ジノ・ヴァネリはAORだけじゃない!
過去に興味がなかったアーティストを、何かのきっかけで久々に聴いた時、自分の感性が変わって突然良く感じるようになる。そんな経験は、音楽を長く聴いている方なら、一度はあるのではないだろうか。僕にとって、AORシンガーのジノ・ヴァネリは、まさにそうしたアーティストの一人だった。
全米4位、本国カナダで1位を記録したジノの大ヒット曲「アイ・ジャスト・ワナ・ストップ」を、僕がリアルタイムで聴いたのは78年のことだ。まだ洋楽を聞き始めて間もない頃に、ラジオのヒットチャートにランクインしていたのがこの曲だったけど、アップテンポのロックに心を躍らせていた洋楽初心者には、この大人びたバラードの魅力は全く理解できなかった。
時は流れ、HM/HRを聴き込んでいた僕は、ジャンル内でよりハードなものや、よりソフトなものへと、幅を広げて様々な楽曲を聴いていった。TOTOやジャーニーのようなHM/HRとも親和性の高いメロディアスなロックも好んで聴いていたので、その延長線としてAORまで行き着いたのは自然な流れだった。
そんな中で、10年以上の時を経て再び出会ったのがジノ・ヴァネリだった。変わったアーティスト名だったこともあり、以前に抱いた印象も覚えていた。
絶賛の嵐、AOR屈指の名曲「アイ・ジャスト・ワナ・ストップ」
ジノの「アイ・ジャスト・ワナ・ストップ」は、AORの名曲として各所のレビュー等で絶賛されており、疑心暗鬼ながら改めて聴いてみることにした。すると、情熱的に歌い上げるジノの表現力豊かなヴォーカルと、メロウを極めた曲調やメロディが素晴らしく、自分でも意外なほど感性に訴えかけてきたのだ。
僕はそれから徐々に、ジノの他の作品を遡って聴いていった。そこには、単にAORという一言では括れない、ロック、ポップ、R&B、ソウル、ボサノヴァ、フュージョン、ジャズ、プログレなど、様々なジャンルの要素が盛り込まれ、作品毎に色合いが異なっていた。全てのパートは細部まで拘り抜かれ、ジノとジョー・ヴァネリ、ロス・ヴァネリの兄弟の手によって、高いレベルの音楽がクリエイトされていることを知った。
その根底にはジノのヴォーカリストとしての魅力が、どの楽曲にも濃厚なまでに満ち溢れており、“ジノ・ヴァネリ” という唯一無二のジャンルを確立しているのを実感させられた。これほどの才能に溢れたアーティストを、なぜ聴かず嫌いでいたのか不思議なほど、すっかりジノの底知れぬ魅力の虜になっていった。
初めて聴いた当時を振り返ると、僕はまだ子供で色んな音楽を聞き込んでおらず、ジノの音楽性の深みや本質を味わうことは難しかったのだろう。今でもその全てを到底理解しきっていないけれど、ジノの創造する芸術的といえる音楽は、聴くたびに新鮮な感動や驚きを与え続けてくれる深さがある。
80年代を彩った傑作アルバム「ナイトウォーカー」
ジノの代表作かつ最高傑作として一般に語られるのは、ジノ独自の音楽性の真髄を凝縮した78年の『ブラザー・トゥ・ブラザー』であろう。ジノとジョー、ロスとの兄弟の絆を感じさせるタイトルも意義深い。
もちろん僕も大好きな作品だが、個人的な最高傑作は、次作となる81年作の『ナイトウォーカー』だ。70年代のA&Mでの6作を経て、アリスタ移籍第一弾としてリリースされた本作は、都会の雑踏の雰囲気を醸し出すイントロに導かれ、タイトル曲「ナイトウォーカー」で静かに幕を開ける。
スローテンポながら心地良い緊張感を持ったハイセンスな曲調で、タイトルやジャケットのイメージと見事にマッチしている。聴いているだけで、都会の夜の帳が自分の周りに降りてきて、ジャケットに映る雑踏を歩くジノの姿が、今にも目の前に現れるかのような錯覚に陥る。
アップテンポの曲が多かった前作に比べると、少し大人しい印象があるかも知れない。けれども、テンションコードを効果的に駆使した複雑でスリリングなアップテンポのナンバーも収録され、スウィングするポップチューン、圧巻のスケールで紡がれる感動的なバラードなども含め、作品全体のバランスが絶妙で、その完成度は前作をも凌駕しているように思う。
ジノは幼少期からドラムを学んだためか、ドラマー選びや手数の多いドラムパートのアレンジにはとりわけ拘っているようだ。ここでは、今や世界的な名ドラマーとして知られるヴィニー・カリウタが、シンコペーションを要所に効かせまくった見事なドラミングを惜しげもなく披露しており、ヴィニーの長きキャリアにとっても、まさに重要な作品となった。
本作からはバラードの名曲「リヴィン・インサイド・マイセルフ」が全米6位と大ヒットし、アルバムも全米15位を記録し、再び成功を収めている。
クライヴ・デイヴィスとの対立、突如訪れた暗黒の時代
新時代の中でさらなるブレイクに向け、82年にアリスタ第2弾となる次作『ツイステッド・ハート』の発売が予定された。けれども、その先行シングル「ザ・ロンガー・ユー・ウェイト」がリリースされた矢先に、ジノの音楽性をコントロールしようとしたレーベルの社長であるクライヴ・デイヴィスと対立してしまう。結局、シングルは発売間もなく回収され、残念ながらアルバムがこの世に出ることはなかった。
しかも、その顛末の裁判に時間を取られてしまい、ジノが仕切り直しの新作『ブラック・カー』を晴れてリリースできたのは実に4年後の85年で、その音楽性も賛否を呼ぶほどに変貌を遂げていた。
その後は、商業主義的な音楽とは敢えて距離を取るかのように、よりジャジーなアプローチに接近するなど、自身が望む音楽性を追求し続けている。
もっと評価されるべき、その実力はフレディ・マーキュリー級!
当時のジノは圧倒的に優れた歌唱力に加え、独特のダンスを交えたステージパフォーマンス、ロングのカーリーヘアと奇妙な衣装センスと、過剰なまでに濃いキャラも特徴だった。僕には音楽性こそ異なれど、それがクイーンのフレディ・マーキュリーと被ってしまう。
もし、ジノがアリスタでクレイヴの介入を受け入れて、ポップ、ロック系の音楽をベースに順調にアルバムを出していれば、80年代の洋楽アーティストとしてさらに商業的な成功を収め、ヴォーカリストとしてフレディらと並び称される立ち位置に君臨したかもしれない。
けれども、そうした外部のコントロールを嫌い、音楽に対してアーティスティックに拘り抜いた行動こそが、ジノをジノたらしめる本質だったのだろうし、ミュージシャンズ・ミュージシャンと賞賛された所以であると強く感じるのだ。
と、ここまで熱くジノ・ヴァネリ愛を語ってきたが、あろうことに、僕はまだ彼のライヴを実際には観たことがない。2011年、2012年の来日はタイミング悪く、物理的に行けなかったのだ。
幸い6月16日に68歳になったばかりのジノは現役であり、作品のリリースを重ね、今もステージで歌い続けている。今はコロナ禍で来日公演の多くが叶わない状況だが、いつの日か日本でも海外でもいい、彼のライヴにどこかで触れる日がくることを望みながら、それまでは自分なりの解釈で、ジノのライヴ映像や音源に向き合っていきたい。
2020.06.24