7月10日
二百三高地と連合艦隊、さだまさしと谷村新司が歌う戦争映画のテーマ曲
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朝鮮半島情勢が気にかかる今日この頃であるが、我が国の歴史を紐解くとき、東アジア情勢の動向というのは、いつの時代も政治的にも経済的にも人々の暮らしに大きな影を落とし続けてきたのである。80年代の初め、毎年終戦記念日が近づくと、東映、東宝の映画会社から、アジアを舞台に過去に日本が関わった戦争を描く大作映画が次々と公開されていたのを思い出す。

1980年に公開された日露戦争を描いた東映の『二百三高地』を皮切りに81年には東宝『連合艦隊』、次いで『大日本帝国』(82年東映)、『日本海大海戦 海ゆかば』(83年東映)、『零戦燃ゆ』(84年東宝) といった具合である。

当時の映画といえば、ちょうど黒澤明監督の『影武者』がカンヌ映画祭でグランプリを獲得し、コッポラの『地獄の黙示録』や角川映画の『復活の日』など、超大作流行りで、製作費が高騰の一途をたどっていた。戦争映画というのは、橋を落としたり、戦艦作ったりするので超大作に仕立てやすかったと想像できる。何せ製作費にいくら使ったかが宣伝文句になるのだから、超大作であることが重視された時代である。

当然ながら映画のプロモーションにも力が入ろうというものだ。そしてそこには当然、音楽の力が注入される。映画『二百三高地』のテーマ曲には、前年「関白宣言」の大ヒットでトップアーティストとなったさだまさしに楽曲が依頼された。

さだは被爆地長崎の出身であるから、戦争礼讃につながりかねない戦争映画のテーマ曲の受託については、慎重に吟味したことを述懐している。戦争の悲惨さ、市井の人々が受けた大きな犠牲や悲しみを伝えるものであること。「防人の詩」はそうした製作側の思いを反映させる形で作り上げられた。

「防人の詩」とは我が国最古の歌集『万葉集』の中に収められた歌群の一つであり、家族を残し国防の地での兵役に赴く人々に読まれた歌である。かの歌詞「海は死にますか 山は死にますか」のくだりも原案は万葉集に詠まれた歌からインスパイアされたもの。防人の赴任地といえば、当時の北部九州といわれている。日露戦争の前線で戦う兵士たちを防人になぞらえるとは、いかにも九州人らしい、さだの着想がうかがえないだろうか。

翌年公開された映画『連合艦隊』の舞台は太平洋戦争である。日露戦争に比べれば、関わった人たちは遥かに多く、当時は終戦後36年。2018年の今年は、それから37年を経ているわけだから、ちょうど中間に当たるということに気づく。

まだ人々の記憶が残る敗戦の歴史を描いている点では『二百三高地』とは異なる性格を持っている。得てして “負け戦” では、その悲劇性は一層強まるものだ。そして時折、日本人が好きな「滅びの美学」や「悲劇のヒーロー」的な要素が織り交じることがある。この辺りがやや強くなると、近年の話題作『永遠の0(ゼロ)』のように、戦争美化といって噛み付く人たちも出てこようというものだ。

『連合艦隊』のテーマ曲を担ったのは、谷村新司である。当時人気絶頂にあったアリスの活動と並行してソロプロジェクトも好調。80年には代表曲「昴」をヒットさせ、フォークロックっぽいアリスとは異なる歌唱スタイルを確立していたから、「群青」というタイトルを知った時、ヒロイックなイメージの楽曲を勝手に想像してしまった。

しかしこの期待は見事に裏切られる。「群青」は、外洋独特の深い青色を見つめながら、彼の地に残してきた人たちに想いを馳せるもの悲しいバラードだったのである。

時代的には、さだ、谷村二人のバックグラウンドにはフォークソングがある。フォークといえば、反戦反体制のプロテストソングとして扱われてきた。もちろん彼らはそんな狭い領域で音楽を捉えてはいないだろうが、プロモーション含みとはいえ、彼らのようなミュージシャンが、仮にも戦争映画のテーマを担当したという事が、80年代に新たな時代を感じる出来事でもあった。

ところで彼ら二人の経歴は、先にブレイクしたさだが常に半年から1年ほど先行する形で、互いに競うように同じ歩調で刻まれていく。

谷村のグループ「アリス」は1972年のデビューだが、ブレイクは75年「今はもうだれも」まで待つことになる。一方のさだはデュオである「グレープ」として1973年にデビューすると「精霊流し」(74年)でブレイクを果たす。しかし76年には解散。ソロに転じて翌77年3月リリースの「雨やどり」が大ヒットとなり再ブレイク。アリスの大ヒット「冬の稲妻」も同年10月リリースだから、77年は二人にとってエポックな年になったといえるだろう。

また優れたソングライターである二人は、共に前後して山口百恵の代表曲を手掛けている。さだの「秋桜」は77年10月、谷村の「いい日旅立ち」は一年後の78年11月のリリースである。こうした二人の歩みが、やがて「防人の詩」「群青」へとつながって行くのは興味深い。

もう一つ二人の共通点として挙げられるのは、文化放送『セイ! ヤング』への出演だ。さだはグレープ時代の74年から解散する76年まで。谷村はデビューの72年から78年までの長きにわたり番組パーソナリティを務めた。「歌は暗く、トークは明るく。」が主義のさだが繰り広げる軽妙なしゃべりと、谷村の深夜ラジオならではの下ネタが炸裂する『セイ! ヤング』は女の子を中心に大変な人気であった。

実は我々の世代は、彼らの番組全盛期には追いついておらず、一部早熟な女子達が先行して彼らの放送を追っていたと思われる。アーティストの個性を生かしたトークが中心の文化放送の『セイ! ヤング』対して、企画勝負でハガキ職人が活躍するニッポン放送『オールナイトニッポン』を比べると、必然的に女子は前者へ集まることが多く、それがファン層へ反映されていったようだ。中学生だった当時、よくクラスの女子たちが、オリジナルのカセットを作ってきては、放課後に彼らの楽曲を聴いていたのを覚えている。それほど「さだ派」「アリス派」はクラスの2大勢力であったのだ。

さだは、しばしば展開する自虐トークの中で自らの「毛髪」のことについて触れ、谷村に松山千春を加えた3名を「フォーク界・御三毛(ごさんけ)」などと称している。年齢は谷村が4歳上になるが、同じ様な道を歩んできた二人は、互いを意識する間柄であり、我々の世代は長い間、彼らの楽曲に慣れ親しんできた。未だメディアへの登場が多い彼らが、何かを仕掛けてくれることをまだどこかで期待しているのである。

2018.05.07
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