6月8日

ティアーズ・フォー・フィアーズの “誰もが世の中を思いのままにしたい”

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ティアーズ・フォー・フィアーズのシングル「ルール・ザ・ワールド」がビルボードHOT100で1位を記録した日
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1985年、2曲の全米ナンバーワン・ヒットを生んだTFF


「誰もが世の中を思いのままにしたい」
直訳したタイトルには全米No.1ソングとは思えない重みがある。

35年前の1985年、アメリカBillboardのシングルチャートでNo.1を2曲以上獲得したのはフィル・コリンズ(3曲)、マドンナ、ワム!、そしてティアーズ・フォー・フィアーズであった。

この中でも最も知的なイメージがあったのがティアーズ・フォー・フィアーズであることに異論を持たれる方はいないだろう。何せアーティスト名が “恐れのための涙” であり、No.1ソングの2曲が「誰もが世の中を思いのままにしたい」と「叫べ」である。

このうち6月8日と15日付で全米No.1を獲得し、年間チャートでも7位に輝いたのが「誰もが…」こと「ルール・ザ・ワールド(Everybody Wants to Rule the World)」である。

心理学者 アーサー・ヤノフ博士からの影響


ティアーズ・フォー・フィアーズは、イギリス・バースでの、ともに両親が離婚した ローランド・オーザバル(ギター)とカート・スミス(ベース)の2人の出会いから始まった。

そのバンド名は、心理学者アーサー・ヤノフの著書『Prisoners of Pain』の章タイトルから採られた。このヤノフ博士はビートルズ解散後のジョン・レノンも診ているほか、その代表的な著書『原初からの叫び(The Primal Scream)』は同名バンドの名前の由来にもなっているなど、ロックの世界とも所縁のある人物である。

1983年3月にリリースされたデビューアルバム『ザ・ハーティング』は “傷付けるもの” というタイトル通り、精神的なテーマが前面に出た、ヤノフ博士からの影響を強く感じさせるアルバムだった。本国イギリスでは3曲のトップ5ヒットを生み、アルバムもいきなり1位を記録。一方アメリカでは最高73位に留まった。

それから2年後の1985年2月にリリースされたのがセカンドアルバム『シャウト(Songs From The Big Chair)』。この原題の “Big Chair” も、1976年のテレビ映画『Sybil』の主人公の多重人格の女性がそこに座った時だけ平穏になる病院の “大きな椅子” から採られている。このアルバムはイギリスでは2位止まりだったが、アメリカでは遂に1位に輝いた。ここからのアメリカでのファーストシングルが「ルール・ザ・ワールド」であった。

シャッフルビートに乗ったシリアスな歌詞「ルール・ザ・ワールド」


アルバムのジャケットから僕も勘違いしていたのだが、当時のティアーズ・フォー・フィアーズはキーボードのイアン・スタンレーとドラムスのマニー・エリアスを加えた4人組であった。そしてプロデューサーのクリス・ヒューズもプログラミングやドラムスを担当し、5人めのメンバーと化している。

「ルール・ザ・ワールド」は、曲の大半を手掛けるローランド・オーザバル、そしてスタンレー、ヒューズの3人の共作である。メインヴォーカルはカート・スミスだが曲作りには参加していない。

この曲はアルバムで最後に録音する1曲として、候補3曲の中から選ばれた。オーザバルに勧めたのはプロデューサーのヒューズ。このシャッフルビートを刻む明るい曲調がアメリカチャートで成功することを踏んでの選択だった。レコーディングもわずか3日で終わった。

この曲の元々の歌詞には「Everybody Wants to Go to War」というフレーズもあった。スミスもこの曲を「結構真面目な曲で、権力を欲しがる皆のことや、戦争、それが引き起こす悲惨について歌った曲だ」と述懐している。ティアーズ・フォー・フィアーズのデビューからの精神はなお、この歌詞に息づいていたのだ。

MVはドライヴシーンとバンドの演奏シーンが交互に出てくる、80年代らしい明るいものなのだが、こうして曲調と歌詞の内容がかなり異なる、ちょっと不思議な大ヒット曲が生まれた。エレポップと称されながらオーザバルのギターに代表されるように、オーガニックな音も絶妙にブレンドされている点も見逃せない。

ウィーザー、ロード… 多くのアーティストにカヴァーされた名曲


もう1曲の全米No.1ソング「叫べ」こと「シャウト」の方が曲の重さとしては、よりティアーズ・フォー・フィアーズらしかったかもしれない。ちなみに「叫べ」というお題目も、明らかにヤノフ博士の影響下にある。

しかしあれから幾年、多くのアーティストにカヴァーされたのは「ルール・ザ・ワールド」の方だった。何とパンクの女王パティ・スミスが2015年に、そして2013年のデビュー曲「ロイヤルズ」でグラミー賞最優秀楽曲賞を受賞し鮮烈なデビューを果たしたニュージーランドの歌姫ロードが同年カヴァーしている。意外や、よりダークだったのはロードの方だった。

そして別稿『30年越しのリック・アストリー ~ トレヴァー・ホーンと共演篇』でも書いたが、80年代の名プロデューサーの1人、トレヴァー・ホーンもライヴでカヴァーし、2019年にオーケストラ・ヴァージョンをリリースしている。さらにウィーザーも同年、この曲のストレートなカヴァーをリリースしている。

一見80年代そのものだった「ルール・ザ・ワールド」は、しっかりと今日までその存在感を保ち続けている。時代の波を越えた、と称えて差し支えあるまい。

この後ティアーズ・フォー・フィアーズは本当に2人になり、1989年にすっかりアコースティックになった名盤『シーズ・オブ・ラヴ』(2020年10月リマスター盤、デラックスエディションがリリース予定)を発表するもスミスが脱退。80年代とともにその全盛期を終えてしまうのである。

スミスが再び加わったのは2000年代に入ってから。オリジナルアルバムも1枚出し、来日も果たした。2017年にはベスト盤がリリースされたのだが、そのタイトルは『RULE THE WORLD』であった。

「Everybody Wants to Rule the World」そのメッセージは35年経っても色あせていないし、SNS時代の今日、むしろ説得力を増しているかもしれない。

2020.09.17
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カタリベ
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