12月14日

80年代ロック名盤1位!クラッシュ「ロンドン・コーリング」がシーンに与えた影響

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ザ・クラッシュのサードアルバム「ロンドン・コーリング」が英国でリリースされた日
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photo:SonyMusic  

世界に向けて放った2枚組アルバム、クラッシュ「ロンドン・コーリング」


80年代の UKロックを聴く上で、僕が起点としているのは、79年12月14日にイギリス本国でリリースされたザ・クラッシュのサードアルバム『ロンドン・コーリング』だ。

イギリスのパンクバンドというアイデンティティを持つクラッシュが世界のマーケットを視野に入れ放った2枚組の大作は、アメリカの『ヴィレッジ・ヴォイス』紙において1980年度の最優秀アルバムに選ばれ、89年には『ローリング・ストーン』誌が選出した80年代における最も偉大なアルバム「100 Best Albums of the Eighties」において1位に輝く。

クラッシュは、デビュー当初、ロンドンのガレージバンドさながらのプリミティブな衝動を全面に打ち出したファーストアルバム『白い暴動(The Clash)』のアメリカでの発売を見送り、セカンドアルバム『動乱(獣を野に放て、Give 'Em Enough Rope)』も全米チャート128位と振わなかった。

しかし、この現実をモチベーションとして、ジョー・ストラマーが言うところの「パンク・イズ・アティチュード」つまりパンクロックの精神性をそのままに、サードアルバム『ロンドン・コーリング』でアメリカのマーケットに向けてリベンジした。その作風は、ヒットチャートに迎合することなく、ヴァラエティに富んだダンスミュージックという視点からも非常にクオリティの高いアルバムとなっている。

様々な音楽のエッセンスを吸収、スカ・レゲエはもとより AOR までも!


パンクムーヴメントが隆盛を極めた77年当時、クラッシュは、不況の嵐が吹き荒れるロンドンで労働者階級の若者の代弁者として政治を歌にし、人生における指針を説きながら絶大な支持を集めた。しかし、このサードアルバムでは、デビュー当時のように自らの激情を粗削りなギターサウンドに乗せるのではなく、彼らのアイデンティティでもあるスカ・レゲエはもとより、AOR までも吸収。そして、アメリカンメイドのロックンロールにも寄り添い、広義でのダンスミュージックを打ち出した。これが、その後の UKシーンに計り知れない影響を与えることになる。

これは、ロックンロールが反体制の象徴であった時代から受け継がれたメッセージ性を持ちながらも音楽性が混沌と内省化されるのでなく、様々なエッセンスを取り入れ、幅広い層に向けてアピールすることが、ひとつの方法論であることを示した。この多様化は、時代を俯瞰してみると、クラッシュがアメリカで称賛を受けた『ロンドン・コーリング』の手法が開祖となっている。

また『ロンドン・コーリング』は80年代半ば、日本においてネオ・アコースティックと呼ばれるムーヴメントにも多大な影響を与えたことも事実。このシーンの立役者であるアズテック・カメラのロディ・フレイムやハウスマーティンズのノーマン・クックへの影響は絶大だった。

ノーマン・クックは後にファットボーイ・スリムとしてテクノ、ハウス系DJの第一人者として世界を席捲する。彼が90年に結成したビーツ・インターナショナル時代に、クラッシュの「ブリクストンの銃 (The Guns of Brixton)」のベースラインをサンプリングした「ダブ・ビー・グッド・トゥ・ミー」では、作曲者のポール・シムノンに訴えられるという事件もあったが、これもノーマンのクラッシュ愛に他ならないと思っている。

多様化していった80年代UK音楽、その礎こそ「ロンドン・コーリング」


閑話休題。ネオ・アコースティックと呼ばれたシーンもまた、70年代のパンクスピリットを継承し、歌詞はより内省的になりながらも、音はクリアに研ぎ澄まされ、ポピュラリティを踏まえ、新たなファン層を獲得していった。このムーヴメントのみならず、80年代の UKシーンは、それまでの複雑化した音楽を原点回帰させたパンクロックを礎に多様化してきた。

それは、80年のストレイ・キャッツの登場と共に活性化したネオロカビリー同様、温故知新型のニューウェイヴでもあり、ザ・スペシャルズ、マッドネスなどを擁した2トーンもまたしかりだ。彼らは1960年代のジャマイカン・ミュージックから派生したスカ・レゲエをオールディーズと捉えるのではなくではなく、時代の先端の音にすべくマッシュアップさせた。そこには、反レイシズムなどの強いメッセージ性を孕みながら,踊れるビートを主体に楽曲をクリエイトしていった。

その根底はクラッシュが『ロンドン・コーリング』で作り上げたアティチュードをそのままにした広義でのダンスミュージックに他ならない。その証拠に彼らのサウンドは、日本のディスコ、クラブシーンにおいても現在に至るまで絶大な人気を誇っている。


1月19日に開催されるリマインダー主催の UKロック縛りのイベント『好き好き UK 80’S』。僕も DJ として参加させていただくことになりました。この日は、そんなクラッシュを起点としたとびっきりのダンスチューンをスピンします。もちろん、キュアー、エコバニ、スミスは必至。パンクが根っこのUKロックから、デュラン・デュラン、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドなどの大ヒットナンバーも含め UKメイドの音楽の素晴らしさを存分に堪能してください!

2020.01.06
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  YouTube / The Clash
 

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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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