「メジャー」と「インディーズ」ジャパメタシーンでの明確な差
80年代半ばまでの日本のロックシーンにおいては、アーティスト活動の目標としてメジャーデビューが大きな意味合いを持っていたのは周知の通りだろう。それはジャパニーズメタルシーンにおいても例外ではなかった。
ジャンルの特性を考えると、ヘヴィメタルやハードロックを貫きながらメジャー契約を得ること自体が快挙に思えたし、それ故にメジャーバンドはインディーズバンドよりも、様々な面で上であるとみなされたのは仕方ないだろう。
そうした中で、ジャパメタにおけるインディーズの立ち位置に変化の兆しを印象づけたのが、
『リアクションの疾走、インディーズ発でセールス1万枚の下剋上』で詳細を記したリアクションだ。インディーズ発のアルバム『インセイン』が記録した1万枚以上のセールスは、メジャーでこそ一人前と思われていたジャパメタシーンの常識に、一石を投じるきっかけとなった。
そして、その常識を完全に塗り替える決定的存在となったのがデッド・エンドであり、インディーズ時代の金字塔『デッド・ライン』だ。
関西メタルシーン発、奇跡の集合体デッド・エンド誕生!
ジャパメタムーブメントは全般に「西高東低」が顕著だったが、質、量共に圧倒する関西メタルシーンから、84年末に偶発的な組み合わせで生まれたのがデッド・エンドだった。
集まったのは元ライアーのMORRIE(Vo)とTAKAHIRO(G)、元ラジャスの"CRAZY" COOL-JOE(B)、元テラ・ローザのTANO(Ds)の4人。在籍した各バンドは関西メタルシーンで知られた存在で、その元メンバーらによる新バンドという触れ込みから必然的に注目を集めることになる。
バンドへの期待度はライヴの記録的な動員数という形で如実に現れ、目が肥えた関西のメタルファンの支持を起点に、全国のライヴシーンへと勢いは拡大していった。強固なファンベースを築いたデッド・エンドは、インディーズ発のスタンスでアルバム制作に突入していく。
ちょうどその頃といえば、僕自身も日本のロックシーンにおける「インディーズ」という言葉とその勢いを意識し始めたタイミングだった。きっかけとなったのは、85年8月にNHK-TVで放送された番組『インディーズの襲来』。ラフィンノーズをはじめとするライヴ映像やコメント、オーディエンスの熱狂ぶりをみて、僕のような地方在住のロックファンでも、インディーズの波が全国に押し寄せるのを実感し始めたはずだ。
ありがちなジャパメタじゃない!「デッド・ライン」に感じた異端性
かくして、インディーズが本格的に隆盛していく絶好のタイミングに、デビュー作『デッド・ライン』が送り出された。ライヴシーンでマグマのように溜まったデッド・エンドを推すファンのエネルギーは、アルバムへの期待度として現れ、リリースするや瞬く間に異例の好セールスを記録していく。
「関西のデッド・エンドが今熱い」という評判を僕が知ったのは、ジャパメタを掲載する音楽誌を通じてだった。ただ実際に聴いてみたいと願っても、インディーズ流通の音源を扱うレコード店は地元に皆無で、その願いはすぐに叶わなかった。
結局、僕が『デッド・ライン』を初めて聴いたのは、発売から少し経過した頃だろうか。関西在住の知人が買ったLPを録音してもらったカセットテープを通じてだった。はやる気持ちを抑え、ラジカセにテープをセットし流れてきたのは、けたたましいドラムのイントロに導かれたオープニング曲「Spider In the Brain」だった。
出だしこそ既存のジャパメタらしいギターリフとリズムに一瞬思えたが、MORRIEが歌い出してからその印象はガラリと変わった。メタルお決まりのハイトーンではなく、ノドを潰したようにがなりたてる唱法とクセの強いビブラートや声質は実に個性的で、既存のジャパメタにないものだったからだ
「慟き叫ぶ鬼の串刺し」の出だしで知られる歌詞のディティールまでは、その時正直わからなかったけど、ジャケのイラストをイメージさせるグロテスクなワードが散りばめられているようで、ところどころ耳に突き刺さってくる。
エッジの立ったトーンで派手に動きまくるCOOL-JOEのベースラインと、タイト且つラウドなメタルらしいTANOのドラミングも抜群にカッコ良かったけど、とりわけ心奪われたのが中間部のギターソロだった。始まった瞬間、突如視界が開けたようにメロディアスな旋律がぐっと迫ってくる予想外の展開に、まるで異世界に迷い込んだような錯覚を受けた。
音楽誌でのグループ写真には元テラ・ローザのYOU(G)が写っており、そのギターテクニックを絶賛するコメントを覚えていた。レコーディング途中に脱退したTAKAHIROに変わり、大半のギターソロだけYOUが差し替えた事情は後に知ることになった。
―― これはありがちなジャパメタじゃない。
1曲目が終わる頃にはその異端性を感じ始め、全ての曲を聴き終えた後、それが確信に変わった。今までにない感触と音世界がそこには確かに存在していた。それぞれがバラバラな個性を放散しているのに、奇跡的なバランスで拮抗し、不思議なパズルのようにピタッとハマっているのだから。
改めてメンバーのアー写を見ると、どのメンバーも隈取り風のメイクをしており、グラムロッカー風情のCOOL-JOE、LAメタル風のTANO、様式美を醸し出すYOU、ビジュアル系の原点的な風貌のMORRIEと、てんでバラバラだ。
そのサウンドは、各人が自己主張しているアー写から受けるイメージを、そのまま投影しているようだった。中でも全ての歌詞を手がけるMORRIEが放つ個性は圧倒的で、のちのヴィジュアル系に多大な影響を及ぼす彼独特の世界観が、アルバム全体の色合いを決定づけていた。
但し、そのカリスマ性に決して譲らない各メンバーの個性が同居してこそ、MORRIEの魅力が際立ったのだろう。サウンド面で言えば、実際の楽曲はCOOL-JOEによる1曲を除き、後にサポートでザ・ウィラードにも参加するTAKAHIROが手がけているし、プロデュースにはTANOがクレジットされているように、このアルバムでバンドを去った2人の功績も忘れてはならない。
どこにもない個性的なバンドキャラクターとヘヴィでダークなテイストを醸し出すメタルサウンドは、一度ハマればクセになる。デッド・エンド中毒になるファンが続出した所以だ。
全てを完全に塗り変えた!「デッド・ライン」が後世に残した大きすぎる功績
『デッド・ライン』には、あくまでもジャパメタの系譜を紡ぎながら、ヴィジュアル系の始祖のひとつとしても位置付けられる、多様性のあるサウンドが収められた。それは画一的になりがちで沈滞化し始めたジャパメタシーンに一石を投じ、新たな可能性を与え、ヴィジュアル系への橋渡しにもなったと言えよう。
個人的には、インディーズらしからぬ巧みな音作りにも触れておきたい。当時のジャパメタではメジャー組でも音質に弱点を抱えた作品が散見されたが、『デッド・ライン』の高品質でなくとも生々しくパワフルな状態で収録されたサウンドは、バンドの特徴を伝えるに十分で、インディーズへの先入観を覆してくれた。
もっとも明確な功績として言及されるのが、アルバムのセールス実績だろう。初回プレスが売り切れてはプレスを重ね、結果として、2万枚を超える当時としては驚異的な数字を記録。限定でピクチャー盤まで製作された。限られた条件のインディーズでも、これだけの実績を叩き出せることを証明してみせたのだ。
セールス枚数で厳然たる結果を残したことで、インディーズに対するメジャーレコード会社の見方は当然変わっていく。インディーズバンド側からメジャーデビューを求め、自発的に売り込むのが当然という受け身のスタンスから、インディーズで目覚ましい活躍をするバンドに、メジャー側から積極的にアプローチをかけていく、そんな能動的なスタンスに変わるひとつのきっかけになったはずだ。ジャパメタにおけるメジャーとインディーズの関係に、変化をもたらした作品とも言えるだろう。
かくして、デッド・エンドはメジャーからのオファーを受け契約を交わし『ゴースト・オブ・ロマンス』をリリース。このタイミングを前にTANOが脱退し、北海道のサーベル・タイガーからメタルらしからぬドラムスタイルのMINATOが加入。彼の加入によって、デッド・エンドの比類なき個性はさらに鋭く極まった。
伝説は終わらない!「デッド・ライン」を含むカタログがLPで再発
デッド・エンドは再結成後の精力的な活動を経て、2016年以降は活動を休止していたが、その最中の2020年6月、突然飛び込んできたのは、YOUが敗血症で亡くなったという、あまりにも残念な訃報だった。
あれからちょうど3年後、久々に嬉しい知らせが届いた。今年の6月30日に『デッド・ライン』を含む、初期4枚のアルバムが『DEAD END~The first four works~Vinyl Collection』 と題して、一斉にリイシュー発売されるのだ。
昨今、リバイバル人気を博すアナログで再発されることもあり、熱心なファンならずとも手に入れたいレアアイテムになりそうだ。現状CDでも入手困難で、サブスク解禁もされていない『デッド・ライン』がこうした形で甦るのは、当時アナログを手に入れたファンにとっても感慨深いことだろう。
LPサイズで再現された『デッド・ライン』のジャケットを眺めながら、インディーズを席巻したあの頃の空気感に思いを馳せる。それは至福の時間をもたらしてくれるに違いない。
▶ ジャパメタに関連するコラム一覧はこちら!
2023.06.30