2月22日

黄金の6年間:アニメ新世紀宣言!歴史を変えた「機動戦士ガンダム」の登場

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映画「機動戦士ガンダム」の宣伝イベント「2・22 アニメ新世紀宣言大会」が行われた日
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photo:SUNRISE  

かのアルベルト・アインシュタインにとって、1905年は「奇跡の年」と呼ばれる。ブラウン運動を始め、特殊相対性理論や光量子仮説など、物理学史に燦然と輝く5つの重要論文を立て続けに発表したからである。

同様に―― 日本のアニメの歴史においては「1979年」が奇跡の年と呼ばれる。それは、アニメ史に燦然と輝く6つの重要作品が、奇しくもこの年、一堂に会したからである。

4月2日:『ドラえもん』(テレビ朝日系)テレビ放送スタート

4月7日:『機動戦士ガンダム』(テレビ朝日系)テレビ放送スタート

8月4日:映画『銀河鉄道999』(監督・りんたろう)公開

8月26日:「24時間テレビ 愛は地球を救う」(日本テレビ系)にて『海底超特急 マリンエクスプレス』オンエア

9月8日:映画『エースをねらえ!』(監督・出﨑統)公開

12月15日:映画『ルパン三世 カリオストロの城』(監督・宮崎駿)公開

―― いかがだろう。

『ドラえもん』は後に国民的アニメとなり、長編映画が現在も続く大ヒットシリーズになったのはご承知の通り。ちなみに、アニメ化にあたって企画書を書いたのは、かの高畑勲である。

『機動戦士ガンダム』の登場は、アニメの歴史を変えたと言っても過言ではない。総監督は富野喜幸(現・由悠季)。その派生シリーズも多岐に渡る。

映画『銀河鉄道999』は、アニメ作品が史上初めて邦画配給収入の年間1位となる偉業を達成した。ゴダイゴが歌う同名主題歌も大ヒットした。

『海底超特急 マリンエクスプレス』は、漫画の神様・手塚治虫の作品。「24時間テレビ」のアニメスペシャル第二弾として放映され、アトムやブラックジャックなど手塚マンガのオールスターキャストが総出演した。

映画『エースをねらえ!』は、監督を務めた出﨑統の最高傑作と言われる。彼はアニメの演出を変えた偉人である。

そして―― 映画『ルパン三世 カリオストロの城』。かの宮崎駿監督の映画デビュー作であり、今日でも同映画を宮崎作品の最高傑作に挙げる人は多い。


―― そう、これら一連の名作の競演は、1963年1月1日に日本のテレビアニメの扉を開けた『鉄腕アトム』以来となるエポックメーキングな出来事だった。まさに、奇跡の年。

そして今や、日本のアニメ文化は、世界に誇る一大カルチャーへと成長した。それは「ジャパニメーション」とも呼ばれ、海外のクリエイターたちにも多大なる影響を与える一方、今なお、そのマーケットは世界中から熱い視線が注がれている。

例えば、明治大学大学院では、アニメ・特撮研究家の氷川竜介サンが特任教授として「アニメ表現論」を開講しているが、同講義のゼミ生は全員、外国からの留学生だという。また、海外の映画祭で日本映画のコンベンションが開催されると、決まってアニメ作品に質疑が集中するという。それくらい、日本のアニメ文化に対する世界の関心は高い。案外、当の日本人の方がその真価に気付いていないかもしれない。


思えば、その昔、アニメは子供が見るものだった。

70年代の半ばくらいまで、アニメは「テレビまんが」と呼ばれ、子供は母親から口癖のように「まんがばかり見てると、大人になったらバカになるわよ!」と叱られたものだった。アニメ映画も、当時は「東映まんがまつり」と、“まんが” 表記だった。


テレビまんががアニメに変わったのはいつごろだろうか?

僕の記憶では、あの『宇宙戦艦ヤマト』が、再放送で人気に火が着いたのが、1975年末から76年にかけて(昔のテレビは夕方がアニメの再放送枠で、ここで再評価される作品も少なくなかった)。そして映画化されたのが77年で、その辺りから「アニメ」という言葉がポツポツと使われ始めたように記憶する。

ちなみに、かの「コミケ(コミックマーケット)」の第1回が催されたのが、1975年の12月。その第7回が行われた77年末に初めて「アニメ発見伝」なるサブタイトルが登場している。そしてアニメ雑誌の『アニメージュ』が創刊されるのが78年5月である。となると―― 77年後半から78年前半にかけて、「アニメ」という言葉が一気に浸透したと推察できる。

そうそう、意外に思われるかもしれないが、黎明期のアニメブームを支えたのは、女子中高生や女子大生だった。当時はコミケの参加者の9割は女性で、ベースには少女漫画のマーケットがあった。『宇宙戦艦ヤマト』も『機動戦士ガンダム』も、人気に火を点けたのは彼女たちだ。女子中高生にとって古代進やシャア・アズナブルは、郷ひろみや西城秀樹と並ぶアイドルであり、プロマイドを集めるように、彼女たちは競ってセル画を買い漁った。


では―― アニメ市場に男、いわゆる「オタク」たちが介入し始めたのはいつ頃だろう?

少々前置きが長くなったが、それが今回のテーマ「アニメ新世紀宣言」である。時に、今から38年前の今日―― 1981年2月22日が、先の「奇跡の年」に続く日本アニメ史の第3のエポックメーキングとなるのである。

当時の時代背景を説明すると、先にも挙げた『機動戦士ガンダム』が放送終了後から火が着いて、再放送でブレイク。半ば社会現象となっていた。それに合わせてアニメ雑誌も次々に創刊され、同作のキャラクターたちがピンナップを飾った。『月刊OUT』は、1980年3月号で「悩ましのアルテイシア」と題したセイラの全裸ヌードのピンナップをつけたところ、同号は空前の売上げを記録したという。

そう、先の女子中高生たちがシャアに熱狂したように、男子中高生たちは “セイラさん” にときめいた。ガンダムの主人公であるアムロ・レイやそのガール・フレンドのフラウ・ボゥではなく、敵のライバルやちょっと脇のキャラクターに入れ込むところなど、既に今日のオタク気質が垣間見える。また、セイラではなく、“セイラさん” とさん付けするところがたまらなくキモい。だが、そこがいい。

元々、ガンダムは構想段階から『宇宙戦艦ヤマト』のマーケットをモデルにしていた。即ち、ターゲットは中高生以上。それならビッグヒットは望めなくても、コアなファン層は作れると。ちなみに、ヤマトが企画時に参考にしたのが、『ルパン三世』の1stシーズンである。奇しくも、3作とも本放送では注目されず、再放送で火が着いた点で共通している。

当初、ガンダムのモビルスーツは、ロバート・A・ハインラインの SF小説『宇宙の戦士』に登場するパワードスーツ(機動歩兵)をヒントに企画が練られた。それは宇宙服のように着用するタイプで、全高2.5m程度のもの。モチーフにしたのは、1977年のハヤカワ文庫版に掲載された挿絵である。デザインは、スタジオぬえの宮武一貴サンと加藤直之サン。それは、オリジナルのペーパーバック(1959年)にも、最初の翻訳本(1967年)にも登場しない、日本オリジナルのものだった。

だが、メインスポンサーからロボットにしてほしいという要望があり、最終的にその妥協案として、モビルスーツになった。ちなみに、モビルスーツは造語で、命名者は富野監督。ガンダムに登場する人物や兵器、都市などの名前の大半は彼の手によるものである。通称 “富野メモ” には、いつか使えそうな耳馴染みのよいネーミングがいつくもストックしてあり、シャアを始め、マ・クベ、ルナツー、ランバ・ラル、オデッサ、ジャブロー、ア・バオア・クー、ホワイトベース等々は、そこから生まれたという。

1980年夏、再放送の盛り上がりを見て、映画化が松竹からガンダムの制作プロダクションである日本サンライズ(現・サンライズ)に持ちかけられる。だが、当初は全43話を再編集するよう要請されるが、富野監督はこれを断り、1話から14話までを再編集して、1本のストーリーにまとめる。結局、2作目以降は興行成績次第という条件が付いたが、公開前に続編の制作が発表される。それを決定づけたのが、第1作の公開3週間前に行われた、前述の「アニメ新世紀宣言」である。

それは、前代未聞のイベントだった。発案者は日本サンライズの宣伝プロデューサー(当時)の野辺忠彦サン。彼曰く、このイベントはファンが集まることが目的であると。同じ時代に、同じ価値観を持った者たちが、同じ場所に集まる―― そこに意味があると。声優陣が総出演したり、何か派手な歌舞音曲をやるような催しではない。ただ、それまで「たかがアニメ」と言われていたものが、社会に認められるには、圧倒的なエネルギーが必要だった。それは、送り手と受け手が一つになることだった。

イベントは、アニメ雑誌やラジオ等を通じて告知された。当初、富野監督は「中身のないイベントにどんな意味があるのか」と反対だったが、野辺プロデューサーの執拗な説得に、渋々応じた。だが、当の野辺サンも、本当にファンが集まってくれるのか自信はなかった。イベントの申請を所轄の警察署に提出した松竹は参加人数を2000人と見積もった。

1981年2月22日、新宿駅東口の駅前広場(新宿ステーションスクエア)には、徹夜組の350人を含む1万5000人ものファンが集まった。劇中のキャラクターやモビルスーツのコスプレをした者も大勢いる。だが、不思議と大きな混乱は起きなかった。皆、同じ思いを持つ同志であり、このイベントの重要性を認識していたからである。ここでコトを起こしては、これまで積み上げたアニメへの信用が一気に失われると――。

ステージでは富野監督の挨拶に始まり、キャラクターデザインを担当した安彦良和サン、メカニカルデザインを担当した大河原邦男サンらも次々に登壇して挨拶した。華やかなスターが登場するわけじゃなく、皆、裏方だ。それでもファンたちは歓喜した。彼らにとっては、裏方こそスターだった。

声優陣を代表して、シャア役の池田秀一サンが挨拶をしたところで、ファンの盛り上がりは最高潮に達した。続いて、劇場版の主題歌「砂の十字架」がやしきたかじんサンにより披露される。作詞 / 作曲・谷村新司。同イベントで唯一の歌舞音曲だった。


 ライリー ライリー ライリー リラー
 命かけて誓えど
 ライリー ライリー 背中の
 羽根はすでに破れて


午後1時に始まったイベントも2時間が経過しようとしていた。フィナーレは、ファン代表2名による「アニメ新世紀宣言」である。宣言文は、先の野辺プロデューサーが考案した。少し長くなるが、なかなかの名文なので、全文を引用させていただく。


 アニメ新世紀宣言

私たちは、私たちの時代のアニメをはじめて手にする。『機動戦士ガンダム』は、受け手と送り手を超えて生み出されたニュータイプ・アニメである。
この作品は、人とメカニズムの融合する未来世界を皮膚感覚で訴えかける。
しかし、戦いという不条理の闇の中で、キャラクター達はただ悩み苦しみあいながら呼吸しているだけである。そこでは、愛や真実ははるか遠くに見えない。
それでも、彼らはやがてほのかなニュータイプの光明に辿りつくが、現実の私たちにはその気配すらない。
なぜなら、アムロのニュータイプはアムロだけのものだから。
これは、生きるということの問いかけのドラマだ。
もし、私たちがこの問いを受け止めようとするなら、深い期待と決意をもって、自ら自己の精神世界(ニュータイプ)を求める他はないだろう。
今、未来に向けて誓いあおう。
私たちは、アニメによって拓かれる私たちの時代と、アニメ新世紀の幕開けをここに宣言する。


映画『機動戦士ガンダム』は、配収9億円を超える大ヒットとなった。続いて同年7月には続編『機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編』が封切られ、こちらも7億円を超える連続ヒット。そして、翌82年3月に完結編となる『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙(そら)編』が公開され、シリーズ最高となる12億9000万円の配収を叩き出した。気が付けば、もう、誰もアニメを子供が見るものだと言わなくなっていた。

奇しくも、アニメという言葉が登場して、それが市民権を得る期間が、1978年から83年に至る「黄金の6年間」と重なる。東京が最も面白く、猥雑で、エキサイティングだった時代である。

2019.02.22
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カタリベ
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