12月14日

前のめりに突き進むジョー・ストラマー、気迫の「ロンドン・コーリング」

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photo:SonyMusic  

毎日仕事の行き帰りで通る、東横線・渋谷駅の発車メロディが「ジングル・ベル」に変わっていた。

2018年の冬、年を重ねて行くにつれクリスマスの喧騒に身を寄せるでもなく、1年も終わりだなぁと感慨が深くなる。そして、心に渦巻くのは、僕が私淑する音楽の偉大な開拓者たちが旅立っていった季節であるということ。12月8日にはジョン・レノンの命日があり、それに続いて今年も12月22日がやってくる。

そう、2002年のこの日にジョー・ストラマーが急逝―― あれからもう16年も経つ。そして僕は、今年50になりジョーの生きた年月を超えてしまった。

家族であれ、友人であれ、恋人であれ、パートナーであれ、自分を愛してくれる人がいるのなら、長く生きることが、それだけで大切なことであると思ったりもするが、それでもジョーの生涯を考えると人生は “長さ” ではなく “密度” だよなって思わずにはいられない。

愛車のポルシェ550スパイダーで激突事故を起こし、24歳で夭逝したジェームズ・ディーンは、今尚反逆の象徴として語り継がれている。ジョー・ストラマーもまた然りだ。70年代末に彗星のごとくロンドンパンクシーンに躍り出て、ザ・クラッシュ在籍時最大のヒット曲となる「ロック・ザ・カスバ」を収録したアルバム『コンバット・ロック』(82年)がリリースされるまで、わずか6年。ジョーは試行錯誤を繰り返しながら前のめりに生き急いだ。

彼は、直情的なロックンロールからスタートし自らのルーツを掘り下げ、時代と格闘しながらクラッシュという船に乗り、音楽の旅を続けていた。それは、ビートルズの活動期間以上に密度の濃い時間だったのではないだろうか。これはまさに、ジェームズ・ディーンに捧げられた「TOO FAST TO LIVE, TOO YOUNG TO DIE(落ち着くには早すぎる。死ぬには若すぎる)」というメッセージに匹敵するロックンロールの刹那性だ。

クラッシュはジョーが50年の生涯の中で、これをより深く体現した期間と言えるだろう。その雄姿は多くのファンの心の拠り所として今尚、生き続けている。もちろん僕の心の中にも14歳でクラッシュに出会ったその衝撃と共にロックンロールのアイコンそのままのジョーの姿がある。14歳の僕と、クラッシュのデビュー時、25歳のジョー・ストラマー。この関係性はジョーがいなくなっても、僕がどんなに年をとっても、ずっと変わらない。

「やるしかないのに、そんな簡単なことのわからない人間が多すぎる」

これは、ジョーの名言だが、実際、家も金もなかったジョー・ストラマーが80年代の金字塔ともいえるアルバムを作りあげたモチベーションは、この言葉に帰結していると言っていいだろう。そしてこの言葉通り、彼の音楽人生は決して平坦な道のりではなかった。

トッパー・ヒードン、ミック・ジョーンズの脱退、二人が去った後に作られたアルバム『カット・ザ・クラップ』の酷評など、クラッシュの栄光は光と影のコントラストで彩られているが、それでもジョーは、僕らを魅了してやまない。それを象徴するのが、名盤『ロンドン・コーリング』の制作エピソードだ。

『ロンドン・コーリング』リリースの1年前、商業的には成功していたセカンドアルバム『動乱 -獣を野に放て-(Give 'Em Enough Rope)』の仕上がりに納得が出来ず、ジョーは音楽的に息詰まっていた。ビジネス面ではアメリカ音楽業界との軋轢に悩み、元マネージャー、バーニー・ローズとは法廷闘争の真っ只中。バーニーはクラッシュの資産を凍結し、長年使用していたリハーサルスタジオからクラッシュを追い出そうとする。結局のところ、クラッシュはテムズ川の畔に『ロンドン・コーリング』の制作拠点となるスタジオ「ヴァニラ」を見つけ、ここでメンバーはアルバムの雛型となるデモテープづくりに没頭していく…

この出来事についてジョーは、

「ヤケクソになったのが良かったんだな。問題があることでかえって開き直れた。もうなにも怖くなかったんだ」

―― と述懐している。

当時のテクノロジーを駆使し、彼らのルーツであるロカビリー、レゲエ、スカ、R&B など様々な音楽的要素を鋭角的に注入した『ロンドン・コーリング』は、一見、彼らのキャリアを凝縮、綿密に組み立てられたスタジオワークからなる傑作と思われがちだ。

しかし、その根底にあったのは、ジョーの精神性、そして、そのヴァイヴレーションとシンクロすることによりエナジーを高めていったメンバーの気迫と言っていいだろう。そしてこのスピリットは、あのポール・シムノンが、ステージでベースを叩きつけるロックンロールの初期衝動を具現化した1枚のアルバムジャケットに見事に表されている。

70年代の終わりにセックス・ピストルズのジョニー・ロットンが「ロックは死んだ」と言い放った。その後、クラッシュが開拓していく商業主義と相反したロックンロールは、時代を超えた音楽として語り継がれることになる。ここから音楽の深みに触れ、人生を模索していった人も少なくないだろう。

そして、ジョーはクラッシュ解散後も過去の栄光に甘んじることはなかった。ソロ活動、ザ・ポーグスへの参加、DJ への挑戦…。

また晩年に年の離れた若いメンバーと共に結成し、安住の場所になるはずであったザ・メスカレロスでは、トラディショナルなロックンロールに原点回帰しつつも、クラッシュ時代に体得したジャンル・ミキシングを継承、常に自らを鼓舞するかのようにさらに音楽を開拓していったのだ。それをジョーの言葉で表すならば、

「トライすらできないヤツが、やっている人間に何を言えるって言うんだ」

―― ということだろう。

この言葉は今も僕の背中を押してくれる。周囲の評価をおそれることなく、前のめりに突き進むジョー・ストラマーのアティテュードは生き続けているのである。


参考文献:
『ザ・クラッシュ 全曲解説シリーズ』
トニー・フレッチャー(著)
上西園 誠(翻訳)
発売元:シンコーミュージック


2018.12.14
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