デビューからおよそ半世紀、新御三家のイメージはやっぱり2枚目
新御三家と呼ばれるアイドル… 郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎がデビューしてから、およそ50年が経つ。
昭和・平成・令和の男性アイドル史を考えた時、SMAPの登場がひとつの大きな転換点となったことに異論は無いだろう。SMAP以降のアイドルは、格好良さと面白さを兼ね備えた “2.5枚目” であることが標準となっていったのに対し、新御三家の頃の男性アイドルは、幼少時の私から見ても “2枚目” のイメージが強かったからだ。
80年代には『カックラキン大放送』のような、アイドルがコントをする番組はあったが、ヒデキや郷ひろみのような2枚目が面白いことを言うのは、どことなくむずがゆい感じがあった。もしかしたら子供心に “ギャップ萌え” を感じていたのかもしれない。
ギャップ萌え・オブ・ザ・昭和アイドル、野口五郎
そんな彼らは、歌番組の中でも時々、意外性のあるユーモアセンスを見せてくれることがあった。例えば、郷ひろみと樹木希林の「林檎殺人事件」。曲のイントロと間奏部分で即興のアドリブっぽいギャグが入る、あのくだらなさが大好きだった。
ジュリーの「酒場でDABADA」での一件も忘れられない。確か、『紅白歌のベストテン』出演時のことだったと思うが、司会の堺正章に「サビの歌詞が “沢田デンデンムシ食べた” に聞こえる」と冗談を言われ、その後ステージに向かったジュリーは、本当に歌の中で「沢田デンデンムシ食べた」と歌ってしまったのだ! これは子供心に衝撃を受けた。
そして、ユーモアと言えば、忘れてはいけない存在が野口五郎だろう。彼こそまさに “ギャップ萌え・オブ・ザ・昭和アイドル”。そんなGORO(以下、親しみを込めて敬称略)のギャップ萌えぶりを遺憾なく発揮してくれた1980年のシングル「コーラス・ライン」を今回は取り上げたい。
野口五郎10周年記念曲「コーラス・ライン」ライブ盤で発売
1971年5月1日に「博多みれん」でデビューした野口五郎は、そのちょうど9年後の1980年5月1日にシングル曲「コーラス・ライン」をリリース。これは当時のアイドルとしては珍しい “ライブ盤のシングル” として発売された。70年代後半には、アメリカ録音でのアルバムリリースが毎年の恒例となっていたGOROだが、このシングルは、録音時の豪華演奏陣が揃って来日した10周年記念リサイタル『U.S.A. STUDIO CONNECTION』の音源を収録したものであった。
「コーラス・ライン」の作曲は、リサイタルの総指揮者でもある東海林修さん。曲の特徴としてはAメロが大半を占めており、当時の歌番組でも “一緒に歌える” ことをやたら強調していた。歌詞もほとんど同じフレーズの繰り返しだ。
くちびるから くちびるへ
愛を 伝えよう
心をひらいて つなごう
コーラス・ライン
70年代終盤は筒美京平作品を中心に、意欲的なシングルを次々とリリースしていたGOROだったが、この時期セールスは下降気味であった。そこで、「コーラス・ライン」では、親しみやすさを前面に押し出して、GOROの魅力をアピールしよう、そんな企みがあったのかもしれない。
GOROの即興コメントが楽しい、一緒に歌える「コーラス・ライン」
「コーラス・ライン」は、一緒に歌えることを売りにしていただけあって、歌番組でも視聴者参加型の演出が多かった。私は、一番の終わりの小休止部分で毎回入るGOROの即興コメント… これがとても楽しみだった。ここでは印象的な放送をピックアップしてみよう。
■『夜のヒットスタジオ』(1980年5月12日放送分)
『夜ヒット』での初披露回。曲の途中で徐に、野口五郎ファンクラブの皆さんがスタジオに入場。大勢での合唱が続く中エンディングのテロップが流れ、井上順さんから「えー、いつ終わるか解りませんけど…」と実況が入るが、そのまま歌唱中に番組終了。このときのGOROコメントは、
「テレビをご覧の皆さんも、ボリュームちょっと上げて、一緒に歌ってみませんか?」
初期の頃は、まだオーソドックスなコメントだったGORO。
■『夜のヒットスタジオ』(1980年6月9日放送分)
夜ヒットで2度目の披露。この日はなんと、野口五郎の近所の町内会の皆さんがスタジオに入場。22時台の放送の筈だが子供達の姿も。CMを跨いだ大合唱となった。このときのGOROコメントは、
「上手い方はより美しく、そうでない方はそれなりに歌えます。コーラス・ライン、ご一緒にどうぞ」
ちゃっかり、流行りのCMのフレーズを織り交ぜたGORO。
■『 ザ・ベストテン』(1980年6月19日放送分)
第10位で4週目のランクイン。習志野文化ホールで『カックラキン大放送』の収録後、そのままホールの前から大勢のファンが見守る中で中継。このときのGOROコメントは、
「習志野の皆さん、皆さん一緒に歌いまして、声を慣らしの…」
ダジャレの出来が悪いと自覚したのか、ついハニかんでしまうGORO。そんなGOROにギャップ萌えしたギャラリーからは歓声が。
―― こういったサービス精神の甲斐もあって「コーラス・ライン」はオリコン最高位24位ながらも、ザ・ベストテンには3作ぶりにランクイン。4週間10位以内をキープするスマッシュ・ヒットとなったのだった。
あなたが挙げる野口五郎の代表曲は? 次世代に伝えていきたいGOROの魅力
「GOROの代表曲は?」と尋ねられて、あなたは何と答えるだろう。おそらく「私鉄沿線」を挙げる人が一番多いかもしれない。他には、初のヒット曲となった「青いリンゴ」を挙げる人もいるだろう。ただ、1972年生まれの私には、残念ながらこの頃のリアルタイムの記憶が無い。それに最近だと、シティポップの観点から「グッド・ラック」や「女になって出直せよ」だったり、あるいはGOROのギタープレイが光る「真夏の夜の夢」あたりも再評価する声が多い。
だけど、もし私が「GOROの代表曲は?」と尋ねられたら真っ先に「コーラス・ライン」と答えるだろう。テレビの前で一緒に口ずさんだこのメロディ。そして、歌の中で見せたユーモラスな魅力… 誰が何と言おうと、これが私にとってのGOROの原風景だ。
彼の素晴らしい曲の数々は、現在、サブスクリプション等でも触れることが出来るようになったが、こういったテレビならではの魅力は継承していくのが難しい。“記憶というのは儚いもの” と言ってしまえばそれまでだが、テレビ局には是非、貴重な映像を時々蔵出しして欲しいと思うし、記憶を持つ我々も「くちびるから くちびるへ」GOROの魅力を次の世代に伝えていきたい。
悩める時代に、心の奥にシンプルに響く「コーラス・ライン」。新型コロナウィルスが過ぎ去ったその日には、行きつけの昭和歌謡バーで、仲間たちとこのメロディを腹の底から大合唱したいと思っている。
2021.05.01