ジャム解散間際にポール・ウェラーを好きになってから、ずっと彼のファンだ。来日公演は欠かさないし、ウェラー生誕の地、スタンリー・ロードにも行った。若い嫁にうつつを抜かそうが、泥酔して地面に寝転ぶ写真が出回ろうが、関係ない。ポール・ウェラーはずっと私のヒーローだ。
といいながら、実は一瞬…… いや、数か月か数年か、ウェラーへの気持ちが冷めたことがある。スタイル・カウンシル解散前後の、ウェラー冬の時代だ。
スタカン最後の来日となる89年に行われた、汐留PITのライブ。その頃のウェラーは、たしかハウスミュージックに凝っていたのだが、ライブの内容はほぼ記憶にない。
覚えているのは、ギターを抱えるより、マイクを持って踊りながら歌っているほうが長かったこと。あと、短パン姿のウェラーの膝小僧。帰り道、「あぁ眠かった。もう1日ある東京公演、チケット買わなきゃよかったな」と舌打ちしたんじゃなかったか。
その後スタカンは、新アルバムのリリースをレコード会社に拒否され、フェードアウトするように解散。ジャムの鮮やかで惜しまれた解散とは、対照的だった。あぁこうしてポール・ウェラーも過去の人になっていくのね、と当時私はぼんやり思ったものだ。
だが91年、「ロッキング・オン」を読んでいた私は驚いた。ウェラーが、英国で小さなライブハウスを周っているというではないか。写真のウェラーは短パン姿でも、マイクを持ってふらふら踊ってもいない。ギターを抱え、まっすぐ前を向いて歌う、あのウェラーだ。そして、ポール・ウェラー・ムーブメント名義、実質ソロ初シングルの「イントゥ・トゥモロー」を聴いた私は、泣いた。
ヒーローが帰ってきた。
その後も、日本のファンは熱く彼を応援するのだが、本国英国ではなかなか復活できないという時期が続いた。だから、押しも押されもせぬ大御所となり、多くのバンドマンたちに尊敬される英国ロック界の兄貴となった今の姿は、自分のことのように誇らしい。
ウェラーの来日が滞ると、「私たち日本のファンは、あなたをずっと応援してるんだよ。忘れないで」と、恩着せがましく言いたくなる。でも、ふと脳裡をよぎる。スタカン終幕のとき、私はウェラーを見限ろうとしていたなと……。
2017.03.15
YouTube / Fran Corao
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