4月12日

チープ・トリック奇跡の再ブレイク!元祖パワーポップとして息の長い存在感

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おんぼろのトランジスタラジオから流れてきたチープ・トリック


リマインダー世代のロックファンなら、誰しもがロックへの入り口となったバンドを持っているはずだ。僕にとってのチープ・トリックは、まさにそうした特別な存在だ。

78年のある日、家にあったおんぼろのトランジスタラジオを何気なく聴いている時、たまたま流れていた番組が、過去のコラムに何度か登場した福岡の KBCラジオ「今週のポピュラーベスト10」だった。DJ の松井伸一さんの紹介による英語の音楽に、僕の心はビビッと揺さ振られた。

普段は歌謡曲をよく聴き、ちょうどその頃大流行していた「カナダからの手紙」がお気に入りだった小学生の僕が、なぜ突然洋楽のロックに反応したのか? これは自分でも説明し難い。ロックを好きになる感性が元々あって、幼少期に偶然そうした音楽に触れたことで、たまたま早く表面化したのかもしれない。

そのときオンエアされた曲は、アルバム『天国の罠(Heaven Tonight)』からシングルカットされた「カリフォルニア・マン」だった。ロイ・ウッド率いるザ・ムーヴのカヴァーで、キャッチーでご機嫌なロックンロールナンバーだ。この瞬間をきっかけに、僕は堰を切ったように洋楽に興味を抱き、すぐさま近所の本屋でチープ・トリックが掲載された雑誌『ROCK SHOW』を手に入れた。

親しみやすいキャラクター、ロック初心者にとっては教科書的存在!


金髪の貴公子ロビン・ザンダーと黒髪のトム・ピーターソンによる美形コンビと、帽子の被り方が奇妙なリック・ニールセンとヒゲ丸めがねのオジサン風のバン・E・カルロスによるコミカルなコンビ。両者のアンバランスな風貌が、とても面白く思えた。同時期に好きになったキッスは、怪獣のような恐ろしさから興味を抱いたが、チープ・トリックの場合は真逆で、子供から見ても親しみやすく安心出来るキャラクターだったことは、僕が彼らにハマっていく理由になった。

翌年には新作が発売されることを知り、僕は初めてレコード店で LP を予約することになる。アルバム『ドリーム・ポリス』は当初春には発売予定だったが、CBSソニーの名ディレクター、野中規雄さんが日本から世界に送り出した『チープ・トリック at 武道館』がロングセラーを続けたことで、9月まで発売が延び延びになっていった。その間、予約票を眺めながら、本当に待ち遠しい日々を過ごした記憶がある。

新曲は渋谷陽一さんのFM番組『サウンド・ストリート』で一足先に聴いたものの、ようやく手に入れた『ドリーム・ポリス』に針を落としたときの感激はひとしおだった。キャッチー極まりないタイトル曲からして最高だったが、どの曲もロック初心者の僕にとっては、教科書的な役割を果たしてくれた。初めて手にした見開きジャケットや特典ソノシートなど装丁も豪華で、ポスターは早速部屋の一角を飾ることになった。

キッス、エアロスミス、クイーン同様、80年代に入って迎える転機…


クイーンのように日本からブレイクし、ロックシーンで飛ぶ鳥を落とす勢いをみせたチープ・トリックが、80年代も躍進することを誰もが疑わなかったはずだ。ところが、次作『オール・シュック・アップ』リリース前にトムが脱退。アルバム自体もバンドの状態を反映したのか精彩に欠け、結果として日米ともにチャートアクションを下げてしまう。

思えば70年代後期にとりわけ日本でも絶大な人気を誇ったキッス、エアロスミス、クイーンらは、チープ・トリック同様に80年代を迎える転機に何らかのつまずきがあり、多かれ少なかれ低迷といえる時期を過ごしているのは興味深い。

どのバンドも最終的には苦境から抜け出し、80sの音楽シーンのなかで再び浮上していくが、チープ・トリックの場合は違った。新メンバーを迎えコンスタントに作品を重ねるが、いっこうに70年代末期の輝きを取り戻せずにいた。「永遠のラヴ・ソング(If You Want My Love)」をはじめ、優れた楽曲を創り出しても結果に結びつかなかった。“チープ・トリックはもう終わった” という見方をされたのは間違いない。あれほど好きだった僕も、いつしか彼らの新作すらチェックしなくなっていた。

初の全米1位! 1988年のシングル「永遠の愛の炎(The Flame)」


けれども、多くのロックファンは希代の名ロックバンドを見離さなかった。80年代も終盤にさしかかった88年、袂を分かったオリジナルメンバーのトムがまさかの復帰。そこから潮目が変わったかのように、アルバム『永遠の愛の炎(Lap of Luxury)』からのシングル「永遠の愛の炎(The Flame)」があれよあれよとチャートを駆け上がり、初の全米1位まで獲得してしまうのだ。

この楽曲は、メロディアスハードロック系を中心にヒット作を手がけたリッチー・ズイトーがプロデュースし、外部ライターを起用しており、その方針は彼らの本意でなかったのかもしれない。けれども、当時メインストリームだった HM/HR 系のバラードを踏襲したメロディアスな作風は、ロビン・ザンダーの甘い歌声と優れた歌唱の魅力を最大限に生かすことになった。

こうして、アーティスト本来のパワーと戦略的なプロデュースがかみ合ったことで、煌びやかな時代のムードにベストマッチする、極上のロッカバラードを創り出すことに成功したのだ。

さらには、アルバムに収録されたエルビス・プレスリーのカヴァー「冷たくしないで(Don't Be Cruel)」も全米4位とヒットを連発した。前述した「カリフォルニア・マン」同様に、彼らならではのアレンジが絶妙で、オリジナル作品と言いたくなるほど、楽曲に新たな息吹を与えているのは本当に見事だ。結果として、アルバムも実に9年ぶりに全米TOP20入りを達成し、奇跡の再ブレイクを果たすことになった。

ついに「ロックの殿堂」入り! 元祖パワーポップとして再評価


90年代以降も紆余曲折はあったが、作品のリリースとライヴ活動をコンスタントに続け、2016年にはロックの殿堂入りを果たす。そして、近年はパワーポップの元祖的な再評価を受けながら、2020年現在も息の長い活動を続けている。

僕自身は88年の来日公演で、ようやく彼らのライヴを観ることが叶い、あの「カリフォルニア・マン」をはじめとした楽曲の数々をライヴで聴くことができた。それは自分が10年間聴いてきたロックを振り返るような至福の瞬間となった。

「永遠の愛の炎」が大ヒットした時、ちょうど僕は20歳、ロックを聴き始めて10年の節目を迎えていた。10歳の小学生をロックの世界へと優しく誘ってくれたチープ・トリックは、80sの洋楽シーンの中で永遠に刻まれる名曲を通じて、今度は “大人のロック” の魅力を僕に教えてくれたのだ。


2020.01.31
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カタリベ
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中塚一晶
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