ますます短くなっているイントロと音楽配信の功罪
最近リリースされる音楽の特徴として、どんどんイントロが短くなっているそうだ。これは音楽出版の主流が、明らかにCDリリースからインターネット配信に移ってきている傾向があらわれているもので、音楽の送り手側がリスナーに対して、いかに早くその楽曲の聴きどころに接触させるか… に心を砕いているということの証でもある。イントロから、Aメロ、Bメロ… と、もったいつけていると、リスナー達がどこかで聴き覚えのあるフレーズに出会えないと、すぐに焦れて次のお目当てへと去ってしまう。
テレビCMや映画やドラマの挿入歌など、タイアップによるプロモーションは今も盛んだが、YouTubeやAmazon、音楽配信アプリもユーザーの好みを把握しておすすめの楽曲をどんどんプロモートしてくれる。音楽配信の仕組みはユーザーの取捨選択を容易にしているし、ましてサブスクの利用者ともなれば、それをためらう隙すら与えてくれないだろう。
音楽配信は新規参入のハードルを下げ、大手レーベルのアドバンテージを無くして、埋もれてしまったかも知れない優れたインディーズ作品との出会いをもたらしたかも知れないが、一方で無数の作品群を単なるデータとして、大量に消費させることにもなってしまった。それはある意味音楽配信の功罪だと思う。
TUBE作品で珍しくなかった “頭サビ” そのすべてがCMタイアップ
思えば初期のTUBEの楽曲には、イントロが短いどころか、いきなり “頭サビ” なんていう楽曲が珍しくなく、必ずと言っていいぐらいタイトルを歌詞に織り込まれていることが多かった。今回採り上げるチューブの9枚目のシングル「SUMMER CITY」も「♪ お気に召すまま、サマーシティ~」のフレーズで始まるその典型例だ。
頭サビと言えば、大ブレイクとなった3枚目のシングル「シーズン・イン・ザ・サン」を思い出す人は多いと思うが、7枚目のシングル「BEACH TIME」は、唄い出しから単刀直入に「♪ ビーチターイム~」と始まる。また10枚目のシングル「Stories」も頭サビでこそないが、タイトルを含んだフレーズがCMに引用されている。
これらの楽曲に共通しているのは、すべて大手スポンサーとのCMタイアップである。彼らの楽曲はデビュー曲の「ベストセラー・サマー」から立て続けにキリンビール、キリンレモンとCMに使用され、その後も富士フィルムやパナソニックとのほとんどのシングルがタイアップに起用され続けた。とにかく明るく爽やかなイメージはスポンサー受けが良かったのだ。
ビーイングが舵取り、CMタイアップを基軸にしたヒットの方程式
CMに使用する楽曲を決める時、テレビCMを大量に放映する大手スポンサーであれば、ヒット必中の大物アーティストとの契約が志向されるだろう。
いくらCMで楽曲をOAしようが、楽曲がヒットしなければタイアップの効果は損なわれる。テレビの歌番組やラジオ、有線放送などで頻繁に楽曲がかかることで、商品の想起率が上がることを期待するからこそ、スポンサーは高額の契約料を支払ってもいいと思っている。
だがデビューして間もなく、実績のないバンドにそれを託すとすれば、もう一つの理由は、いかに広告主の意向に沿った楽曲を提供してくれるかということだ。
究極は商品名を歌詞に織り込むことだが、テレビで放映する際、それが公共放送であったり、番組を提供する競合スポンサーへの配慮などのリスクを抱えてしまう場合もある。商品のキャッチフレーズやコンセプトに沿った楽曲アレンジぐらいが妥当な落としどころとなる。所属事務所もレコード会社も強力にプッシュしてくれるとなれば、ある程度のヒットは見込めるというもの。何かと注文が付けにくい大御所を起用するよりもそこはメリットがある。
当時は好景気もあって企業の文化活動がもてはやされ始めた頃、お気に入りのアーティストの一組ぐらい応援してもよいぐらいの余裕もあったかも知れない。アーティストの目指す方向性がCM制作側の意向に合致していれば、幸運なマリアージュが生じることもあり得るのだ。
TUBEの幸運なデビューの背景には、これを実現する優れたマネージメントがあったに違いない。
まだ音楽配信もShazamもなかった頃だから、リスナーが楽曲の情報をたぐる糸は細い。頭サビのインパクトも、歌詞に織り込まれたタイトルも有力な手掛かりとなり、出会いの可能性が高まるのである。かくしてCMタイアップを基軸にしたヒットの方程式が確立しつつあった。すべての舵取りを行っていたのは、プロデューサー長戸大幸氏率いるビーイングである。
ビーイング躍進の礎、プロデューサーの長戸大幸の狙いとは?
「SUMMER CITY」はシングルとしては初めて、TUBEメンバー自らの手によって書かれた作品ということになるのだが、では彼らがそれまであまり曲を書かなかったのかというと、決してそういうわけではない。むしろそれまでにTUBEがリリースした8枚のアルバムに収録された楽曲のうち、約半数はオリジナルの作品が占めており、残りの半数のみがビーイングのメインライター織田哲郎らの手によるものであった。彼らはむしろ1枚も早くオリジナル曲で勝負をかけたがっていたのだが、プロデューサーの長戸がそれを許さなかったのだという。
最近織田は当時を振り返って、まだブレイク前だった自分の過去の楽曲を収録曲に使ってくれたTUBEのメンバーに対して、感謝の言葉を述べている。シングル同様、年に2枚というアルバムリリースは、まるで売り出し中のアイドル並みのハイペースを保っていたから、自ずと織田作品は多くのリスナー達の耳に触れることになった。“夏バンド” の印象が強く、バラエティ番組では季節労働者のような扱いでイジられることが多い彼らも、この頃は冬場もフル稼働していたのである。
だがそこにグループ総帥としての長戸の意向がうかがえる。早くからアーティストとしてではなくサウンドメイクに手腕を発揮してきた彼は、パートナーとなるソングライターを必要としていた。織田を高く評価するからこそ、何としてもその音楽を世に知らしめたいと考えたに違いない。そのためには結果的にTUBEという存在を最良のプロモーションメディアとして活用することも厭わなかったのではないかと思うのだ。
メインコンポーザー織田哲郎が扉を開けた「SUMMER CITY」への道
そのミッションは、TUBEに“メンバーによるオリジナルシングルのリリース”という特権を与える前に何としても成し遂げたかったはずだが、それを実現させたのが1986年夏の大ヒット「シーズン・イン・ザ・サン」である。次いで「SUMMER DREAM」(1987年)、「BEACH TIME」(1988年)と、3年連続でいわばTUBEにとっての “表” のシーズンである夏場にリリースしたシングルを、いずれもチャートのTOP10に送り込むことに成功。もはやTUBEのメインコンポーザー織田哲郎の音楽は万人の知るところとなった。
そして平成と年号が変わり、1年間活動を自粛していたメンバーが復帰して、再びフルメンバーでの活動を開始したTUBEに、長戸からいよいよ待望の許可が下りる。1989年6月1日、記念すべき初のオリジナルシングルとしてリリースとなったのが「SUMMER CITY」というわけである。
デビュー間もない頃はまだ10代で、凡そチェッカーズのようなアイドルバンドを目指して売り出されたという若者たちも、晴れて長戸・織田の手を離れセルフプロデュースを許されるまで成長を遂げた。この曲も、歌い出しこそ頭サビのスタイルは踏襲されているものの、当時のパフォーマンスからは、何物かからの束縛を解かれたような、底抜けの明るさを感じることができる。
以降はすべてTUBE自身の手による制作体制をとることとなる。アルバムリリースも毎年恒例で6~7月頃の1回に絞り、恒例のスタジアムライブも開催するなど、名実ともに夏バンドとしての色を一層強めていくことになる。
90年代ビーイングの躍進をもたらした “ヒットの法則”
一方、勝ちパターンを得て “織田メロディ” を世に浸透させた長戸およびビーイングのプロデュースチームは、90年代に向けて一層の攻勢を強めていく。その後B’z、ZARD、WANDS、T-BOLAN、大黒摩季… と次々とアーティストを育てあげミリオンヒットを連発する。
かつてTUBEで成功を収めたキリンのタイアップのような勝利の方程式は「カメリア・ダイヤモンド」や「ポカリ・スエット」のタイアップにも引き継がれていく。それは膨大な音楽の露出量を背景とした “ヒットの法則” へと昇華され、ビーイングにその後数年間にも及ぶ大きな成功をもたらした。
長戸はその頃、膨大な織田のデモテープのストックを持ち歩き、代理店やスポンサーを回ってはタイアップを決めていたという。こうした蜜月時代は長戸が一線を退き、織田がビーイングを去る1995年ごろまで続くことになる。
2021.06.01