2002年12月22日ジョー・ストラマー逝去。彼がクラッシュのフロントマンとして、苦悩し、常に前を見据えて戦った6年間は、パンクロック・ムーブメントの本質であるD.I.Y精神そのものであった。これは後も多くのミュージシャンたちの精神的支柱となる。「単なるラブ・ソングではなく、政治的発言も含め、当事者としての目線を通じ、人生に必要だと思えることを歌詞に託す」というクラッシュの存在意義は、解散後のソロワークなどでも変わることがなかった。
そう! ジョー・ストラマーが僕らに教えてくれた最も重要なことは、「常に当事者であれ! 自らが疑問思ったことは自らでアクションを起こせ!」というアティチュードだったと思う。そしてクラッシュは常に広い視野で世界を見渡し、自分がどのような存在であるのかを自覚せよ!と語りかけていた。そんな精神性が溢れるクラッシュの名曲ランキング。パンデミックを経験した今だからこそ響く楽曲を選んでみた。
第10位:ロック・ザ・カスバ
(1982年 アルバム「コンバット・ロック」)
クラッシュ最大のヒット曲で米ビルボード最高位8位を記録。楽曲はドラマー、トッパー・ヒードンが手掛ける。
当時ロックが禁止されていたイランのホメイニ政権下でレコードを所持していた若者がむち打ちの刑になったという事件をジョーが痛烈に批判した歌詞にクラッシュらしいアティチュードを感じる。ブラックミュージックをルーツに持つトッパーのセンスが炸裂したファンクチューン。当時日本のディスコでもヘビロテされた1曲。
第9位:権利主張(Know Your Rights)
(1982年 アルバム「コンバット・ロック」)
「This is public service announcement with guitar」 というジョー・ストラマーのアジテーションのようなヴォーカルから始まるこの楽曲。このワンフレーズにジョーの魂が凝縮されている。
音楽性の多様化を極めた前作「サンディニスタ!」からの原点回帰とされ、「お前には自由に話す権利がある/お前の権利を知れ!」とリスナーを鼓舞するその姿は昔のクラッシュに戻ることを望むパンクスたちから歓迎される。しかし、ラテン、ロカビリーフレーバーを感じる間奏からもバンドの成熟ぶりを十分にうかがうことができる。
第8位:アイム・ノット・ダウン
(1979年アルバム「ロンドン・コーリング」)
ミック・ジョーンズがソングライティングを手掛け、ヴォーカルを取る楽曲。当時の個人的な心情を吐露した曲であるが、その根底にあるパンク・スピリット、ロマンティシズムこそがクラッシュの本質ではないかと思う。「俺は決して倒れない…だから街をくまなくロックして周る/自分が今まで世界の中でちっぽけな考えだったか…」という歌詞の中には新たな道を切り拓こうとする当時のジョーの心情も代弁している。
第7位:バンクロバー
(1980年シングル)
アメリカツアーを経て構想が固まり、自らのルーツと現在を惜しげもなくさらけ出した傑作アルバム『ロンドン・コーリング』の次なるステップとして80年にリリースしたシングル。極上のレゲエ・チューンは後にカテゴライズされるミクスチャーの開祖と言ってもいいだろう。
レゲエとはレベル(反逆)・ミュージックと解釈しながら、ジャマイカ人プロデューサー、シンガーのマイキー・ドレッドと共同制作を試みる。この曲によりクラッシュが正統派白人レゲエバンドであるという側面を開花させた。
第6位:クランプ・ダウン
(1979年 アルバム「ロンドン・コーリング」)
1979年、アメリカ合衆国スマイリー島で起こった原発事故からインスピレーションを得て生まれた楽曲。「壁を打ち壊せ! 政府は倒れようとしている」というラディカルなメッセージにジョー・ストラマーの本質を垣間見ることができる。
クラッシュのクリエイトする音は常に時代を映す鏡であったことを象徴している。ダンスミュージック風4ビートのリズムにロックンロールが融合した革新的なバンドのアンサンブルにも注目。
第5位:七人の偉人(The Magnificent Seven)
(1980年アルバム「サンディニスタ!」)
黎明期のヒップホップ・カルチャーから衝撃を受け作られた白人バンドによる世界初のラップを導入したナンバー。うねるようなベースラインはレコーディング時、映画出演のため不在だったポール・シムノンの代わりにブロックヘッズなどで活躍するノーマン・ワット・ロイが担当。
飽くなき探求心で、新たなサウンドを開拓していくクラッシュは、この曲を1曲目に収録した3枚組アルバム『サンディニスタ!』で音楽性の多様化が頂点に達し、後のロックの歴史に多大な影響を与える。
第4位:1977
(1977年シングル「White Riot」C/W)
1977年3月18日にリリースされたクラッシュのファーストシングル「白い暴動(White Riot)」のB面に収録。1977年にはエルヴィスもビートルズもローリング・ストーンズも要らないと叫ぶクラッシュの決意表明は、当時のパンク・ムーヴメントを象徴。彼らを凌駕して自分達の新しい時代を作ると決意したクラッシュのはじまりの歌でもある。
第3位:トミー・ガン
(1978年アルバム「動乱(獣を野に放て)(Give 'Em Enough Rope)」)
パンクロックの大発明だと言えるイントロの “タカ・タカ・タッ“ と連打されるドラムロールはトッパー・ヒードンのアイディア。数秒でロックンロールの本質を体感できるこのイントロこそが世界で一番短いパンクロックの具現化だ。アメリカ進出時にリリースされたこの楽曲から、頂点へと昇っていくクラッシュの雄姿がクッキリと浮かび上がる。
第2位:アイ・フォート・ザ・ロウ
(1978年シングル「Cost Of Living」C/W)
クラッシュのオリジナル楽曲ではないが、この楽曲こそがクラッシュだと言い切るファンも多いだろう。「俺は法と戦った しかし法が勝った」というシンプルな歌詞は、体勢に屈せず、自らが大切だと思えることに主体的にアクションする大切さを貫いたクラッシュらしさを感じる。決して勝つことはなくても全力で挑んでいく姿勢こそが、ジョー・ストラマーの生涯であった。
オリジナルのソングライターはソニー・カーティス。1959年にバディ・ホリー亡き後リスタートを切ったクリケッツのシングル。グリーンディを始め多くのバンドがこのクラッシュのスタイルを踏襲している。
第1位:ロンドン・コーリング
(1979年 アルバム「ロンドン・コーリング」)
1989年、米ローリング・ストーン誌が選出した「The 100 Greatest Album Of The 80’s」において堂々たる1位に輝いたアルバム『ロンドン・コーリング』の1曲目に収録されている表題曲。
曲の冒頭、ジョー・ストラマーが「ロンドンから遠くの街へ 今宣戦布告された」と宣言したように、ロンドンの片隅からキャリアをスタートさせたクラッシュが世界を相手に自分たちの音楽性を解き放つという決意表明でもあったと言えよう。
ギターカッティングが主体のシンプルな構成であるが、壮大な物語の序章を感じさせてくれる。ポール・シムノンが奏でる、レゲエ・フィーリングたっぷりのベースラインもクラッシュの真骨頂。まさしく彼らの代表曲だ。
―― 以上10曲は、なるべく主観を排除して、これからクラッシュを聴こうと思う人へ、時代への影響力が大きく、かつジョー・ストラマーの精神性が顕著に表れているものを選んでみた。大傑作アルバム『ロンドン・コーリング』のリリースから42年、ジョー・ストラマーの訃報から19年という月日が流れたが、彼らの開拓していった音楽の軌跡は、多くの後進のミュージシャンによって継承されている。
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2021.12.22