ギターシンセサイザーを日本で初めて取り入れたゴダイゴ・浅野孝已
「好きなアーティストは?」の質問に、ゴダイゴと答えて何年になるだろう。1978年のテレビドラマ『西遊記』の主題歌を聴いてのめり込み、自ら進んでアルバムを買い求めたのはゴダイゴが初めてだ。そのために親に泣きついてステレオも買ってもらった。
続く1979年は、私にとっても世間的にも空前のゴダイゴブームだった。紅白歌合戦まで、ゴダイゴに明け暮れた一年といえる。
ちなみに私の推しメンは、浅野氏こと浅野孝已だった。ギターシンセサイザーを日本で初めて取り入れたという、今も私にとって日本一のギタリストだ。「銀河鉄道999」のテレビ演奏で、主に衣装が赤だった方である(タケカワは青、スティーブは黄)。
ゴダイゴ最高峰アルバム「OUR DECADE」のフィルムコンサート開催!
5月頃だったろうか。ゴダイゴがニューアルバムを出すと知り、友達のサチコちゃんとレコードショップに予約に行った。その時、店員のジュンさんから「予約特典で、7月のフィルムコンサートの応募ができるよ!」と聞いた。速攻で応募。見事当選した。
6月25日、後年、ミッキー吉野がゴダイゴの最高峰と位置付けた『OUR DECADE』がリリースされる。ピンクトーンのバックに全員が黒の衣装で決めた販促ポスターをもらい、壁に貼って眺めながら、毎日毎日、本当に擦り切れるほど聴いた。このアルバムに関しては話が長くなるからはしょるけど。
フィルムコンサートは近所の区民会館で行われた。確か、同年の日比谷野外音楽堂でのライブ映像だったと思う(うろ覚えご勘弁)。そして、この映像に私は完全に心を持っていかれたのだった。
彼らのサウンドに、演奏に、歌に、空気に、生で触れたい! と、思った。
コンサートというものに行ってみたい!
そんな熱烈なリクエストに、母はいい顔をしなかったが、サチコちゃんのお母さんがほだされ、応えてくれたのだ!「チケット買ったわよ!」 やった! サチコちゃんと2人、飛び上がって喜んだ。
最&高! 晴海国際貿易センターでのゴダイゴコンサート
そうしてやってきた1979年8月24日。夏休み最後の大イベント! 場所は東京の晴海国際貿易センター。今でいうどこらへんだろう。とにかく晴海のあたり。
マイ・ファースト・コンサート。
席は浅野氏側でなく、ベースのスティーブ側だったのがちょっと悔しかったのと、始まるまでの心臓の鼓動を、今も覚えている。
目の前で動いてる! 同じ空気を吸ってる!
ミッキー吉野が!
タケカワユキヒデが!
浅野孝已が!
スティーブ・フォックスが!
トミー・スナイダーが!
キャー! 最&高!
生で聴く「モンキー・マジック」の銅羅の響きとトミーの「アチャー!」に鳥肌が立ち、英語バージョンの「銀河鉄道999」はとりあえず日本語で一緒に歌い上げ、タケのソロ「ハピネス」に感動し、「デッド・エンド~ラヴ・フラワーズ・プロフェシー」のアルバムとは違う疾走感にアドレナリンが出まくった。
そして、浅野組とスティーブ組の2組に分けた観客歌合戦が楽しい「ビューティフル・ネーム」に本気で参戦した(私はスティーブ組)。
初のライブ盤「MAGIC CAPSULE」はオリコンアルバムチャート1位!
この時の熱狂の模様と、4月の群馬、7月の大宮での音源をまとめたものが、LP2枚組のボリュームで発売された初のライブ盤『MAGIC CAPSULE』だ。当時のオリコンアルバムチャートでは1位を記録している。
アルバムは新曲だった「マジック・カプセル」でスタート。ぶっちゃけてしまえば、この曲は製薬会社のCMタイアップ曲だ。アルバムジャケットでは、白いカプセルが開いた中でメンバーが演奏している演出がなされているが、これ、風邪薬のカプセルのことである。「マジック」って何だよ! と、子供心にちょっと突っ込んだっけ(笑)。
本文を書くにあたり、このアルバムを久しぶりに聴いた。3回聴いた。全部歌った。泣いた。子供の頃と変わらなすぎだなあ、自分。でも、ゴダイゴのおかげで明日も生きていけると思っている。これからも何度でも聴くだろう。
音楽の「マジック」を教えてくれてありがとう。
ありがとう、ゴダイゴ。
そして浅野孝已にも、ありがとう。
まさか初恋のあなたがメンバーで最初に逝ってしまうとは。
2020年5月12日の衝撃はどれだけ時が経ってもきっと忘れられない。と同時に、その優しい笑顔を忘れることもないでしょう。
浅野氏のご冥福を心からお祈りします。合掌。
※2017年12月30日に掲載された記事をアップデート
2021.05.12