バンタム級世界王者、井上尚弥が取り戻したかったボクシング界の熱気
先日行われた真のバンタム級世界一を決めるワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ(WBSS)で、井上尚弥はノニト・ドネアを12ラウンド判定で退け勝利した。それは世界中が注目した特別な試合であり、日本のボクシング熱が一気に沸点へと到達した瞬間でもあった。試合前から湧きあがっていたアリーナの熱狂は、近年のボクシング界では感じられなかった歓喜のムーブメントを呼びおこし、観衆と、この試合に携わった皆がそのヒートアップした熱気に包みこまれ酔いしれたのだ。
そんな井上尚弥は『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK)で、「辰吉丈一郎さんだったり、畑山隆則さんだったり、あの沸かした時代を取り戻したいのがあったんですよ…」と語っていた。その映像を観ていた僕は、1990年代の日本ボクシング界を牽引し、熱狂させた辰吉と、さらにそこから遡ること20余年… 丈一郎という名前を付けるほど彼の父親が大好きだったボクシング漫画『あしたのジョー』のことを思い出していた。
全てのボクシング漫画の原点「あしたのジョー」
『あしたのジョー』は、高森朝雄(梶原一騎)原作、ちばてつや作画で1968年から1973年までの間『少年マガジン』で連載された全20巻のボクシング漫画である。累計発行部数は2,000万部を超え、これ以降に描かれたボクシング漫画は全てこの『あしたのジョー』から影響を受けていると言わしめるほどだ。
そして1970年、この漫画の TVアニメ化を出﨑統(チーフディレクター)が試み大ヒットさせた。漫画から TVアニメ化、そして1980年の映画化に至るまで、関係者の様々なしがらみや紆余曲折を経ているけれど、そのあたりは今回割愛させていただく。
僕としては、矢吹丈の魅力と映画化された際の主題歌「美しき狼たち」が最高にカッコイイので、今回ここに焦点を絞りたいのだ。
「あしたのジョー」の主人公、矢吹丈の生き様と魅力
『あしたのジョー』における矢吹丈の生き様は実にカッコイイ。
時代背景が現代とは違うので一概に比べることが出来ないけれど、生きる目標を失い、やさぐれた状態から己の力だけで抗ってゆく激動の人生は真似しようにも真似できない。それは荒々しさと気高さに満ち溢れている。
作品の舞台となる山谷(さんや)は現在の東京都台東区の北東にあたり、漫画が連載されていた頃は多くの日雇い労働者が集まる場所で、現在も安宿が点在するが、訪日外国人のバックパッカーが好んで利用する宿泊地である。
ただ1960年代の山谷はドヤ街とも呼ばれ、低所得者が肉体労働で食いつなぐ、あるいは罪を犯した者が世間に追われて行き着く “川向う” と称された地域であったことは否めない(劇中に泪橋を渡ることで地域の格差が表現されている)。
その人間の底辺として描かれたドヤ街から、矢吹丈というスター選手が生まれるサクセスストーリーは、戦後日本を背負ってきた団塊世代がハマるには申し分のない物語だったはず。そう、矢吹丈は、皆が叶えることのできない夢を自分の拳で掴みとる憧れの存在なのだから。
寺山修司が描き、尾藤イサオが歌ったTVアニメ版主題歌
さて、『あしたのジョー』というと、作詞:寺山修司、作曲:八木正生で尾藤イサオの歌う TVアニメ版主題歌「あしたのジョー」を思い浮かべる人がほとんどだろう。荒々しさの中にも寺山修司らしい「♪ あしたはどっちだ」という哲学的な歌詞… そして尾藤イサオのハスキーでワイルドな歌いっぷりが耳に残る名曲だ。
そして、この TVアニメ版主題歌は、どちらかというと漫画の世界観を表現しているように思う。線画の荒々しさとボクシング描写の勢いが符合するのだ。
TVアニメ版として描かれた矢吹丈は、ときにボロボロになり、そして傷つきながらもリングに上がり、倒されても、倒されても、渾身の力を振り絞って何度も立ち上がる… という生き様と感情がより深く表現されていると思う。そこはチーフディレクター出崎統の “矢吹丈の人としての魅力” を引き出す演出であり、僕はその生々しさの中に見える一瞬の優しさに心奪われてしまった一人なのだ。
社会と闘うすべての人へのエール、劇場版主題歌「美しき狼たち」
その生き方の信念や、ライバルであり盟友として力石徹と分かち合った友情を、劇場版制作にあたり「美しき狼たち」の歌詞に託した作詞家のたかたかし、美しいバラードに仕上げた作曲家の鈴木邦彦は本当に素晴らしいと思う。
歌詞中もっとも心が揺れるのはサビのこの部分だ―—
脚をくじけば膝で這い
指をくじけば肘で這い
涙のつぶだけ たくましく
傷ついて しなやかに
「男は…」と連呼する歌詞は現代にそぐわないけれど、この歌詞全体を通して読み解くと、毎日の生活において理不尽な中に身を置いている社会人たちの心の声を、あたかも代弁しているように聴こえてはこないだろうか。
営業先ではクレームばかり、会社に戻れば上司に責められ、「何のために生きているんだろう…」なんて自問自答する日々は誰にだってある。社会人の誰もがこの歌詞のようにボロボロになり傷つきながら、それでも這いつくばって生きてゆかねばならないのだ。それが人生という名のレールである。
ところがこのレールから外れてしまう人、さらには帰る家を失ってホームレスになる人たちがいる。様々な事情はあれ、そこから以前の生活を取り戻すのは容易なことではない。だからこそ歯を食いしばって乗り切ってゆくしかない… それがこの曲の “闘う時” なのだと思う。
僕らはもちろん矢吹丈にはなれないけれど、多くの人は、孤独で、傷つきながら、それでも立ち上がる矢吹丈の姿に自分を重ね合わせ、勇気を分けてもらったことだろう。間違いなく僕は「美しき狼たち」を歌う おぼたけし の伸びのあるストレートな声に、込みあげてくる勇気と力を何度も貰っている。そう、この曲は、自らの誇りを守るために社会の中でもがき苦しみながら一生懸命生きている全ての人に向けたエールでもあるのだ。
矢吹丈を体現した男…「美しき狼」辰吉丈一郎
さて最後に、冒頭で紹介した辰吉丈一郎の話を少し。
彼ほど矢吹丈を体現している男はいないだろう。ほとんどの人は度重なる網膜裂孔、網膜剥離によりとっくに引退していると思っていたはずだ。僕もそう思っていた。ただ現実は違っていた。
現在も彼は日々ロードワークをこなし、いつでもバンタム級に戻れるよう体重をキープしている。もちろん38歳でライセンスを失効した彼はプロとして認められていない。それをわかっていてもなおチャンピオンのまま引退することしか考えられないという。
「過ぎたことは遠い昔や、という感覚です」
これを笑うことなど誰ができよう…
彼は『あしたのジョー』のラストシーンが好きだという。「ジョーが最後、寝とるんか、死んどるんか…… やっぱ、あそこかな」それは真っ白に燃え尽きた矢吹丈の最期だ。
辰吉丈一郎49歳。彼こそが “美しき狼” だと僕は思う。明日の朝、彼はまたロードワークに出かけてゆくだろう。その姿は決して哀れではない。誇り高き孤高のヒーローは、人生のレールをまだ懸命に走り続けているからだ。
2019.12.15