪ 岡田有希子ファーストは80年代の名盤!
…にも詳しく紹介されています。こちらも是非ご覧ください
2020.09.21