3月16日

時代の空気とスタイル・カウンシル、80年代の気分は “おしゃれ” とカフェバー?

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スタイル・カウンシルのアルバム「カフェ・ブリュ」が英国でリリースされた日
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photo:paulweller.com  

スタイル・カウンシル、黒人音楽志向を体現すべく結成


こういうのを「若気の至り」と言うのかもしれないが、僕はかつてスタイル・カウンシルの全てのアルバムと全ての12インチシングルを持っていた。何故かと聞かれれば「当時流行っていたから」としか答えようがない。ただ、本サイトでコラムを書き始めてから、何人もの1960年代生まれの人に「80年代にどんな音楽を聴いていたか?」と質問してみたところ、最も多かった回答がこの英国出身ユニットの名前だった。

元ザ・ジャムのポール・ウェラーが、バンド解散後に彼の黒人音楽志向を体現すべく結成したスタイル・カウンシルは、80年代半ばの日本では “おしゃれ” な音楽に分類されていた。しかし、冷静に考えれば、彼らの楽曲のクオリティや演奏テクニックは本場のR&Bやソウル・ミュージックには遠く及ばなかったし、そのセンスは当時東京で流行っていた “カフェバー” の風景に似ていたような気がする。それはまるで「大学デビューの学生」のような気恥ずかしさ、つまり「頑張って “おしゃれ” しようとしている様(さま)がそもそも “おしゃれ” じゃない感じ」とでも言ったらいいだろうか。

ポール・ウェラー、パンクムーブメントの代表バンド、ザ・ジャムでデビュー


ポール・ウェラーが1977年にザ・ジャムでデビューした時、まだ18歳という若さだった。彼の「少年の面影を残すルックス」と「未熟な演奏」は、むしろ “若さ” を武器として際立たせ、ザ・ジャムはパンクムーブメントを代表するバンドとなった。

英国の音楽誌『ニュー・ミュージカル・エクスプレス(NME)』の読者投票で1979~1982年に4年連続で「Best Group」に選ばれたことがそれを証明しているし、シングル「ゴーイング・アンダーグラウンド」「スタート!」「悪意という名の街(Town Called Malice)」「ビート・サレンダー」と、アルバム『ザ・ギフト』で全英チャート1位を獲得している。

ザ・ジャムとは無関係? 日本でのスタイル・カウンシル人気


それと比べると、スタイル・カウンシルは少なくともセールス面ではザ・ジャムに及ばず、ザ・ジャム時代からの悲願だった米国進出も完全に失敗した。

一方で、日本での状況は、それとはだいぶ違っていたように思う。そもそもザ・ジャムは日本ではセックス・ピストルズやザ・クラッシュほどメジャー扱いされておらず、日本の音楽ファンの中には、スタイル・カウンシルを必ずしも「元ザ・ジャムのポール・ウェラーが結成した新しいユニット」と認識していなかった人もいた。つまり、少なくとも日本において、スタイル・カウンシルはザ・ジャムとは無関係に人気が出たと言えなくもない。

その頃の東京は、中間層(所得や生活様式で見て大衆に分類される、いわゆる普通の生活者)の購買力が格段に向上し、一部の人間のものだった “おしゃれ” が一般ピープルに浸透しつつあった。そんな “過渡期” な時代の空気とスタイル・カウンシルの良くも悪くも “中途半端” な音楽は、きっと相性が良かったのではないかと思う… と言うことで、ポール・ウェラーのキャリアで唯一全米トップ40に入った「マイ・エヴァ・チェンジング・ムーズ」を聴いて、ほろ苦い時代の気分を思い出してみよう。


Song Data
■ My Ever Changing Moods / The Style Council
■ 作詞・作曲:Paul Weller
■ プロデュース:Paul Weller, Peter Wilson
■ 発売:1984年2月11日

Billboard Chart & Official Chart
■ Treat Her Like A Lady / The Temptations(1984年2月25日 全英5位、1984年6月9日 全米25位)



※2016年11月5日に掲載された記事をアップデート

2021.03.16
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  YouTube / Pianeta Martens
 

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カタリベ
1965年生まれ
中川肇
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